巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「捕われの獄」から「恵みの小道」に移されてーーヘブル的ルーツ運動(HRM)脱会者の証し

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私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。ヨハネ1:16、17(出典

 

目次

  

J. Rumani, My Public Testimony(拙訳)

 

ヘブル的ルーツ運動(HRM)に初めて接触する

 

私はある人を介して、初めてヘブル的ルーツ運動(Hebrew Roots Movement)のことを紹介され、その人から多大な影響を受けるようになりました。私は福音主義の教会環境で育ち、それ以外の霊的環境には一度も触れたことがありませんでしたので、「ヘブライ的思考」による神学というものは自分にとって全く新しい考えでした。

 

しかし最初のうちこそ奇妙に感じられましたが、次第に「トラー遵守」擁護が説得力あり且つロジカルな議論であるように思えてきました。

 

結局のところ、もしも神が「豚肉を食べてはならない」とおっしゃったのなら、やはり人はそれを食べるべきではないのではないでしょうか。私たちは接ぎ木されたのですから、私たちはトラーを遵守すべきではないのでしょうか。そしてこういった議論の路線から私は、いわゆる自分の「ルーツ」を、HRMの教義の中に深く根付かせていきました。

 

私は思いました。「伝統教会の中に自分はいたけれど、もしかしたら大切な何かをずっと見失ってきていたのかもしれない。生育する中で自分が正しいと信じてきたものが仮に間違っているとしたらどうなるのだろう。」そんな事一度もまともに問うたことがありませんでした。

 

しかも私は自分で聖書を調べ注意深く推し量ることをせず、振り切れた振り子のように瞬く間にもう一方の極端に走り、ヘブル的ルーツ運動の視点および教えを受容してしまいました。当時の私には、HRMの中にこそ全てに対する回答があるように思えたからです。

 

わが家の激変

 

こうして、わが家はすぐにユダヤ的な外観に様変わりしました。自分の家を訪問してくださった方にはそれが一目瞭然であったことでしょう。

 

シャバット礼拝の時に着用するツィーツィート(ציצת צִיצִת)、ユダヤ風被り物。これまでの十字架像を取り外し、その代りにメズーザー(מְזוּזָה)、メノーラー(מְנֹרָה)を部屋に安置しました。また私たちはHRMの大多数の人々によって「異教的」と分類されているもの全てを拒否しようと努めました。こうして自分の中で、神をお喜ばせするやり方というのが、内的にもーーそして外的にはより一層ーー大きく変化していきました。

 

‟異教的” キリスト教の祝日

 

他のクリスチャンたちと交わっても、いつも結局、トラー遵守擁護、および、‟教会教(churchianity)” の中にある「異教主義」糾弾に話が終始しました。

 

キリスト教の祝日は自分にとって惨めな日々となりました。なぜなら依然として私はそれらの祝日に愛着を持っており、他のクリスチャンたちと共にキリストの誕生や復活を祝いたいと内心思っていたからです。しかしHRMの観点では復活祭や12月25日のクリスマスは完全に回避すべきものであり、それゆえ、(この点について完全に確信は持っていなかったのにも拘らず)キリスト教祝祭の時期が近づくと私はHRM教義の弁証家として公に抗議していました。

 

ヘブル的ルーツ運動の二大特徴

 

この運動に関わるにつれ明らかになっていったのは、HRM内部にはかなり多種の教えが混在しており、魂の眠り、カバラ、聖書解釈、シャバットの遵守方法、「どの律法が今も有効かつ適用可能か」といったさまざまな教理に関し、意見が分かれていました。ですからHRMの統一的「信条告白」というものは存在していませんでした。ですが、次に挙げる点は、ヘブル的ルーツ運動の二大特徴です。

 

.トラー遵守、および

.いわゆる「異教的なもの」すべての回避。(例:伝統的キリスト教祝日、十字架、Jesusという名前など)

 

また、同じ都市や地域内に数多くのHRM集会があったにも拘らず、それらの諸集会はさまざまな点で互いに意見を違わせ、絶縁状態にありました。そしてこういった数多くの不一致を目の当たりにする中で、やがて私はこの運動全体および自分の信条について疑問を抱くようになっていったのでした。

 

交わりの事に関して言いますと、私は何度か1、2のメシアニック集会に集いましたが、いくつかの理由によりいまいちしっくりしないものを感じました。自分にとってこれらの礼拝はあまりにも律法主義的であり、この点に関し、私はむしろ自分の育った一般教会の礼拝スタイルの方に、より安心感を持つことができました。

 

‟教会教” クリスチャン

 

また、トラー遵守/伝統的キリスト教祝祭回避のライフスタイルにより、私は、多くの点で孤立感を覚えるようになっていきました。しかしそれと当時に、「自分は、周りにいるああいった‟教会教”クリスチャンたちなんかよりも霊的にレベルが上なのだ。」と自負していました。

 

「いったい全体なぜ、教会教クリスチャンたちはこの『真理』が見えないのだろう?」「でもまぁ、彼らが盲目なのもある意味仕方がない。なんといってもキリスト教世界全体がこれまで何千年にも渡り、異教主義にどっぷり浸かってきたのだから。」だから自分は彼らの過失を大目に見てやり、幾分彼らに憐れみをかけてあげることにしました。

 

