巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「高教会的」カルヴィニズムは可能か?ーーフィリップ・シャフ、ジョン・ネヴィンのマーサーズバーグ神学の試みに対する東方正教会の批評

ジャン・カルヴァン(出典

 

目次

 

マーサーズバーグ神学に対する新たなる関心と復興

 

近年、若い世代にみられる伝統的liturgy回帰の動き*と平行し、マーサーズバーグ神学(高教会的カルヴィニズムとして19世紀半ばに起こった運動)に対する新たなる関心と復興の兆しがみえています。

 

こういった動きは、ケイス・マティーソン著『あなたのために与えられたーー主の晩餐に関するカルヴァンの教理を再生する, Given For You: Reclaiming Calvin’s Doctrine of the Lord’s Supper』(2002)、W・ブラッドフォード・リトルジョン著『マーサーズバーグ神学と改革派公同性の探求,The Mercersburg Theology and the Quest for Reformed Catholicity』(2009)、ジョナサン・G・ボノモ著『受肉とサクラメントーーチャールズ・ホッジとジョン・ウィリアムソン・ネヴィンの間のユーカリスト論争をめぐって, Incarnation and Sacrament: The Eucharistic Controversy between Charles Hodge and John Williamson Nevin』(2010)などに顕著です。*1 

  

元カルヴァン主義者で、現在、正教会神学者であるロバート・アラカキ師は、下の記事の中で、マーサーズバーグ神学を東方正教会の視点から概観・批評しています。

 

 

私はマーザーズバーグ神学のことは知らなかったのですが、これが、かの有名な教会史家フィリップ・シャフおよび、彼の友人であるジョン・ネヴィンを中心に起こった運動であることを知り、非常に興味を持ちました。

 

Mercersburg today

ペンシルベニア州にあるマーサーズバーグ市(出典

 

調べてみて分かったのは、米国のマーサーズバーグ神学は、同じく19世紀にオックスフォード大学を中心に起ったイギリス国教会内の刷新運動であるオックスフォード運動(<アングロ・カトリシズム)の〈ドイツ改革派版〉であるということでした。

 

実際、フィリップ・シャフは、オックスフォード運動の中心人物の一人で、ヘブライ語・教父学の権威でもあったエドワード・ピュージー(1800-1882)とも交友があったようです。

 

オランダ改革派とドイツ改革派の性格の違い

 

カルヴァン主義と聞くと、多くの人はまず「予定説」の教義を頭に思い浮かべるのではないかと思います。そのため、‟高教会的” カルヴィニズムと聞いてもなんだかしっくりこないし、変な感じがします。

 

それではなぜ「変な感じ」がするのかというと、カルヴィニズムには〈オランダ系〉と〈ドイツ系〉という二つの潮流があるからだとアラカキ師は説明しています。

 

それによると、私たちが通常耳にするカルヴァン主義「予定説」系の一群の教理は、17世紀にイギリスの清教徒や長老派に影響を及ぼしたオランダ・カルヴィニズムを反映しており、それに対し、(ネヴィンやシャフの主導した)サクラメント重視のカルヴァン主義教理は、ドイツ改革派教会の概観を反映しているそうです。*2

 

マーサーズバーグ神学の特徴

 

マーサーズバーグ神学の三大特徴は、①カルヴァンと初期教父たちを綜合させようとする試み。②聖餐におけるキリストの実在の是認、③福音主義の神学的基盤に関する批評、です。

 

またネヴィンとシャフの神学的視野も広範なものでした。彼らは、当時、米国を席巻していたチャールズ・フィニーのリバイバリズムに内在する主観主義的強調に警鐘を鳴らし(Nevin, The Anxious Bench, 1843)、また聖餐に関するチャールズ・ホッジの象徴的理解を批判しました。

 

さらに、ジョン・ヘンリー・ニューマンおよびオックスフォード運動、それから、オレステス・ブラウンサンの教皇権至上主義カトリシズム(Ultramontane Catholicism)に関しても彼らは論評をしています。

 

マーサーズバーグ神学は、(1)『受肉』、(2)ロマン主義、(3)ヘーゲル弁証法的教会史観という三つの支柱を持っているとアラカキ師は分析し、次のように述べています。

