巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

根無し草


上は、ロシア正教会の奉神礼/典礼のビデオなのですが、これを観ていただくと、信徒たちで構成された聖歌隊が歌っています。エヴァンジェリカル教会の賛美チームの配置(通常、ステージ前方)とは違い、ロシア正教会の信徒聖歌隊は、会堂二階の後方におり、会衆からは完全に見えない位置で合唱しているのがとても印象的でした。

 

ステージの前で歌おうと二階席後方で歌おうと、会衆一人一人が「霊とまことによって」(ヨハネ4:23)主を礼拝することができるのなら、歌い人たちの物理的ポジションは二次的事項なのだろうとは思います。

 

ただ私の素朴な疑問は、「パフォーマー、観客、ステージ」で成り立つコンサート形式を、教会は世俗興行と共にどのくらいシェア(or "redeem")できるのかという点と、あともう一つは、礼拝というのはそもそもコンサートなのかという問いです。

 

私は自分の教会伝統が過去のある時点で、ロシア正教会と同じように、会堂二階後方に聖歌隊を配置していたのかどうかを知りたいと思いました。でも探し出すことができませんでした。頭をひねりつつ一生懸命、自分が過去に訪れた教会の礼拝のことを考えましたが、そこからもヒントは与えられませんでした。それで、、気が付くと涙がぽろぽろ流れ落ちてきました。

 

私は他の多くの友だちと同じように、CCMポップ礼拝しか知らない世代の人間です。私たちの世代のクリスチャンの多くは、キリスト教会の歴史的ルーツから切り離されたコンテンポラリーな環境で育ってきました。過去の伝統に溯ろうとしても、何も見えないし、何も聞こえない。

 

エヴァンジェリカル教会の礼拝がコンサートでなかった時代があったのでしょうか。もしそうだったら、私はそのことをもう少し知りたい。私たちは、他の伝統諸教会の人々が指摘するように、本当に「根無し草」なのでしょうか?私の頭は「そうじゃない」と弁明し、私の心は泣きながら「もしかしたらそうかもしれない」と言っています。