巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

偉大にして永遠なる神への讃歌(F・W・フェーバーの信仰詩)

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目次

 

(自ブログ「地の果てまで福音を」より再掲載)

永遠の御霊

 

愛の泉!ご自身、まことの神であられるお方!

とこしえの歳月を通し、

非被造的な方法で

汝は、御父と御子の内より流れ出でておられます。

おお 言語を絶する威光。

 

あらゆる神聖さを宿すペルソナ!

三つ(みつ)のご威光の中で

汝のご臨在は輝いておられます。

 

神の恐るべき光の内に据えられながらも、

汝の激しい御息は動いておられます。

汝は、ご自身が驚異であられ、

礼拝と愛を捧ぐにふさわしい方です。

 

汝はたえず進んでおられますが、にもかかわらず

ご自身を愛する者と時を共有しておられます。

たえず進んでおられますが、

汝より遠ざかった者からは離れたところにおられます。

 

御父と御子と共に

分かたれぬご性質を宿しておられる方。

ご自身によっても、そして御父、御子と共にあっても、

一つのペルソナであられるお方。

 

汝のご本質は一つであられます。

ああ、汝は二つのご位格と

なんと分かちがたく結びついておられることでしょう!

汝は全能にして自由なるお方です!

 

F.W. Faber, The Holy Spirit(私訳)

 

主への畏れ

 

汝に対する私の畏れは、おお主よ、

わが血流を奔るいのちのように感喜しています。

愛の神聖なる痛みの一つである、この畏敬。

 

人生のさまざまな道程の中で、

神の御目の下に、

あるいはかしこみ、あるいは慄きはばかる

甘美なこの畏敬の念のごとく、

魂を喜ばすものはありません。

  

おお、汝は大いにおそれらるべきお方であり、

溢れんばかりに祝福を注いでくださる方です。

 

畏れは愛、そして愛は畏れ。

その内外を 両者は行き巡っています。

しかし畏敬をもたない愛よりは

畏れの内にこそ より一層の喜びがあります。

 

汝を畏れることの少ない人の内にはまた、

汝に対する愛もわずかなのです。

 

おお主よ、もし愛が汝の魅力ならば、

畏れは、汝の聖触そのものです。

 

F.W.Faber, The fear of the Lord(私訳)

 

神の永遠を想う

 

おお主よ、私の心は憔悴しています。

絶え間ないこの移り変わりに。

 

月日は、

そのせわしい流れと雑多な連なりのうちに、 

冗長としつつも

迅速に過ぎ去っていきます。

 

しかしそのような変遷は、汝のうちには

見いだされず、

静けき汝の永遠のうちに

こだまを呼び覚ますこともありません。

  

慕わしい主よ、

私の心は病んでいます。

ひっきりなしに過ぎ行くこの時間に。

 

悲しみは緩慢として去らず、

喜びは、ほんの束の間。

そして投げかけられた影は

あまりに尊大です。

 

生きとし生けるものの「時」は

汝とはまったく異質のものです。

にもかかわらず、汝の永遠に

私たちもまた与っているとは!

 

おお、変化と時は嵐です。

 

人の人生は、細くもろく

移ろいにより、恵みの働きは

形が損なわれます。

 

時は頑強であり、

激しい海波のように

汝の永遠という岸を

浸食しているようにさえ感じるのです。

 

ああ、なんというもろさよ。脆弱さよ。

おのれの所有しているものを 

保つことはかなわず、

 

若さはもはや見いだされず、

求めずとも老いはやって来ます。

おお、このもろさこそ

わが心をもっとも深刻に疲労させるものです。

 

しかし最も脆弱な心であっても

その思いを汝にはせることができます。

そして汝の永遠を想うことは

私たちの魂を強めます。

 

汝には若さはありません、偉大な神よ!

なぜなら、汝は、はじまりのない終りであられるからです。

汝の栄光それ自身のうちに宿り、

今も、ご自身の静寂な御心のうちに 

お住まいになっておられます。

 

どんな年紀も、汝の上に

その外面的な歳月を積み上げることはできません。

慕わしい神!汝はご自身が、

汝の永遠そのものであられます!

 

終点もなく縛りもない。

汝のいのちは、光のうちに無限に拡がっています。

 

そして私たちのいのちは、

汝のその命の息吹を至る所に感じています。

 ――弱さは強められ、

われわれの闇に光が照らされつつ。

 

神の偉大さ。

しかし、それは荒野でも海でもなく、

全き永遠という静けき喜びです。

 

おお、偉大なる汝は、はるか彼方の

御座に着かれています。

にもかかわらず、汝の力と愛のうちに、

私たちもまた、その嗣業に与っています。 

 

そうです、その愛こそが

私のために 永久(とわ)の庵を

備えてくださったのです。

 

被造物をかようにも

やさしく覆ってくださる汝のなんと恵み深いことよ!

汝の雄大さこそ、われらの求めている隠れ家です。

  

汝の永遠性のうちに

自己のあらゆる思いを沈めることは

なんという至福でしょうか。

 

自分自身に疲れ切り、主よ、私はまいります。

私はわが生をかくも性急にせわしく生きてきました。

今やそういった歳月は 

私を永遠の故郷へと、より近づけるものとなりました。

 

さらば、地上のはかない悦びよ!

さらば、主のものではない あらゆる愛欲よ!

 

麗しい神!

汝だけがわが心の歓喜となり、

汝のご威光だけが、わが唯一の至福となりますように。

  

おお、永久の懐に包まれ、

汝とともに私たちも 

倦疲することなく憩いつづけるのです。

 

F.W. Faber, The Eternity of God(私訳)

 

神聖なる威光!

 

栄光と驚異に満ちたお方、

神聖なる威光!

永遠なる雷鳴のとどろき。

 

おお、その雷光のまばゆさ!

果てしない海、誰が汝を測ることなどできましょう。

汝ご自身の永遠が、汝を囲んでいます。

神聖なる威光!

 

永久(とわ)、無限、単己、孤高、

にもかかわらず、至高なる三つ(みつ)。

汝は 荘厳にして常に、三つにいます唯一の神であられます!

 

雄大さと栄光のうちに孒然(けつぜん)とされているお方。

この驚くべき汝を、

畏れ多い三位一体の神を、

語りつくすことなどできましょうか。

 

はじめもなく、

決して「昇った」ことのない永遠の太陽であられる主。

広漠とし、慕わしく、どこまでも愛しいお方。

決して暮れることのない日!

 

ご自身の栄光より流れる至福を味わい、

汝は、永遠に生き、永遠に存在し、

決して衰えることのないいのちであられます。

 

汝の存在自体が

自らのうちに照り輝く炎でとこしえに満たされており、

ご自身のうちで、聖油を純化しておられます。

 

被造物を賛美することなく、

御姿を覆うことなく、

神よ、汝は常に不変であられます!

 

非被造的な汝の朝明けの中で、

私は、震える一つの星のように

はるか遠くにかすかに輝く被造界の夜明けを見つめています。

 

与えるものも、受け取るものもない。

変化していくものも、断ち切られるものもない。

――時の柵ごしに彼方を待ち望みつつ。

 

さざめく光輝の波

栄光に次ぐ栄光が流れる。

偽りなくどこまでも透明な光!

 

祝福、讃美、敬拝が

うち震える国々より、汝に捧げられています。

おお神聖なる威光!

 

Frederick.W.Faber, Majesty Divine(私訳)