巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

正教ファンダメンタリズムについて(by ジョージ・E・デマコプーロス、フォーダム大学歴史神学 正教研究所長)

George E. Demacopoulos is Father John Meyendorff & Patterson Family Chair of Orthodox Christian Studies. He is also the Director of the Orthodox Christian Studies Center.

ジョージ・E・デマコプーロス教授、フォーダム大学歴史神学

 

George E. Demacopoulos, Orthodox Fundamentalism(拙訳)

 

正教キリスト教の礎石の一つは、偉大なる教会教父たちに対する崇敬にあります。教父たちは聖潔さの模範であっただけでなく、彼らが生きた時代にあって最も卓越した知識人でもありました。

 

大バシレイオスナジアンゾスのグレゴリオス(神学者グリゴリイ)、告白者マクシモスといった教父たちの著述は、正教クリスチャンの生活や、信仰にとっての肝要なる指針としてこれまでも、そして今後もずっと存続し続けるでしょう。

 

それゆえに、近年、数多くの正教会聖職者や修道士たちが、教父に対する「ファンダメンタリスト的」アプローチを反映するような言明を公言している状況に、私は危惧を覚えています。実に、正教会の指導者たちが一致団結して、この進展に対し「No!」と言っていかない限り、正教会全体が今や、こうした過激主義者たちによってハイジャックされる危機にさらされていると思います。

 

その他の原理主義的運動と同様、正教ファンダメンタリズムも、全ての神学的教説を神学的公理のサブセットに還元した上で、他者の値打ちをその公理に従い計っていきます。通常、こういった傾向は、ーー正教の教えに対する自己製の標準に満たないと(本人が)考えるところのーー個々人、諸機関、もしくは正教会の全機構に対する非難という形で表出してきます。

 

例えば、最近、ヴォロス正教神学院が、「現代正教会における教父たちの役割」を考察すべく国際会議を開いた際、ギリシャ正教会内のラディカルなオポチュニストたちがヴォロス神学院およびそこの司教を異端だとして糾弾しました。

 

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ヴォロス正教神学院、Η Ακαδημία Θεολογικών Σπουδών Βόλου στην Πόλη|Amen.gr

 

正教ファンダメンタリズムにおける主要な知的誤謬は、「教会教父たちはあらゆる神学的、倫理的事項において互いに合意していた」という彼らの前提にあります。

 

そしてこの誤算は、「正教神学は不変であった」という彼らのもう一つの誤前提ともつながりを持っています。彼らは言います。「正教神学がこれまでずっと不変であったことは疑う余地がない。さもなければ、教父たちが一連の全地公会においてコンセンサスを築く必要はなかっただろう」と。

 

原理主義に関する最近の学術研究が特定しているように、ここでのアイロニーは、次のものです。すなわち、ファンダメンタリストは、自分たちがモダニティーの腐敗から正教キリスト教信仰を守っていると主張しているのですが、皮肉なことに、正教キリスト教に関する彼らのビジョンそれ自体が、まさしくモダニティー現象そのものなのです。換言すると、正教というのは昔も今も、ファンダメンタリストたちがそうだと規定しているような種類のものでは決してなかったということです。

 

しかしながら、キリスト教会史や神学を深く研究しますと、教会の中でも最も影響力のあった聖徒(聖人)たちの何人かは、実際に互いに意見を違わせていたという事実が明白になってきます。しかも時に、その食い違いはかなり激しいものでした。

 

聖ペテロと聖パウロは割礼のことで一時期ぎくしゃくしました。聖バシレオスと神学者グレゴリイは聖霊の神性を認識するにあたっての最良の方法をめぐり衝突しました。またイスラム教カリフ領内の修道院に住んでいたダマスコの聖ヨハネ・ダマスカスは、彼のコミュニティーの人々のニーズに語りかけるような新しい讃美を開発すべく彼以前に慣例であった讃美制作の伝統を破棄しました。

 

また正教ファンダメンタリストたちは、付加的誤りをもって自らの還元主義的「教父読解」を強行しているという事実も押さえておくことが重要です。その中でも最も頻繁に言われている主張は、「修道院共同体は常に正教教義の守護者であった」というものです。また「教父たちは反知性的であった」と主張している人々もいます。

 

また、「教父たちの教えに忠実でありたいのなら、必然的にわれわれは西洋的なもの全てに抵抗する必要がある」と要求している人々もいます。こういった主張は、明らかに誤っていますが、これらは全て、現代世界から脱出するためという大義を装ったイデオロギー的仮装の兆候を示しています。

 

正教ファンダメンタリストたちの潜行的危険性は、彼らが「伝統(tradition)」と「原理主義」の違いをぼかしている点にあります。伝統を、政治的武器として用いつつ、こういったイデオロギーは、自分の宗教的指導者の信頼性を疑うことを知らない素朴な人々を騙しています。

 

数多くの若者たちが宗教それ自体に見切りをつけている時代にあって、原理主義イデオロギーが一般の教区の中に侵入し拡大していく時、私たちの子どもたちは、「宗教的過激主義か完全無宗教か」の二択を迫られるという可哀想な状況に置かれていくでしょう。

 

今こそ正教の教主や信徒指導者たちが、「教会教父の尊い妥当性は、自己宣伝の中で用いられている化石化した命題の一セットに対するやみくもな忠誠にあるのではない」ということを広く宣言していく時だと思います。

 

教父たちの偉大さは、ひたすら神を求め、この世界の人々と主を共有すべく彼らのなした真摯にして切実なる魂の欣求にありました。ファンダメンタリストたちによる教父読解、そして聖書読解は、決して神には至りません。ーーそれは彼らを偶像礼拝に導くだけです。

 

(執筆者:George E. Demacopoulos: Professor of Historical Theology; Director and Co-Founder, Orthodox Christian Studies Center)

 

①上の記事に対する反論(by ジョン・ホワイトフォード神父) 

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ジョン・ホワイトフォード神父

 

②関連資料

「伝統、世俗化、ファンダメンタリズムーー正教/カトリックの遭逢」ジョージ・デマコプーロス教授及びアリストテレス・パパニコラウ大主教へのインタビュー


原理主義の問題に、正教とカトリックが協同して向き合う