巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

いかにして惑わされ、いかにしてそこから救い出されたのかーー「ヘブル的ルーツ運動(HRM)」:ある脱会者の証言

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私はいつも一生懸命だった、、、そしてそれが真理だって信じていた。。(出典

 

目次

 

Andrew Strom, "Hebrew Roots" and "Yeshua Only" Movementsより抄訳

 

証し

 

はじめに

 

私は、ヘブル的ルーツ運動(Hebrew Roots Movement)および聖なる名の運動(Sacred Name Movement)が、いかに、後の雨運動の教義に引けを取らないほど危険な教義を含んだ運動であるかについて、みなさんにお分かち合いしたいと思います。

 

というのも私はヘブル的ルーツ運動、後の雨運動、その両方に関わり、そこから脱出した経験を持っているからです。

 

「後の雨運動」に関わり始める

 

私はアッセンブリーズ・オブ・ゴット教会で育ちました。この教会では後の雨/支配神学の毒は教えられていませんでした。結婚後、私たち夫婦は何かもっと深いものを求め始めました。(おそらく多くの人々は元々こういった動機から「後の雨」の教理に巻き込まれていくのかもしれません。何か深いものがどこかにあるはずだという探求をする中で、いつしか神のことばは私たちにとって十分なものではなくなっていくのです。)

 

こうして私たちはある無教派の教会に集い始めたのですが、結局、そこで数多くの破滅的な経験をすることになりました。

 

この教会は支配神学の重い影響下にあり、「シェパーディングする(羊を養い、導く)」ことに重点が置かれていたため、指導者層は、教会員皆についてのすべてを把握しており、それをコントロールの手段として用いていました。これが預言運動に関わった初めての経験であり、私たち夫婦はこの世界に引き込まれました。

 

指導者によるコントロールの事が原因でその教会を出た後も私たちは預言運動の界隈にとどまり続け、遠隔地にあったビル・ハモンの教会にもできる限り通おうと努めました。そして新使徒改革(NAR)の有名な指導者たちの著作を熱心に買い求め、読みました。

 

こうして新啓示を追い求める日々が続き、やがて10年の歳月が経ちました。(家には個人的預言の収録されたテープの詰まった巨大な収納箱がありました!)

 

そしてこの10年の間に私たちは、後の雨運動の中に蔓延している偽善、無律法状態(不法、lawlessness)、そして「安価な恵み」の現実に直面し、幻滅しました。そしてついにこの使徒的/預言的教会を去ることに決意しました。

 

しかし教会を去るというのは、「使徒」には受け入れられないことでした。こういった種類の教会では、「使徒」に‟派遣”されない限り、あなたは自教会を離れないことになっているからです。(しかし‟派遣”されることは決してありません。)

 

ある夫婦との接点

 

その使徒的教会を去った後、ある夫婦が私たちにコンタクトを取ってきました。この夫婦もまた数か月前にその教会を去った人々でした。今でも覚えているのですが、その夫婦に会いに行く前、私は本棚を整理していて、ガラテヤ書についての学びの本を手に取りました。

 

今思うとあの時、主は私に警告しようとされていたのだと思いますが、悲しいことに私はあっさりその本を本棚に戻し、それきりもう何も考えませんでした。私たちはこの夫婦の元に行き始め、使徒的/預言的教会がいかに無律法状態であるのか、彼らに不満を打ち明けました。

 

そうすると、この夫婦は私たちに、ルー・ホワイト(Lew White)という人の書いた『化石化した慣習(Fossilized Customs)』という本を手渡してくれました。

 

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この本には多少の諸事実が述べられていますが大半は歪曲された真理です。しかしながら私たちはまんまとこの罠にはまり込んでしまいました。この本の主旨は、いかに「Jesus」という名を始めとする既存教会のクリスチャン用語が異教的なものであるかということに尽きます。「だから我々は聖なる名を用いなければならない」と。

 

これらの人々は、神を呼ぶ際にはヤーウェ及びイェシュアという名のみを用いなければならないと信じていました。彼らによると、その他すべての神称は異教的であり、サタンは既存教会のクリスチャンたちが「イエス」という異教名を使うよう騙しているのです。「イエス」という名は実際、ギリシャの異教神ゼウスを意味しているーー彼らはそう言っていました。

 

「しかしこの『真理』は残された者(レムナント)にしか啓示されていない。」(←グノーシス主義的エリート主義)。こうして彼らは少しでも「ギリシャ的」なものを匂わせるものなら何であれそれらを回避している自分たちをなにか偉い者であるかのように誇っていました。

 

本格的にヘブル的ルーツ運動の世界に入っていく

 

こうしてその後4年間に渡るヘブル的ルーツ運動との関わりの旅がはじまりました。「聖なる名のみを用いなさい」という教義には少し尻込みしましたが、私たちは多くのユダヤの著書を読み、勉強し始めました。

 

みなさんに理解していただきたいのは、これら一連のプロセスは急にではなく少しずつ進展していったということです。そしてこの運動の指導者は教えの導入および提示において非常に熟練していたということです。

 

悲しいことに、私たちはますます新約聖書、新契約、そしてキリストの十字架から乖離していきました。そしてこれがヘブル的ルーツ運動の持つ危険です。この運動に関わっている人々は本当に心から神のみことばに立ち帰りたいと切望しているのです。しかし彼らの切望とは裏腹に、結局、この運動は私たちを神のみことばの全体性から引き離していきます。

 

この群れの指導者は「新約聖書は不欠陥というわけではなかった。なぜならそれはギリシャ語で書かれていたからであり、ギリシャ語聖書には多くの異なる写本があり、その中のあるものは正確ではないと思われる」という趣旨のことを説き始め、こうして不信の種を私たちの心に植え付け始めました。

