巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

教会は宗教改革を「悔い改める」べきか、それとも「回復させる」べきか?ーープロテスタント界の解釈学的アナーキーとその解決に向けての省察②(by ケヴィン・ヴァン・フーザー、トリニティー神学校)

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1519年にライプツィヒで行なわれた公開ディベート。マルティン・ルター vs ヨハン・エック

 

目次

 

Kevin, J. Vanhoozer, Biblical Authority After Babel, Retrieving the Solas in the Spirit of Mere Protestant Christianity, 2016.

その①からの続き。

 

「キリスト教の危険思想」(アリスター・マクグラス)

 

アン・ハッチンソンの事例をみると、なぜアリスター・マクグラスが「キリスト教の危険思想」について語っているのか十分に納得がいきます。彼はダニエル・デンネット著『ダーウィンの危険思想:進化論と人生の意味』のタイトルをもじり、このフレーズを用いています。*1

 

ダーウィンの危険思想というのは、「デザイナー(企図者)を据えることのない非人格的自然淘汰の過程を通し、われわれは、自然の中にデザインを把握することができる」という仮定にありました。

 

マクグラスは、分子遺伝学および歴史神学の分野でそれぞれ博士号を取得している学者ですが、彼はデンネットのタイトルからさらに応用させ、プロテスタンティズムを微生物ーー迅速な突然変異の可能なウイルスーーと比較しています。これらの微生物は適応能力に秀でており、それゆえに、広範なるさまざまな状況下でも生存していくことができます。

 

マクグラスは、万人祭司説を、鍵となるプロテスタント遺伝子もしくは「ミーム(meme)」とみており、このミームは、人から人へ、文化から文化へ、国から国へと、遺伝を介してではなく文化的複写を通し拡がっていく思想、価値、もしくは実践のことを指します。宗教改革期には印刷術の発達によりこのミームは伝播していきました。 *2

 

それにしても、、プロテスタンティズムのストーリーを、一つの世代から次の世代へと伝えていく「ミームの伝播」として語るのは、なんとも救われない感じがしますが、マクグラス師はあくまでもこのメタファーに固守しており、新しい諸発展という予測外の出来事(例:ペンテコステ運動)に合わせ、出来事を突然変異させ、また新状況に自らを順応させていくるプロテスタントの能力のことを論じています。

 

こういった進化論的モデルの例を引き合いに出しつつ、マクグラスはプロテスタンティズムの本質に関し立場を明確にしています。「単一にして、明白なるプロテスタントのテンプレート、ゲノム、ないしはパラダイムというのは存在しない。」*3

 

また「これまで決定的にプロテスタンティズムが定義された歴史的瞬間というのが存在する」という考えを彼は拒絶しています。それとは反対に、プロテスタンティズムの本質は動的であり、「聖書に照らし、絶え間なく自己検証をし、自らを修正していく意思」にあると彼はみています。*4

 

プロテスタントであるということは、聖書的であろうとすることを意味しますが、にもかかわらず、「聖書的である」ということに関するどんな方法も、他の人々を裁断する基準として用いることはできないのです。そしてこの点が、マクグラスに言わせると、プロテスタンティズムを危険なものにしています。

 

なぜなら、「突然変異を繰り返し体中に拡がっていきつつある、制御の効かない細胞分裂」は癌以外の何だと言うのでしょうか。そして実にこれこそ、批判者たちの、万人祭司説に関する宗教改革的観念への評価なのであり、それはマサチューセッツ湾植民地を脱構築しかねなかった程危険な種類のミームだと彼らは考えているのです!

 

ルターもまた、自薬の味を味わいました。1525年の農民戦争は、彼に、自分の採っている立場がもたらし得る結果を如実に示しました。ーーそう、ラディカルな宗教的個人主義です。

 

マクグラスは記しています。「もはや手遅れ状態になっていましたが、ルターは、(彼を始めとする)権威を授与された宗教的指導者および、聖書解釈における諸機関の重要性を強調しました。しかし、彼の論敵たちはルターに問いかけました。『一体誰が、こういった権威筋(プロテスタント指導者たち)に、"権威を授与"したのか?』と。*5」確かにこれは的を射た問いです。

 

こうして私たちは、本書が正面から取り組もうとしている課題に行き着きます。ーー教会は、この"危険な"プロテスタント思想を「悔い改める」べきなのでしょうか、それとも「回復させる」べきなのでしょうか。プロテスタントの原則である「聖書のみ」はいまだかつて私たちの間にコンセンサスをもたらすことができていたのでしょうか?それともそれは常にカオスをもたらしてきたのでしょうか?

