巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

中東の小さな〈窓〉から見えるもう一つの世界ーー列強大国の狭間を生き延びてきたアルメニア人クリスチャンの豊かな遺産

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アルメニアの教会ーーアララト山を背景に。出典

 

目次

 

アルメニア人クリスチャン?

 

みなさんは、アルメニア人クリスチャンについてどこかで読んだり聞いたりしたことがありますか?私は日本にいた時、アルメニアもアルバニアもスロベニアもブルガリアも、とにかく東欧の辺りにごちゃごちゃある「~ニア」で終わる国々のことはほとんど知らず、区別さえついていない状態でした。(sorry!)

 

しかしギリシャに来て、まず、20世紀に中東イランで信仰復興が起こった時に、アルメニア系クリスチャンがどれだけ重要な役割を果たし、また迫害と苦難の道を歩んできたのかについて知り、感動を覚えました。

 

また、アテネには大きなアルメニア人正教コミュニティーがあり、至る所でアルメニア系の人々を見かけるようになり、さらに関心が高まっていきました。また、ギリシャ人と結婚し長年アテネに住むアルメニア人のおばあさんとも友だちになり、今まで知らなかったさまざまな事を学ぶ機会が与えられました。

 

アルメニア人キリスト者たちに関しては興味深いことがありすぎて、何から書き始めたらよいのか分かりませんが、とにかくこの記事では、これまで私が学び、見聞きしてきたアルメニア人キリスト者たちの信仰や物の見方・世界観などに触れ、かねて日の当たらないこの少数派キリスト者たちの魅力をみなさんにシェアできたらと思います。

 

世界最古の教会の一つ

 

伝承によると、イエス・キリストの使徒タダイとバルトロマイにより、アルメニアの人々に初めて福音が伝えられたとされています。そして301年、(つまり、313年のミラノ勅令に先立つこと10年以上前に)、アルメニア王国は世界に先駆け、キリスト教を公認し、国教に定めました。*1

 

下は、アルメニア語での聖書朗読 VTRです。(詩篇23篇とヨハネ10章)。

 


画面に映っている文字を見てください。ユニークな形をしていますよね?早期から福音が伝えられていたものの、アルメニア人には未だ民族の文字がありませんでした。そのため、彼らは当初ギリシャ文字やアッシリア文字を使って書いていましたが、その後、404-406年頃、メスロプ・マシュトツ(Մեսրոպ Մաշտոց)という人が、アルメニア文字を創始したそうです。こうして、新約聖書と箴言が自国語に訳されました。*2

 

聖メスロプ・マシュトツ(出典

 

しかし当時のアルメニアは、地理的に東ローマ帝国とサーサーン朝ペルシアという二大勢力のちょうど緩衝地帯に位置していたため、両勢力の狭間の中、隣国からの分割を二度にわたり余儀なくされました。そしてついに428年、王制の廃止とともにアルメニア王国は滅亡してしまいます。

 

しかし国がなくなっても、彼らの信仰はなくなりませんでした。そしてその後も、彼らキリスト者たちは、ゾロアスター教を信奉するペルシャ側の過酷なキリスト教弾圧に耐え続けました。*3

 

「単性論者」という悲しきレッテル

 

レッテルというのは怖いものです。なぜなら、レッテルの名称は多くの場合、対象の実体を正確に反映し切れておらず、そればかりか、レッテル用語というのは時の経過と共にひとり歩きを始め、やがてその語は、相手や相手のあり方を(不完全なる理解のまま)完全拒絶していく危険性を秘めているからです。

 

カルケドン公会議の開かれた451年は、アルメニア正教会(=アルメニア使徒教会)にとって決定的に重要な意味を持つ年となりました。まず第一に、当時、アルメニアでは宗教弾圧に対するペルシア側への大規模な叛乱が発生しており、彼らは、自分たちの代表を公会議に出席させるだけの余力を持っていない状況にありました。

 

そしてアルメニアからの代表不在のまま開かれた公会議で、「アルメニア人の信仰する ‟単性論” は異端だ」ということが裁断されました。単性論というのは、キリストのうちに人性と神性の二つの性(ナトゥーラ)が独立して存するとするキリスト両性論に対し、受肉によって人性は神性に融合されて一つの性(神性)となったとする説のことを指します。*4

 

そしてこの公会議を境に、アルメニア正教会と、東方正教会は離別の道を歩んでいくことになります。(‟単性論教会”と裁断されたのは、他にも、コプト正教会、シリア正教会、エチオピア正教会があります。)

 

しかしながら、アルメニア正教会も、コプト正教会も、自分たちの教説を単性論と見なされることを不当とみなしています*5。つまり、「あなたたちは、異端的な単性論者です」という外からの非難に対し、当人たちは、「いいえ。それは誤解です。私たちはあなたがたが考えているような者ではありません。」と抗弁しているということです。

 

ああ、互いに対するこういった誤解や行き違いがキリスト教会史の中でどれほど頻繁に繰り返されてきたことでしょうか。私の友人であるアルメニア人のおばあさんは、‟単性論者”のレッテルがどれほど大きな溝と悲しみの源となってきたのかについて、次のような実体験をシェアしてくれました。

 

私はばい菌のような「異端者」なの?