 

 「これは、キリストの業以上にキリストの人格に強調を置くという点で、非常に重大なパラダイム転換でした*3。つまり、救いが、法廷的義認(forensic justification)というよりはむしろ、キリストとの合一として捉えられているということです。

 

 彼らの神学的視点はまたロマン主義ーー世界を生ける有機的実体とみる見方ーーからの影響も受けていました。そういった影響は、キリストの御体としての彼らの教会観、キリストとの合一としての救済観、そしてキリストの御体と血に与るものとしての聖餐観に顕れています。

 

 マーサーズバーグ神学はまた、ヘーゲル的弁証法にも依拠しています。これはキリスト教内に存在する多様性を包容する、神学および教会史に対する動的にして進化的アプローチです。そしてこの神学は、動的綜合を祝福の源とみなす一方、静的無反応を、良機を逃すことにつながるものとみなしていました。」*4

 

聖餐における実在の教義の回復

 

また、マーサーズバーグ神学が米国プロテスタント神学に及ぼした貢献は、聖餐における実在(real presence)の教義を回復させようとしたことであるとアラカキ師は述べています。

 

それによると、19世紀初期頃までには、米国プロテスタンティズムの大半は、聖餐を「記念的なもの」と理解するようになっていました。ーーつまり、単なるシンボルとして、です。それに対し、ネヴィンとシャフは、「いや、それは違う。カルヴァンおよび元々の改革派諸教会は、聖晩餐における実在の教義を保持してきた」と人々に呼びかけたのです。

 

そして、その証拠としてネヴィンは、『ジュネーブ信仰問答(Le Catéchisme de l'Eglise de Genève)』からカルヴァンの言説を直接引用しています。

 

問い)私たちは主の御体と血を食しているのでしょうか? 

答え)はい、食しています。なぜなら私たちの救いの全希望は、主の従順ーーこれを主は御父に帰しておられますーーに依っており、主の従順はあたかも私たち自身のものであるかのように自分たちの功績と位置付けられるためには、主ご自身が私たちによって所有されること(possessed by us)が必須です。*5

 

しかしながら、19世紀に興ったユーカリストにおける実在の教説の回復の試みは残念ながら失敗に終わったとして、アラカキ師は次のように概説しています。

 

 「ネヴィンとシャフは米国プロテスタント神学者たちの見解修正に失敗しました。1848年から50年にかけ、ネヴィンは、ユーカリストにおける実在の教義に関し、チャールズ・ホッジと公開ディベートを続けました。*6

 

 ネヴィンの論駁は強靭であり、ホッジはそれらに回答することができなかったにも拘らず、記念的なものとしての見解は、それ以後も米国プロテスタンティズムにおける支配的理解であり続けました。

 

 堅実なる学術性に裏付けられていたにも拘らず、メインストリームの米国プロテスタント神学に影響を及ぼすことができなかったネヴィンの失敗の事実は、米国福音主義が純正なる改革に対し、いかに鈍感であるかを如実に物語っているように思われます。おそらくネヴィンとシャフの最大の失敗は、彼らが自分たちの陣営であるドイツ改革派教会内にさえも典礼的改革を実現させることができなかったことでしょう。*7

 

 なぜなら、実在の教理の回復にあれだけ彼らが尽力したにもかかわらず、この教義は、単なる一教理としてそれで終わってしまったからです。これが意味しているのは事実上、米国プロテスタンティズムの神学は、ーー実在に関する歴史的改革派教理を回復させようと努力したネヴィンとシャフの試みにも拘らずーー今日に至るまで、それを単に‟記念的なもの”とみなしているということです。」

 

低教会プロテスタンティズムに対する矯正

 

マーサーズバーグ神学は、「低教会プロテスタンティズムに対する矯正手段」としての高教会教会論を持っていました。アラカキ師によると、教会論に関する低教会の見解は、

 

キリストに対する信仰は救いの必須条件であるが、教会への参入はそうではない。

教派的相違は許容可能であり、人は個人的趣向にあわせ、それぞれが自分の参加したい教会に加わることができる、

というものでした。そのため、教会を有機的なものと理解するネヴィンは「同様の見解を持つ個々人の集まりとしての教会理解」に批判的でした。*8

 

