巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

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ユニークなクリスチャンのシンボル――パウロが生きた当時もなじみのない特異な慣習だった祈りのベール

(自ブログ「地の果てまで福音を」より再掲載)

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カタコンベの壁画ーーベールを被って祈る初代教会の女性(出典

 

 

(執筆者:ジェレミー・ガーディナー師)

 

目次

 

はじめに

 

1コリント11章を読むとき、私たちの脳裏に浮かんでくるのは何でしょう。

 

「これはコリントっていう都市の状況に特有なものだったのではないかな?」

「おそらく女性がかぶり物をするというのは当時普通のことだったんじゃないかな?」

「男性が頭を覆うというのは、当時のコリント文化の中では何か良くないものを象徴していたのではないだろうか?」

 

などなど、、コリントの文化や当時の一般的な慣習について私たちは考えるのではないでしょうか。そして上のような問いが挙がると、聖書注解者はしばし次のような結論を出します。

 

「私たちの現在生きている時代および文化の中では、かぶり物というのは普通の習慣ではなく、また男性が帽子をかぶることに眉をひそめる人もいません。だから私たちはこういった掟を破棄してもかまわないし、もしくは、かぶり物の代わりに私たち現代人にとってもっと意味のある何か別のシンボル*1をつけるということをしてかまわないのですよ」と。

 

もちろん、解釈学的にもこのような見解を受け入れることのできない理由が挙げられるのですが、それに加え、なぜそれが理にかなわない主張であるかということを示す文化的な理由も存在するのです。

 

よく考えてみてください。こういった主張の背後にはどんな前提があるのでしょう。そうです、そこには「かぶり物に関してパウロが提示していたことは、当時、文化的に普通のことであり、なじみもあり、意味もあることであったにちがいない」という前提があるのです。しかし端的に言ってこれは正当性を欠くものです。

 

紀元1世紀当時のユダヤ人にはどんなかぶり物の習慣があったのだろう?

 

1コリント11章で述べられているかぶり物は、新契約の下に生きるクリスチャンに特有のシンボルです

 

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カタコンベの壁画(出典

 

これはイエス・キリストによる新しい契約が結ばれ開かれるまでは存在しなかったものであり、神を礼拝するローマ人、ユダヤ人、およびギリシア人にとってはラディカルな変化を伴なうものだったのです。

 

「えっ、それじゃあ、古い契約の下においては、彼らはかぶり物をしていなかったっていうことなんですか?」とあなたは驚いて尋ねるかもしれません。

 

そう、まさに、そうなんです。旧約聖書のどこにも、「女はかぶり物をつけるべし。そして男が頭を覆うことを禁ず」という命令はないのです。

 

たしかに一世紀のユダヤ女性はかぶり物を着けていましたが、パウロの指示は女性だけに出されたものではありませんでした。もし「文化的なもの」を配慮した結果、パウロがあのような指示を出したのだとするなら、それは当時における男性・女性両方の文化慣習にマッチしていたはずです。

 

でも実際どうであったかというと、かぶり物に関し、一世紀のユダヤ人男性にそのような文化的習慣があったなどという資料はどこにもありません。ラビであるアブラハム・エズラ・ミルグラム氏は次のように言っています。

 

「タルムード時代、かぶり物を着けるという行為は、表敬のしるしとして受け止められていましたが、神殿の庭や初期シナゴーグの中にいたユダヤ人がかぶり物の着用を要求されていたという史実はほとんどありません。」*2

  

ユダヤ教のシンボルに関する百科事典もそのことを裏付けています。

 

「大祭司はミズネフェット(mitznefet/miter)と呼ばれる特別なかぶり物を着けていた。それに対し、一般祭司は、ミグバアート(migbaat)と呼ばれるターバンを巻いていた。しかし一般のイスラエルの民に対しては、かぶり物に関する指示はなんら出されていなかった。」*3

 

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「慣習がない」というのはどういう意味かというと、頭を覆っている男性もいれば、覆っていない男性もいるということです。そしてどちらの側に対してもそれに眉をひそめる人はいないのです。

 

パウロは1コリント11章4節の所で、祈ったり預言したりしている時に男が頭にかぶり物を着けることを禁じていますが、これは前述のことと整合しません。

 

実際、タルムード期(三世紀)になって初めて、男性のかぶり物に関するユダヤ人の慣習が現れたのです。この慣習は、パウロが1コリント11章で命じていることとは正反対のことであり、今日もユダヤ教徒の間で存続しています。

 

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被り物を着け祈るユダヤ教の男性

 

ユダヤ教のシンボルに関する百科事典も、この慣習は「主として、キリスト教徒の男性が頭に何もかぶり物を着けずに祈ることに対する反動から」興ったものであると説明しています。*4

 

1世紀のギリシア人やローマ人はどのような慣習だったのか?

 

今、あなたはこう考えているかもしれません。「まあ、コリントっていうのは異邦人の多くいる教会だったわけだから、パウロが考慮に入れていたのは、非ユダヤ人クリスチャンのことだったのかもしれない」と。

 

しかし解釈学的な見地から言えば、その主張は受け入れがたいものです。というのも、パウロはこの掟を――ユダヤ人やギリシア人だけに限らず――男性および女性全般に向け出しているからです(4、5節)。

 

パウロはまたこれは、ひとつの教会ないしある一地域だけに限らず「神のすべての教会(all the churches)」で行われている慣習だとも主張しています(16節)。*5

しかしそれはさておき、かぶり物の掟は、異邦人の礼拝者にとっても、とてつもない変化を生じさせるものだったのです。

 

テルトゥリアヌスは二世紀に生きたキリスト者でした。彼はかぶり物に関する当時の慣習に非常に通じており、そのことを次のように記しています。

 

