巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

Ιωάννης ο Χρυσόστομος の訳語「聖金口イオアン」について少しだけ感想を述べさせてくださいね♡

 

聖ヨハネス・クリュソストモス(St. John Chrysostom)にはいろいろな訳語があります。

ーヨハネ・クリュソストモス

ーヨハネス・クリソストムス

そして日本正教会は、この人名を、聖金口イオアン(せいきんこうイオアン)と訳しています。

  

Χρυσόστομος 〔χρυσός(ゴールド、金)+ στόμα(口)〕

クリュソス(金)+ストマ(口)だから、⇒「金口(きんこう)」。それは分かります。

 

でも、、、私の想像力が豊かすぎるのかもしれませんが、この漢字直訳語をみると、なんだかゴールドの金箔をぐいっと思いきりよく塗った巨大な口がギラギラ光っているーーそんなイメージがどっと脳裏に押し寄せてきてしまうのです。ああ、こんなことではいけない、と思い直そうとしても、また翌日には同じイメージが襲ってきます。

 

私も翻訳者としてこういう点でいろいろ悩む時があります。つまり、何をどれくらい「忠実に」「逐語的に」訳すかという問題です。例えば、Χρυσόστομοςは、古典語の辞書では、形容詞 χρυσόστομος, -ον「〔主として修辞、レトリックにおいて〕雄弁な」として記載されています。(Αθανάσιος Φραγκούλης, Λεξικό της Αρχαιάς Ελληνικής。またこの形容詞は、現代ギリシャ語辞典にも載っています。

 

ですから、ネイティブのギリシャ人の語感でいえば、クリュソストモスという音の響きの中に、「雄弁」という意味が自然な形で織り込まれているのだろうと思います。また確かに日本語の「金口」にも「雄弁」という意味があります。だから、それにSt.(‟聖”)をつけた聖金口イオアンという訳語は実際、ほんとうに正確な訳し方なのだと思います。

 

でも、、(ここが翻訳の難しさであり、同時に醍醐味でもあるのかと思いますが)、一つの言語からもう一つの言語への変換作業には、一種、芸術(アート)という側面もあると思うんです。クリュソストモスというのはギリシャ語のあだ名であり愛称です。それで、ある場合にはかえって訳さずにそのままカタカナ表記する方が原語のニュアンスをより原型のまま保存できる場合もあるように思うのです。どうでしょうか。

 

例えば、プロテスタント界にも雄弁で有名な人がいました(チャールズ・スポルジョン)。そこで人々は彼に「説教界のプリンス」というあだ名をつけました。これをギリシャ語に逆翻訳すると、クリュソストモスになるんじゃないかなと思います(Σπαρτζίον ο Χρυσόστομος)。では、彼は「金口スポルジョン」なのかというと、うーん、やっぱり「説教界のプリンスーースポルジョン」の方がぴったりきます。

 

でも正教会の場合は、この語が聖体礼儀という最も深遠で重要な典礼(聖金口イオアン聖体礼儀)に関わっているので、やはり訳語の選択には相当の熟考がなされたのだろうと想像します。ですからその選択に最大限の敬意を払いつつも、やっぱり、私には「金口イオアン」という漢字の響きは、、、いまいちです。(ごめんなさい!)

 

それから、The Divine Liturgy of St. John Chrysostomのことを「聖ヨハネス・クリュソストモスの典礼」と訳すのは間違いであるという日本正教会の見解*1も興味深く読ませていただきました。


「各国語で"του Χρυσοστόμου"(ギリシャ語)"of St. John Chrysostom"(英語)という修飾語がついている場合、金口イオアンの名の修飾を伴う奉神礼は他に存在しない以上、"Liturgy" に聖体礼儀以外の意味は有り得ない。」という理由で、liturgyを「典礼」と訳すのは誤りであるというその説明部分は分かりました。


それでは、、、「聖ヨハネス・クリュソストモスの聖体礼儀」もしくは「聖イオアン・クリュソストモスの聖体礼儀」という訳語はどうでしょうか?こちらはOKでしょうか。

 

礼拝(奉神礼、典礼、ミサ)という聖なる空間にかかわる単語は、ーー翻訳語を含めーー気をつけて見ると、一つ一つ奥が深いことが分かります。それが聖なる神に属する事柄であるからこそ、私たちはそれらを軽くあしらわず、大切にし、そして、こだわる部分にはちょっぴりこだわってみることも、時にはいいのかもしれません。

*1:以下、正教会の聖体礼儀の項より引用します(引用元)。:英語の"Liturgy"には「奉神礼」(「典礼」に相当する正教会の訳語)・「礼拝」の意味がある事から、金口イオアン聖体礼儀(The Divine Liturgy of St. John Chrysostom)のことを「聖ヨハネス・クリュソストモスの典礼」「聖ヨハネ・クリュソストムの典礼」等と訳出するケースが一般に散見されるが、これらは誤訳である。たしかに、正教会においても"Liturgy"(英語)は、狭義では「聖体礼儀」の語義がある一方で、広義には「奉神礼」という語義がある。しかし英語の"Divine Liturgy"は正教会にあってはこれ以上の修飾語を伴わずとも聖体礼儀を指す語である。また、各国語で"του Χρυσοστόμου"(ギリシャ語)・"Иоанна Златоуста"(ロシア語)・"of St. John Chrysostom"(英語)という修飾語がついている場合、金口イオアンの名の修飾を伴う奉神礼は他に存在しない以上、"Liturgy"に聖体礼儀以外の意味は有り得ない。つまり「聖ヨハネ・クリュソストモスの典礼」との訳については、①カトリック教会の用語である「典礼」を、正教会の奉神礼に適用している。②「典礼」という広義に過ぎる用語を用い、"Divine Liturgy"が意味するものが聖体礼儀以外には有り得ない事を認識していない。ーーという、二重の誤りが存在する。なお、聖体礼儀を「正教会のミサ」と呼ぶケースも稀にみられるが、正教会の聖体礼儀をミサと呼ぶ事は英語圏でも少数例にとどまり、世界各国の多くの正教会で「ミサ」と呼ぶ事は無いか極めて稀である。