しかし自分でも気づかぬうちに、私は義人をきどった高慢ちきな俗物になり下がりつつありました。私はほとんどの交友を絶ち、気が付くと、霊的な事柄で自分の思いを打ち明けることのできる友が誰もいないーーHRMの中にさえ誰もいないーーという状態になっていました。

 

また自分の家族に関してですが、私は彼らを愛していました。しかしHRMのメンバーからの多大な影響により、次第に私は自分の家族との間にも距離を感じ、孤立感を覚えていくようになりました。家族内でも、多くの点でーー特に祝日の前後にーー意見や気持ちがバラバラになり、その状態が恒常化していきました。

 

しかし依然として自分の中で腑に落ちない事がありました。ーーいわゆる「クリスチャン」たちが愛と喜びに満ちた生活を送っているのに、自分はもう久しくそういった喜びを味わっていない、、それはなぜだろう?

 

下り坂、そして信仰の危機

 

自分自身の生活の中における実は、急速に劣化していきました。それはイエスの言う如く、「ぶよは沪して除くが、らくだは飲み込んでいる」(マタイ23:24)、もしくは「誰かの目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気が付かない」(マタイ7:3)状態だったと思います。

 

私は周囲の人がトラーの真理を受容するか否かについて目を光らせていましたが、自分自身の生活からは人が望むことのできるような何をも映し出していませんでした。

 

また、人を裁く態度だけにとどまらず、私は希望自体を失いつつありました。そして以前よりもずっと不満をこぼすようになり、懐疑主義的になり、自分の信じている内容について混乱し始めました。そして前には考えられなかったような罵りの言葉や意図的な飲酒も数回に渡り行ないました。

 

私の信仰は破船しつつあり、このままいくと、完全な信仰の危機が到来することは確実でした。「いや、少し休息して祈れば、また大丈夫になるだろう。」そう自分に言い聞かせました。でも内心、「いや問題はそういうところにあるのではない」と言っている自分がいました。

 

何かが起こらなければなりませんでした。自分自身に「終わり」を告げる何かが。。

 

ヘブル的ルーツ運動に関与していた時期、私はみことばに対する飢え渇きを失っていました。そして信仰の危機が嵩じるにつれ、私はますます混乱と懐疑の沼に落ち込んでいきました。そしてもはや自分が一体何を信じているのかが分からなくなっていたために、聖書を開くことさえしんどさを感じるようになっていました。

 

転機

 

感謝なことに、ある時、ついに自分自身の「終わり」がやって来ました。ある晩、私は聖書を開いたのですが、それはあたかも聖書に初めて接した時のような感触でした。全く飢え渇いた人のように私は新約聖書の書簡集をむさぼり読んでいきました。特に最初の数週、私は何度も何度もガラテヤ書を読み返し、ローマ書を読み、ほとんど全ての書簡集および多くの注釈を読みました。

 

さまざまな思い・考えが怒涛のように頭を駈け巡っていきました。至上なる希望、そして大いなる混乱、HRMの諸教説、、、そしてついに私は迷いつつも次の問いを問う所まで来たのです。

 

「キリストに従うって、、、もしかして、もしかして、これほどシンプルなことなのだろうか?自分がやるべきことはただイエスに信頼し、聖霊を通し自分の人生の中で御霊の実を生るよう神に自分を明け渡すことーー本当にそんなにシンプルなことなのだろうか?」

 

恵みの歩みが始まる

 

現在、私はーー「恵みの歩み」と自分が喜びの内に呼んでいる歩みーーを始めています。私は自分の人生が劇的に変えられることをこれまでずっと望んでいましたし、それらが予定通りの時間枠の中で進展することを願っていました。しかし神は、人間の設けたタイミングや期待に合わせて働くお方ではないということを私は学びました。

 

そしてこれこそが恵みの旅路の一部であることを!--つまり、神の恵みとタイミングがあればそれで十分なんだということを受け入れていく道程です。ことわざにもあるように、「私は未だ自分の望む場所にはいない。でも神に感謝しよう。なぜって、かつて自分がいたあの場所には、今もういないのだから!」

 

もう一つ自分が学んだのは、たとい自分が今の段階で、問いや疑問に対する全ての答えを持っていなかったとしても、それでも全然大丈夫だということです。

 

私には知らないこと、分からないことが今でもたくさんあります。でも、かつてなかったような仕方で、私は神の恵みに対する感謝と自由を経験しています。ヘブル的ルーツ運動に深くのめり込んでしまった過去を悔いています。でもそのような負の経験でさえも、神はご自身の栄光のために全てを益とし用いることができるお方であると信じています。

 

かつて一度も捕らわれの身になったことのない人は、自由の持つほんとうの有り難さを理解できなかったり、自由獲得のために戦おうとしたりしないかもしれません。でも束縛の状態につながれていた人は、授与された自由に歓喜し、もう二度とその自由を奪われることのないよう尚一層気を付けるようになるでしょう。

 

今、私はキリストにあってその自由を持っています。そして自分自身の生活においても、子供を育てる上でも、そして他の信仰者の方々の交わりの中においても、恵みがどのようなものであるのかを具体的に学びつつあります。

 

これからの将来がどうなっていくのか、自分の人生における神のご計画がどのようなものなのか私には分かりません。しかし「私のうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださること」(ピリピ1:6参)というみことばに信頼し、今後も信仰の歩みを続けていきたいと願っています。

 

ー終わりー