 

果たしてプロテスタンティズムは、二重安全装置を内蔵しているのでしょうか?--つまり、未チェックのまま放っておかれると、キリストのからだを破壊する癌ともなりかねない、聖書の雑多な解釈の蔓延を未然に防ぐ(制御する)装置ーーを内包しているのでしょうか?そして宗教改革は「解釈的アナーキズム」を世界に解き放ってしまったのでしょうか。

 

私たちの宗教改革の父たちの(故意によるものではなかった)悪行を悔い改める??

 

複雑な諸問題に対し、決まりきった型通りの答えを出してもそこに益がありません。聖書の至高権威に対する是認という点で互いに一致をみている人々の間にさえ、聖書が実際何を言っているかを巡り、しばし意見の食い違いがあるというのは確かに不快な事実です。

 

ですから問われるべきは、そういった解釈上の不一致を私たちがどのように考え、またいかに解決していくべきかにあります。この章の副タイトルに(『オズの魔法使い』から取った「ライオンと虎とクマーーおお、どうしよう!」)は、そういった挑戦の範囲を視野に入れたものです。

 

癌のように手に負えないプロテスタントのミームは、(モダニティーの戸口にかがんでいる)〈懐疑主義〉という名のライオン、〈世俗化〉という名の虎、そして〈分派分裂〉という名のクマをドッキングさせています。

 

そして〔批判者たちによると〕、これらはーー故意にではなかったけれどもーーやはり宗教改革のもたらした負の結果だとされています。そしてもちろん、他の人々は、宗教改革者たちが(不本意ながらも)教会誹謗およびローマ教皇への人格攻撃などを行なったと批判しています。

 

しかし彼らが受けているさまざまな批判の中で私が彼らの無罪を明かそうとしているのは、解釈学的無謀さ、および伝承に対する法外な無頓着さという告発です。さて、まずは宗教改革者たちに対し、現在、どのような種類の訴訟が行われているのか、三人の証人の証しに耳を傾けてみることにしましょう。

 

批判1)宗教改革は世俗化を生み出した。(ブラッド・グレゴリー)

 

宗教改革に対する最近の最も重大な批判は、なんといっても、ブラッド・グレゴリーの『故意によるものではなかった宗教改革:いかにして宗教的革命が社会を世俗化させたのか*6』であり、これは威厳ある宗教改革に対する威厳ある脱構築の試みです。

 

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グレゴリーによると、私たちが現在置かれているこの「ハイパー多元主義」状況を理解するには過去ーー犯罪のシーンーーに溯って調べてみるしかありません。そしてここで言われている「犯罪」とは、世俗化のことであり、グレゴリーはその責めを、プロテスタンティズムの戸口に負わせています。つまり、ルターが教会権威に挑戦すべく95カ条の論題を貼り付けたあのヴィッテンベルグの戸です。

 

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そしてその言動により、ルターは、(グレゴリーが信じるところの)容認不可にして不健全な現代の状況につながる一連の出来事を導火線を切ったのだとされています。教会の最終決定に対する宗教改革の拒絶がもたらした意図せぬ結果は、「知識の統合のための共有されたフレームワーク*7」の喪失であり、その喪失がもたらした負の結果は日増しに拡大しつつあると彼は主張しています。

 

宗教改革者たちが意図的に世界を世俗化せしめようと行動を起こしたわけでないことをグレゴリーもしっかりと認めています。だからこそ彼は「故意によるものではなかった "unintended"」宗教改革とタイトルに記しているのです。

 

宗教改革者たちは、神に対する認識に関する不慮なるコペルニクス的革命を起こしました。--聖書を、神学体系の周りを公転する惑星として見る代わりに、宗教改革者たちは聖書を、神学体系全体を照らし出す太陽とみなしました。聖書を伝承に一致させようとする代わりに、聖書が自明できるようになりました。

 

ルターは言います。「私が自説を聖書に持ち込み、その自説に従うよう聖書に無理強いするなら、それはキリスト教の教えではない。それとは反対に、私は自分の意見を御言葉の教えに一致させるよう努めて自らに強いるのである。」*8