ネヴィンは、セクト的キリスト教という形態の内に、教会およびサクラメントの重要性に対する軽視を見、それによって、肉体を離脱した("disembodied")キリスト教が発生するようになったと考えました。教会を「キリストの受肉の拡張」として捉えていたネヴィンにとり、セクト的キリスト教のそういった態度は、グノーシス主義異端と同じ位、問題を含むものだったのです。

 

ネヴィンの当惑

 

ネヴィンは、宗教改革に根差すプロテスタンティズムは古代の教条およびサクラメントへの忠誠によって特徴づけられており、ゆえに、プロテスタンティズムは古代教会からの歴史的連続であると主張し、次のように言っています。

 

「、、、プロテスタンティズムの存在を正当化しえるものがあるとしたら、それは、古代教会への真の歴史的連続性ーーこれに他ならない。」*9

 

しかしながら、ネヴィンのこの基準を現代福音主義および主流諸教派に適用させるならば、それらの教会の大半は、正当なる「プロテスタント」ではあり得ないということになってしまい、もしも彼らや私たちがプロテスタントではあり得ないのなら、私たちの諸教会は一体何をベースに自らが歴史的キリスト教信仰の一部であると主張することができるのでしょうか?

 

こうしてついに彼は、ーー“Nevin’s dizziness”(ネヴィンの当惑)として知られるーー個人的信仰の危機に襲われることになります。この危機の中で、彼は自分がプロテスタントとして今後もとどまることができるのか否か、苦悶しました。*10

 

英国においても、聖公会内のオックスフォード運動の指導者ジョン・ヘンリー・ニューマンが同様のクライシスに陥り、1845年、悩み抜いた末、彼はついにローマ・カトリシズムに転向しました。一方のネヴィンは最終的に、プロテスタント内にとどまる決意をしますが、この危機により、フィリップ・シャフとの友情にヒビが入ってしまいました。*11

 

行き過ぎた主観主義への対抗

 

ネヴィンとシャフの試みは、低教会 ‟ピューリタン主義”(単なるシンボルとしてのサクラメント、聖書の個人的解釈)や、チャールズ・フィニーによって代表されるリバイバリズムに対する改革派的対抗運動とみなすことができるだろうとアラカキ師は指摘しています。

 

当時の行き過ぎた主観的強調は教会生活にもインパクトを及ぼしていました。この影響の下、教会権威による承認なく、ただ単に雄弁さに長けた人やカリスマ的パーソナリティーを持っている人が牧師を自称するようになりました。

 

また、こういった説教者たちは、教会権威や古代教条によって査定を受けることなく、自分勝手に新しい教理を考案し、それを宣伝していくようになりました。また、人々は自分の好みに合った教会を自分で選んでいくようになりました。

 

こうして次から次に生み出されてくる新解釈により、おびただしい数の教派が量産されていくようになり、このカオスの中から、「われらに信条は要らない。聖書があればそれでいい。」というスローガンが唱えられていくようになりました。

 

そして救いというのは、「キリストを受け入れる決心をする」もしくは祭壇コール(altar call)への応答という枠組みで理解され、教理は、個人による聖書の主観的理解や、(古代信条から切り離されたところにある)聖霊による個人的啓示をベースに構築されていきました。

 

また、この流れの中で、礼拝も、神に対する個人の内的感情の外的表現として理解されるようになっていきました。固定された形態やritualsに欠ける福音主義の礼拝は、こうしてさまざまな方向に進化していきました。例)讃美歌を歌う伝統スタイル、求道者にやさしい礼拝、ロックバンド&パワー・ポイント表示のメガチャーチ系礼拝、しんみり系のイマージング・チャーチ礼拝、折衷的古代ー未来系の礼拝等。

 

おわりにーー将来の展望

 

マーサーズバーグ神学は、教会を古代教会ルーツと再び接合させ、教会の一致を回復させようとするすばらしい試みではあるものの、改革派内でのこの勇敢な試みは結局、行き詰まってしまうとアラカキ師は述べています。それは譬えていうなら、向こうに頂は見えているのに、そこに行き着く道がないようなものであると。

 