 

彼女(Aさん)はエルサレム旧市街のアルメニア人地区で生まれ育ち、成人後、ギリシャ人の男性に求婚され、ギリシャにやって来ました。

 

婚姻届けの手続きのために役所に行くと、事務員が彼女のプロフィールをタイピングし始めました。しかし宗教の欄にさしかかり、彼女が「単性論教会」に属するアルメニア正教徒であることを知るや、この事務員の態度は豹変しました。

 

そして、「単性論者, Μονοφυσίτες」という語をタイプする度に、「Ω, Θεε μου, συγχώρησέ με!(おおわが神よ、〔こういうおぞましい不浄語をタイプしなければならない状況にある〕私を赦し給え!」と言いながら、両手で自分の襟を掴み、襟下にシュッシュッと唾を吐きかけるような拒絶の動作を繰り返しました。

 

そしてAさんに向かい、「ギリシャ正教会での婚姻を望むなら、あなたは正式にギリシャ正教に帰正し、もう一度バプテスマを受け直さなければならない。」と言い渡しました。すると、新郎であるご主人が、「うちの妻をばい菌のように取り扱うとは何ごとか!」と激怒し、事務員との間で喧嘩になり、大騒動になったそうです。

 

「異端的な」十字架

 

それから数年後、Aさんはギリシャ国内のある修道院巡礼ツアーに参加しました。バスの中には案内役の司祭(パパス)がおり、彼は、Aさんが首から架けている十字架のペンダント(アルメニア人の親戚がプレゼントしてくれたもの)に気づくと、彼女の元にやって来てこう言いました。

 

「夫人よ。あなたのぶら下げている十字架は異端的です。」

驚いた彼女はパパスに言いました。

「異端的?この十字架が?どういう事ですか。私にはあなたのおっしゃっている意味が分かりません。」

「この十字架は単性論教会のデザインであり、この形は異端的なのです。」

「でも、パティール。イエス様が十字架にお架かりになった時、その十字架は銀やメッキや精巧なデザインで縁取られていたのでしょうか。それはむしろ、単なる木(wood)だったのではないでしょうか?」

 

Aさんは絶望しました。「そしてこの瞬間、自分は、キリスト教そのものに対する信頼と信仰を失った」と彼女は述懐しています。

 

興味深いのは、その後起こったことです。それから数十年経ったある日、彼女は車の中で偶然、キリスト教伝道者のラジオ説教を耳にし、そこで語られているいのちの福音によって霊的に蘇生しました。

 

彼女は最初、この説教者がギリシャ正教会のパパスだとばかり思っていたそうですが、意外なことに、彼はペンテコステ派という「キリスト教異派」の牧師でした。

 

異端とばかり思っていたこの派の人が、案外、「まともな事」を説いている事実に彼女は驚きました。以前の記事で、ペンテコステ派から東方正教会に転向したバルナバ神父のことをご紹介しましたが、Aさんはバルナバ神父とは逆コースの、「正教⇒プロテスタント」への転向をしました。面白いですね。

 

離れても、いつかきっと再会するーー何千年の分離の後に互いに歩み寄りつつあるアルメニア正教会と、東方正教会

 

役所でばい菌のように取り扱われたあの日から半世紀余りが経ちました。感動的なことに、1500年以上の離別の後に、現在、両教会の歩み寄りがなされているそうです!

 

2014年には、東方正教会の各代表と、‟単性論” 諸教会の各代表がアテネに集合し、和解と相互理解に向けた対話が始まったというニュースを読みました。

 


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出典

 

「20世紀以降、それまで『単性論』を異端としてきたカトリックや東方正教会では、単性論教会との対話が進んでおり、双方の違いは決定的なものであるというより、表現の上での問題であるとするこのような主張が真剣に考慮されるようになってきている。」*6

 

アルメニア正教会の典礼はどんな感じなのかな?

 

典礼は、だいたいにおいてシリア正教会やコプト正教会と類似しているそうです。典礼言語はアルメニア語で、その様式は、荘重で保守的です。また聖歌にパイプオルガン等の伴奏楽器を用いる教会も存在するそうです。下が、典礼のビデオです。

 

 

このビデオの中で教会の壁画(イコン)が映されているのですが、ギリシャ正教会やロシア正教会のイコンとは随分様相が違っているのに気づき、興味を持ちました。例えば、下は古代アルメニア正教会のイコンです。

 

 

出典

 

カタコンベの壁画ともどこかしら連続性を感じるのは私だけでしょうか。

 

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出典

 

それから、下は14世紀のイコンだそうです。(Akhtamar 修道院、製作者:Tzerun

 

出典

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出典

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こう表現しては失礼なのかどうなのか分かりませんが、なんとなく可愛いイメージがありません?アルメニア人の霊性や美的感覚の一端を垣間見る思いがします。

 

同じ教義や典礼の伝統の中にあっても、こうして各地域・文化ごとに多様性が映し出されているのは、とても麗しいことではないかと思います。なぜなら互いの間に存在するこういった違いは神の内にある豊かさの顕れに他ならないと思うからです。

 

終わりに

 

さて、どうでしたか?アルメニア人クリスチャンという存在が前よりも近くなった感じがしますか?そうだといいです。キリスト教史もその他の歴史と同様、多数派(‟正統派”)からの視点で歴史が書かれる場合が多く、少数派の人々の声はなかなか私たちの元に届きません。

 

でもかねて隅っこの方に置かれている人々の視点や見解に耳を傾けてみるとき、私たちはそこに、自分たちが普段見過しがちな意外ななにかを発見し、感動します。

 

そして、もしかしたら、私たちの地域や教会の中にも、知られざる〈アルメニア〉が存在するのかもしれません。願わくば、私たちの繊細な気遣いと歩み寄りによって、相手の内に存在するキリストの豊かさが今後さらに発掘されていきますように。

 

ー終わりー

*1:参照

*2:参照

*3:参照

*4:参照

*5:関連資料

*6:参照