巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

クリスチャン女性のつつましやかさについて

Image result for beautiful green forest a little flower

 

慎(つつ)ましやかさというのは、英語ではreservednessと表現されることが多いようです。

 

従来、reservednessという語には「慎み深い、控えめである」等、徳を表す肯定的な意味合いがありましたが、近年では、「よそよそしい、打ち解けない、言質を与えない、要領を得ない、人嫌いな、厭世的な、冷淡な」等、どちらかというとネガティブな語感が強くなってきているようです。にもかかわらず、つつましやかさ、reservednessという心の態度やあり方は、世紀を超え、キリスト者の美徳であり続けました。

 

聖書的女性像を求めている私たちクリスチャン女性にとり、現代の世でなおざりにされがちなこの徳や性質は、隠された宝ではないかと思います。つつましやかであるという状態は、柔和で穏やかな霊(1ペテロ3:4)というフェミニンな泉から汲み出される流れであり、それは朽ちることのないもの(ἂφθαρτο)であると聖書は記しています。

 

御霊に満ちた女性らしいつつましやかさは、他者に対する思いやりや気配りに富み、けばけばしさや人からの注目を避け、自身の栄光に覆いをかけようとするのではないかと思います。

 

「あの方が私の主人です」というアブラハムの従僕の言葉を聞くや、「ベールを取って身を覆った」(創24:65)リベカのように、私たちも、天の主人であるイエス様の御姿を常に前にしつつ、内的にも外的にもベールを取って慎ましく身を覆う者でありたく願います。

 

また、つつましやかさは、女性たちを公衆の目から隠れたところに導きます。それにより、彼女は内なる聖所(inner sanctum)の中で、甘美にして旋律豊かな主との交わりに入れられます。御霊に満ちたつつましやかさは柔らかくも確固としており、彼女の天的/地上的貞節を緩めるようないかなる「外的存在」に対しても慎重に戸を閉ざしています。

 

さらに、女性らしいつつましやかさという心性は、人の心に落ち着きとやすらぎを与えるものではないかと思います。それはしずかに自らの置かれた場所にたたずみ、彼女の沈黙をとおし、周囲の世界になにかを語っています。ーーそれはちょうど、野にひっそりと咲く花が森の散策者に対し「語りかける」あの不思議な働きかけに似ているのかもしれません。

 

どうか私たちの内で日々、聖書的女性像が回復され、それにより、神の美しさがこの世に輝き出でますように。

 

関連記事