 

しかしグレゴリーが指摘しているように、問題は、1520年代以降、「ローマ教会を拒絶した人々は、結局、神の言葉が実際に何を言っているかに関し、意見を違わせてきました。」*9

 

ジュネーブのような都市や、オランダのような(後の)国民国家のプロテスタント諸教会では教義的な事項でそれなりの一致をみていたように思われるのですが、ここでもグレゴリーは、「そういった同意は往々にして政治的に動機づけられたものであり、ルターを支持したドイツ諸侯たちのような政治的権威にバックアップされていた」と論じています。またラディカルな宗教改革者たちの手にあっては「聖書のみ」の原則は、「大ざっぱな同意さえもたらすことができず、それらは、競合し、互いに両立不可能な諸解釈でまみれた上限なきものでした。」*10

 

プロテスタント的多元主義ーーそしてやがてはポストモダニズムーーは、「宗教改革の基礎づけ的真理主張からダイレクトに引き出されて*11」おり、それはつまり、個々人がそれぞれ独自に、教会の権威を離れたところで聖書から真理を読み取るという危険思想ーー聖書のみの教理に他ならないと彼は論じています。

 

それではなぜこういった解釈的状況のことを彼は「世俗化 "secularization"」と呼んでいるのでしょうか?「なぜなら」と彼は言います。「宗教改革者たちは、中世後期キリスト教の階層的世界観全体を拒絶し、それを、ーー各自が至高なる宗教権威を解釈する独立した権威を主張することを可能にするーー『聖書のみ』という平べったい像で置き換えてしまったからです。」

 

そしてこれにより「正確には聖書は何と言っているのか」を巡って最終的に宗教戦争が引き起こされ、ついにそれは、偏見なきレフリーという立場にまで、sola ratio(理性のみ)という啓蒙主義の概念が高揚されるに至りました。さらに、理性が、普遍的真理に至る特権化された経路となるや、信仰は、プライベートな領域における(主観的)意見というところまで格下げされました。*12*13

 

グレゴリーは読者が、宗教改革の失敗の全貌を把握することを望んでいます。彼の見解によると、プロテスタント教徒たちは、聖書が何と言っているかについての意見の一致に失敗しただけでなく、「何が信仰にとっての核心教理で、何がそうでないのか」を決定するための基準に関しても互いに意見の一致を見い出すことができず、結果的にそれが、「何が真のキリスト教であるのか」に関し、誰が、どのようにして決定するのかに関するさらなる問題へとつながっていったと彼は言っています。彼らの最善の意図に反し、「教会は数多くの教会に分裂していきました。("the church became the churches.")」*14

 

そしてグレゴリーは現代へと足を速め次のように続けます。「宗教改革は、意味、倫理性、価値、優先事項、目的についての真理主張に関する現代西洋のハイパー多元主義の最も重大なる歴史的源泉なのです。」*15

 

それゆえ彼はマックス・ウェーバーよりもさらに一歩、論を進めているということになるでしょう。つまり、彼によると、プロテスタントは、資本主義だけでなく、消費主義をこしらえた張本人でもあるのです。*16

 

そして、宗教改革が最終的にもたらしたのは、相反・衝突する真理主張であり、それぞれが「われらの解釈こそ真に聖書的である」と主張し、そうした上で、プロテスタント教会の買い物客たちの心と精神を自分たちの陣営に引き入れようとあくせく競合しています。

 

批判2)宗教改革は懐疑主義を生み出した。(リチャード・ポプキン)

 

思想史の研究者であるリチャード・ポプキンは、大著『懐疑主義の歴史』の中に「宗教改革における思想的危機」という章を収録しています。*17

 

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もちろん、懐疑主義というのは古代の系譜を持っており、宗教改革者たちがそれを考案したという非難は不公平なものであるし、ポプキンもそういう事は言っていません。そうではなく、彼がここで主張しているのは、宗教改革者たちは、「宗教的知識に関する適切な基準を巡ってのローマ教会との議論」という裏口から、古代の懐疑論的見解をヨーロッパに持ち込む結果をもたらしたという主張です。*18

 

ルターは1519年、ライプティヒにてヨハン・エックと公開ディベートしライプツィヒ討論*19、「キリスト教信仰の基盤は『聖書のみ』にある」ということを宣言したことにより、この裏口の戸を開きました。つまり、ルターは「教会の"信仰の規則"を否定するという重大なステップを踏み、宗教的知識に関しラディカルに異なる基準を提示したのです。」*20