 

彼は聖書箇所を自分の神学に合うようえり好みし、ガラテヤ書およびヨハネの福音書などは自らの教えと調和しないという理由で事実上、駆逐していました。

 

また処女懐胎の教義は、カトリック教会による御言葉の改ざんの結果生まれたものであり、イェシュアはヨセフとマリヤによる自然的受胎によって生まれた子であると説いていました。ーーそれを聖書から立証することができていなかったにもかかわらず。それゆえに、彼は(信徒たちからの妥当な疑問をかわすべく)聖書の翻訳の‟不正確さ”を持ちだす必要があったのでした。

 

騙しの過程は少しずつ段階的に進行していく

 

ここまで読み進めてくださった皆さんは「こんな偽りの中にあなたはどうして留まり続けることができたのですか?」といぶかしく思っていらっしゃるかもしれません。皆さんに申しあげたいのは、騙しというのは一夜にして起こるのではなく、少しずつ段階的に進行していくということです。

 

また私たちはHRMの人々と感情的にもすでに深く繋がっており、彼らのことを自分の霊的父、霊的母のように見、彼らを慕っていました。(それが理由で、多くの人々は、虐待的教会から離れることができないのだと思います。)

 

私たちは聖書の中に書かれている各種祭りを実施し、もちろん毎週土曜日のシャバットを遵守しました。私たちの指導者は、「トラーを通してわれわれは義人となり、いかにしてトラーを遵守することができるのかをわれわれに示すべくイェシュアはこの地上に来られた」と説いていました。

 

そしてそこからさらに発展して彼は、「できる限りモーセ律法のほとんどを遵守する必要があり、それを行なわないことは無律法(lawlessness)に他ならない」と説き始めました。要するに、ーーたとい文字通りにはそうしていなかったとしてもーー実質上、私たちはユダヤ教に改宗しなければならなかったわけです。

 

教義に疑問を抱き始める

 

脱会するに至る約1年前くらいから、私たちはヘブル的ルーツ運動内の教えに疑問を抱くようになり、旧契約の中の律法のいくつかについて指導者に質問を始めました。またこの時期、彼は、一夫多妻制を是認する言及を始めました。

 

そして度重なる彼の一夫多妻制是認のコメントに非常に不穏な思いを抱いていた主人と私は彼に対峙しました。(その時、彼の妻はその場にいなかったのですが、彼女もまたこの偽教理の犠牲者になっていることは明らかでした。)彼は私たちに「自分は、一人以上の女性を愛することのできる者の一人である」という旨を述べました。

 

「それならマタイ19章を始めとするイェシュアの御言葉はどうなるのですか?」と私たちは彼に問いかけました。しかし私たちにとって明白なことは彼にとってはそうではありませんでした。つまり、(彼にとっては)それが「トラー」の中にないのなら、結局パスできるのです!

 

振り返りと気づき

 

私たちはうちのめされました。その週末、私は泣きに泣き、主人と共にこれまで辿ってきた道を振り返り始めました。ああ私たちはどれほど福音から逸脱してしまっていたのだろう。この事実に目が覚め、私の心は張り裂けんばかりでした。

 

騙されるような状態を自らに許したのは結局自分ですから、私はこの点でフルに自分の責任を引き受けています。しかしそうではあっても、やはり偽りの教師が自分の頭を混乱に陥れたという事実は述べなければなりません。

 

彼は聖書を歪曲することにかけてのエキスパートであり、今日に至るまで私はいくつかの事柄で未だに葛藤しています。これらの人々に関わったことで、ほとんど神への信仰を失いかけました。主人の方がこの点で多少回復が早かったと思います。

 

ヘブル的ルーツ運動の根幹信条

 

ヘブル的ルーツ運動内には数多くのセクトがありますので、ここで私がシェアした内容を全てのグループが信奉しているとは限りません。しかしこれらの諸グループに共通する根幹教理は次のものです。

 

既存キリスト教会はそのヘブル的ルーツから迷い出てしまった。

そして神は今、この啓示を回復しようとしておられる。(←この部分は後の雨運動と同じ)

しかしこの真理は選ばれた少数の者たちにしか啓示されておらず、その他の既存教会は異教的である。

①~③に関する重要注記*1.)

 

おわりに

 

上記のような信条ゆえに、HRMに関わり始めると、人はキリストのみからだから自らを乖離させていくようになり、気がつくと、あなたはすでに孤立した状態になっています。

 

そしてこの時点でもはやあなたは世の塩ではなくなっており、福音を証しすることもしなくなっています。なぜならあなたはもはや福音そのものを信じなくなっているのですから!

 

私たちを神により近づける(とあなたが考えている)ものそれ自体が、逆にあなたをそれから遠ざけていっています。なぜならこの教えは、神の御言葉に関する歪曲された観念の上に構築されているからです。

 

私の心は、現在、この惑わしの教えに巻き込まれてしまっている人々への同情心で一杯です。自分の経験上、この教えがどんなにか彼らを混乱状態に陥れているのか分かるからです。私たちの目を開き、自分たちの真の贖い主であるイエスの血潮、そして主の恵み、憐れみをみることができるようにしてくださった神に賛美を捧げます。

 

ー終わりー

 

ヘブル的ルーツ運動内で頻繁に出てくるキーワードの一例

 

トラーの教え、ヘブライ的思考、(諸悪の元凶としての)西洋教父/異邦人教父たち、ローマの教え、置換神学、ヘブル的ルーツ、(否定的な意味合いでの)既存教会(バビロン)/日曜教会、教会教(churchianity)、異教的名前、生けるトラー=イェシュア、ヘブライ的イェシュア vs ギリシャ的イエスなど

 

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*1: