巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

難民キャンプ、バラバラな教会、そして神の憐れみ

難民キャンプというのは、人間の悲惨がビジュアルに凝縮された場所だと思います。外的要因(堕落した世界、戦禍、災害、圧制、不正、汚職、迫害、不均衡)と人間の罪性(暴力、むさぼり、自己中心、差別、偏見、反逆など)が複雑に融合した結果、人はそこにむき出しの醜悪と人間の哀しみをみます。

 

テントの中では、夫と妻が争い、テントの外では民族間の敵意と暴力が絶えません。トイレは最悪に不潔で、人々は蔓延する自分たちの汚物のばい菌によって病を患います。人間はとことん病んでおり、病んだ人間たちが集まるところには絶え間ない分裂と誤解と争いと無秩序が在るという現実を難民キャンプは如実に物語っているように思います。

 

茫然とキャンプを見わたす時、私は時々思うのです。もしかしたら、神の目に、バラバラになった私たちの教会もこのように映っているのかもしれないと。

 

いかようにしても人は互いに一致することができず、ーー人間の最大の善意と尽力をもってしてもーーさらなる分裂と混沌を免れ得ないという生々しいメッセージを、難民キャンプとバラバラの教会は世界に証言しているように思います。罪がかくまでリアルな現実であり、これを直視することなしのいかなる社会的・宗教的事業もそれは所詮むなしい幻想にすぎないという厳粛な事実の前に、リベラルな楽観主義は霧消します。

 

難民キャンプとバラバラの教会はある意味、現代人の内的世界の投影であるのかもしれません。汚物と臭気。内在的閉塞感と集団の中での圧倒的孤独。分室化と分裂の制度化。そして、、、そんな滅茶苦茶な世界において、今日も、人が救われていっています。難民キャンプの土埃の中で、主は実に驚くべきかたちで人の心に御業をなしておられます。そしてバラバラな教会の混沌のただ中に、受肉された神の子イエス(ヨハネ1:14)がおられ、苦悶に呻く魂に、十字架の血のしたたる愛の御手を今この瞬間にも差し伸べておられます。Lord, have mercy.