「ユダヤ人に関して言うと、ユダヤ人女性がベールを着けるというのは非常に常習的なことであるため、それによって(彼女たちがユダヤ人女性であるということを)見分けることができるほどである。」*6

 

「ベールによってユダヤ人女性を見分けることができる」というテルトゥリアヌスの言葉から分かるのは、かぶり物というのは異邦人にとっての慣習ではなかったということです。

 

着ているものによって、それがあなただと見分けがつくということは、つまり、他の人は皆、あなたのようには着ていないということです。

 

「男性および女性に対する、Ⅰコリント11章でのパウロの指示は、当時の異邦人の慣習にもマッチしていなかった」という事実は、数多くの聖書学者や歴史家によってもすでに裏付けられています。

 

ギリシア人は神々を礼拝する際、男も女もかぶり物を着けていなかったのに対し、ローマ人は、(犠牲を捧げる時など)公的な宗教行為をする際、男女共々、頭にかぶり物を着けていました。ですから、当時のどのメジャーな民族をみても、両性に対するパウロの指示にマッチする民族のグループは存在しないのです。*7

 

なぜなら、これはクリスチャン特有の慣習であり、文化的なものではなかったからです。『大学用ケンブリッジ聖書』はこれについて以下のように要約しています。

 

「特筆すべき事実はこうである。つまり、ここで掟として出されている慣習は、――ユダヤ人のものでもなく(ユダヤ人男性は祈る時かぶり物を着けるよう求められていた)、ギリシア人のものでもなく(ギリシア人は男女共にかぶり物を取るよう要求されていた)――クリスチャンに特有のものだったのである。」*8

 

新しい慣習

 

ですから、かぶり物の慣習というのは、ユダヤ人男性、ローマ人男性、ギリシア人女性それぞれにとって異なるものだったということになります。

 

キリストを信じたユダヤ人およびローマ人男性は、それまでの習慣を捨て、礼拝時には、かぶり物を取らなくてはならなくなりました。同じように、信仰を持ったギリシア人の女性は、まさに初めて、かぶり物を着けるようになったのです。ベン・ウィザリングトンはこの慣習の独自性についてこのように明記しています。

 

 「パウロはコリントのギリシア・ローマ的な慣習を単に承認していたわけではありません。パウロはむしろ、キリスト者共同体という文脈の中で、改宗者たちの社会的因習やしきたりを改革しようとしていたのです。こうして彼らは――神の集会の中では当たり前だけれど、文化的に言えば稀有な――クリスチャンの新しい慣習を形作ることになり、こうして自分たち独自のアイデンティティが明らかに打ち出されることになったのです。」*9

 

もしかぶり物の掟を信者に続けさせようという意図がパウロになかったのだとしたら、どの民族グループにとっても一様になじみがなく、むしろ自分たちのなじんできた習慣とは正反対のシンボルを着けるよう主張することはなかったと思います。

 

異なる慣習を主張していた「異議を唱えたがる人たち」は今や少し理解を示すようになっていました。人は、いつも普通に行なわれている慣習に対して、ああだこうだと異議を唱えるようなことはしません。

 

ではいつ異議を唱えるようになるかというと、あなたが日常行なっていた慣習を誰かが取り去り、それとは違う何かをするよう要求する時に生じるものです。ですから、かぶり物の慣習というのは、現在と同じく、パウロのいた当時においてもラディカルなものだったのです!

 

他のシンボルをどのように捉えているか?

 

外国の地で初めて教会開拓する時のことを想像してみてください。現地人の文化的文脈の中では、バプテスマとか聖餐とかいったものは何ら意味を持たないでしょう。いや、そもそも、そうであるはずがないのです。というのも、こういったものは聖書を基とするクリスチャンのシンボルだからです。それでは私たちはどうすればいいのでしょうか。

 

現地人が理解してくれないからといってそのシンボルを破棄し、その代わり、ただ単にそのシンボルが指し示すものを教えればいいのでしょうか。「結局、シンボルの背後にある意味が最も大事なんだから」と。いいえ、私たちはそんなことしませんよね?

 

また、ある人はこんな事を言うかもしれません。「シンボル自体は打ち捨てるべきじゃないと思う。でもバプテスマや聖餐を、現地人にとって文化的にもっと意味のある何かに置き換えるっていうのはどうだろう?」

 

でも、私たちはそういうこともしません。私たちはたとえ未伝道地域に入って行っても、依然として信者にバプテスマを施し、彼らと共に聖餐にあずかります。

 

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バプテスマ(アフリカ)出典

 

なぜなら、それらはクリスチャンのシンボルだからです。現地人にとって、それには何ら文化的意味はないということを私たちは理解していますから、そのシンボルが意味するところを聖書から彼らに説くのです。

 

そして、同じことがかぶり物に対してもなされるべきなのです。

 

(執筆者:ジェレミー・ガーディナー)

 

関連記事

*1:

 

*2:From Kippot (Head Coverings) in Synagogue accessed on April 20/15 

*3:Ellen Frankel and Betsy Teutsch – The Encyclopedia of Jewish Symbols (1992, Rowman & Littlefield Publishers) Page 91

*4:Ellen Frankel and Betsy Teutsch – The Encyclopedia of Jewish Symbols (1992, Rowman & Littlefield Publishers) Page 91

*5:

*6:Tertullian, De Corona ch. 4, Anti-Nicene Fathers Vol. 3 at 95.

*7:For a list of sources for Jewish, Greek, and Roman practices see “Covered Glory” by David Phillips pages 67-74.

*8:The Cambridge Bible for Schools and College – First Epistle to the Corinthians (Page 158).

*9:Ben Witherington III – “Conflict and Community in Corinth” (Eerdmans, 1995) Pages 235-236