「ネヴィンとシャフのおかげで私は初期教父の著述を知るようになりましたが、彼らによって提示された問いを通し、私は最終的に、自分の属する福音主義陣営は、教父たちの目に、良くて異教(heterodox)的、そして最悪の場合、異端的とみなされているという結論に達しました。」

 

私たちの立つプロテスタンティズム、そして現代のさまざまな形態の福音主義をどう理解すればいいのでしょう?アラカキ師の見解によれば、私たちの陣営は最悪、異端的であるということになります。

 

私たちの現代福音主義がはたして異端的であるかどうかは別として、現在私が痛感しているのは、しっかりした教会論の必要性および解釈における権威の所在の確認です。

 

断片化(フラグメンテーション)は教会の権威を空虚化させ、解釈的アナーキズムを生み出し、アナーキズムと個人主義は、慢性的〈相対主義〉およびどんよりした〈不可知論〉状態(あるいはその反動としての原理主義)に人を置くと思います。そうなると、もう、いったい何が正統なのか異端なのかも定かではなくなってきます。

 

その意味で、19世紀に興った米国のマーサーズバーグ神学、英国のオックスフォード運動は、「サクラメンタルなものに対する人々の飢え渇き」、より全体論的で有機的な教会観、そして知的・霊的統合を求める人間の切実なる叫びだったのではないかと思います。

 

ー終わりー

 

①ピューリタン・サクラメント主義に関するピーター・ライトハート師(改革派)の論考


②それに対するアンドリュー・ステファン・ダミック神父(東方正教会)の反論


③同じく、ピーター・ライトハート師の同論考に対する、G・V・マルティニ長老(東方正教会)からの反論

*1:ボノモ氏の記事Very Brief Introduction to the Theological Career of John Williamson Nevin and a few Additional Thoughts on the Mercersburg Theology

*2:Nichols, James Hastings, ed.  1966.  The Mercersburg Theology, New York: Oxford University Press, p.19.

*3:同著, Nichols 1966:78

*4:Ahlstrom, Sidney E.  1975.  A Religious History of the American People.  Volume 2.  Garden City, New York: Image Books, p.56。

*5:Nevin, John W.  1966.  The Mystical Presence and other writings on the Eucharist.  Volume 4 in the Lancaster Series on the Mercersburg Theology, Bard Thompson and George H. Bricker, eds.  Philadelphia and Boston: United Church Press, p.51.

*6:Bonomo’s Incarnation and Sacrament (2010) and Nichols’ Romanticism in American Theology, chapter 4を参照。

*7:Nevin and Schaff were part of a committee that produced a provisional liturgy but that liturgy failed to make any substantial impact on the denomination.  Nevin was not surprised by the ineffectual impact of the provisional liturgy and was resigned to it (see his “Vindication of the Revised Liturgy” 1978:313 ff.).  Schaff professed “indifference” whether or not the Provisional Liturgy was accepted (in Yrigoyen and Bricker 1979:424).

*8:Nevin, John W.  1966b. 

*9:Nevin, John W.  1978.  Catholic and Reformed: Selected Theological Writings of John Williamson Nevin.  Charles Yrigoyen, Jr. and George H. Bricker, eds.  Pittsburgh Original Texts and Translations Series Number 3.  Pittsburgh, Pennsylvania: The Pickwick Press, p.281.

*10:The exact nature or cause of Nevin’s personal crisis is not known.  What is known is that from 1850 to 1855 Nevin resigned his various responsibilities and essentially became a recluse.  During that time he wrote 8 articles for the Mercersburg Review totaling some 300 pages.  These articles showed a pronounced sympathy for the Roman Catholic position.  See Noël Pretila’s “Oxford Movement’s Influence upon German American Protestantism: Newman and Nevin” for a detailed discussion of Nevin’s dizziness.  See also Pranger 1987:115-119 and Wentz 1987:26-27.

*11:Graham, Stephen.  1995.  “Nevin and Schaff at Mercersburg.”  In Reformed Confessionalism in Nineteenth-Century America: Essays on the Thought of John Williamson Nevin, pp. 69-96.  Sam Hamstra, Jr. and Arie J. Griffoen, edited.  Lanham, Maryland: The American Theological Library Association and The Scarecrow Press, Inc, p.79