目次
はじめに
1コリント11章の「祈りのベール」は、使徒時代以降、すべての伝統諸教会で受容・保持され、また主流プロテスタント諸教会*1でも60年代頃までは普遍的に堅持されてきた慣習です。
それで今日は、「私もベールを始めたいけど、うちの教会の人は誰もやってないので、すごくやりにくいし、恥ずかしい。どうしよう」と悩んでおられる方の元気づけになるような記事を書いていこうと思います。
まずは家の中で始めてみましょう!
いきなり教会でバサッとベールをかぶるというのは、考えただけでも恐ろしいですよね!ですから無理をせず、自分にプレッシャーをかけないためにも、まずは家で始めてみるのはどうでしょうか。
朝起きて、デボーションをする時に頭を大きめのハンカチやスカーフなどで軽く覆ってみます。そして鏡をのぞきこんでみます。どうですか。マトリョーシカのような気持ちになりませんか?なにか分からないけれどルンルンとしてきます。多くの女性は、ベールをかぶると、清くフェミニンな思いが内側から湧き起こってくると言っています。また別の女性たちは、主の臨在をもっと近くに感じるようになったと言っています。
美
それでは下の絵をみてみてください。
「御使いの歌」William Adolphe Bouguereau作(1881)出典
赤子を抱き、白いベールをかぶっている女性に三人の御使いたちが歌いかけています。うっとりみとれるほど美しい光景です。
The Virgin of the Grapes フランスの画家 Pierre Mignard の作品(1640)
改革長老派からカトリシズムに転向したピーター・クリーフト氏が証しの中で、「私はカトリック教会ーー特に中世カトリックの世界にーー審美的なものを見い出した。なぜこんなに美しいのだろうと私はこの世界に惹かれずにはいられなかった」と言っておられました。私は彼が言わんとしていることがなんとなく分かるような気がしました。
でもこの「美しさ」は、本来、中世カトリック世界だけのものではないと思います。神様は美を創造された方であり、被造物である私たちが美しいものを美しいと感じ、それを尊く思うのはすばらしいことであり、神の宮であるキリスト教会の中にそういった美の要素があるのは自然なことだと思います。
ですから、現代プロテスタント教会一般に、そういう意味での美が欠如しているように感じられるのは、プロテスタンティズムの中に元々それが無いからではなく、それは内在しているのだけれど、表層的世俗文化に押されてしまって、本来キリスト教遺産として私たちが受け継いでいるものが「見えなくなってしまっている」というのが現状ではないかと思います。
神様が私たち女性のために備えられた祈りのベールは、主への崇敬の念を表すと共に、それ自体が「美」だと思います。つまり、ベールは、クリスチャン女性の信仰の実践であると共に、神の創造の中にある美の世界でもあるということです。主の前にあって、御使いの前にあって、そして被造物の前にあって、私たちは身も心も美しくありたいと願います。
クリエイティブに楽しく
被造界をみていると、神様の造られたさまざまな色彩の豊かさに驚かされます。なぜ鶏のてっぺんは赤くて、クジャクのとさかは真っ青なブルーなのでしょうか。なぜ巨大なゾウは灰色一色なのに、ちっちゃなメジロには緑と黄いろと白色三色が使われているのでしょうか。考えれば考えるほど不思議です。
「主よ。あなたのみわざはなんと多いことでしょう。あなたは、それらをみな、知恵をもって造っておられます。地はあなたの造られたもので満ちています。」(詩篇104:24)。
創造主なる神は、被造界をさまざまな色で綾取っておられます。それは見ているだけで楽しく、私たちの心をなごませます。そして主は私たちに創造性(creativity)を与えてくださっています。
1コリント11章には「女性は祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けなさい」(5-6節)という指示はありますが、具体的にどのような種類のベールをしなさいという詳細な掟は書かれていません。ですから、私たちは清く崇敬な思いの内に、自由にクリエイティブにベールを選択し、また創作していくことができると思います。
いろんなサイズがあっていいと思いますし、素材や色やデザインもみなさんが好きなものを自由に選べばいいと思います。黒髪の日本人には黒いベールもなかなかフィットしているようです。
そして下はアイボリー色。
それからこんなにあざやかなローズ柄のベールもありますよ。
青色の服に合わせたブルーのベール。
それから最後に、とってもかわいい写真♡。
どうでしょうか。なんだかワクワクしてきましたか?そうだといいです!新約聖書の祈りのベールの慣習には途切れることのない2000年以上の歴史がありますが、御霊の力により、それは常に新しく私たち信仰者の女性たちの心に臨んできます。それは旧いいにしへの道でありながら、それと同時に私たちを未知の領域へと導く冒険心に富んだ新しい道でもあるのです!
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