 

ルターにとって、教会の伝統ーー教父たちの著述ーーを引用することだけでは、十分なる議論とは言えませんでした。「なぜならそれらは聖書の権威なしに主張されており、、、それは一意見であるかもしれないが、それを信じなければならない責務は我々にはなく*21」、それを神学的知識とはみなさない傾向にありました。 *22

 

ポプキンによると、ルターのこういった見解は、思想的危機を生じさせ、それは「西洋文明の土台を根柢から」揺さぶるものでした。*23

 

そしてルターは、合法化ゲームに関するルールを変えました。つまり、何かが真であるか偽であるかを決定する際に人が用いる基準のことです。そしてその代りとして、ルターが選んだオールターナティブな基準ーー「聖書の読みが真であると信じることを強いる〔人間の〕良心*24」ーーは、危険なほどに主観的なものでした。

 

ポプキンは、根柢に横たわるこの危機ーー認識論的ジレンマーーを、根本的基準に関する論争とみなしています。(根本的基準⇒二つかそれ以上の可能性の中から選択しようとする際に、人々が非任意に(nonarbitratily)訴えることができるところの基準のこと)。

 

もしも究極的な訴えの根拠がルターの〈良心〉なのだとしたら、誰が彼の主張に反駁できるでしょうか。そしてこれがまさに、ローマ教会にいたルターの論敵たちが恐れていたことでした。彼らは思ったのです。「もしもそれがまかり通るなら、究極的基準は主観的なものということになり、そこからカオス状況が生まれてくるに違いない。そしてその結果、皆それぞれが、制度的教会という既定の客観的権威ではなく、自分の良心に訴える権利を行使するようになるだろう。」

 

エラスムスに至っては、自分がローマ・カトリック教会に残るのは〔新教側に移ることにより〕懐疑主義に陥ることのないためであるとまで言っています。ーー聖書テキストの真の意味を確立することは決して容易なことでないのだから、やはり教会という年季を経た智慧に忠実であった方がいいのではないかと。

 

そしてポプキンは次のように言っています。「宗教改革者たちはその後も引き続き、自身の主観的で個人的な〈基準〉を正当化しようとやっきになり、それと同時に、いざ他人を計る際にはその〈基準〉を客観的な計りとして用いつつ、(同じく良心に正当化の根拠を訴える)論敵たちを異端として糾弾していたのです。」*25

 

批判3)宗教改革は分派分裂を生み出した。(ハンス・ボースマ、ピーター・ライトハート)

 

宗教改革がもたらしたとされる「故意ではなかった負の諸結果」を描写するべく、特別にオーダーメイドされた一つの形容詞があります。ーー"fissiparous"(〔生物〕分裂増殖する)という語です。実際、プロテスタンティズム批判関連の文献以外で私はかつて一度もこの単語に出くわしたことがありませんでした。

 

この語がどういう風に使われているか実例を挙げてみましょう。ブラッド・グレゴリーは次のように書いています。「プロテスタント的真理主張、神学、そして経験的知識という分裂増殖的独自性は、克服しがたい問題でした。*26」これは遠心力、もしくはより挑発的に言えば、解釈的多元主義の背後のビッグ・バンのようなものだと言っていいかもしれません。

 

そしてこの分裂増殖性ゆえに、ハンス・ボースマ(カナダ、リージェント・カレッジ)は、宗教改革のことを「誉れ高いなにかではなく、嘆かわしいなにかである*27*28」と捉えています。

 

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特に、彼は、「礼典的タペストリー("sacramental tapestry")」と彼の呼んでいるものが、〔宗教改革によって〕ビリビリ引き裂かれてしまったと嘆いています。「礼典的タペストリー」というのは、近代以前の世界観のことを意味し、そこでは可視的なリアリティーが不可視的な天的リアリティーを指し示しており、人々はその不可視的な天的リアリティーの中に礼典的に参入するのです。

 

ボースマの見解によると、寓喩的(すなわち超自然的、霊的)意味よりもむしろ文字通り(すなわち「自然的」)意味での聖書の読みを強調する宗教改革者たちの主張は、「奥義」から目を背け、「歴史」および聖書の読解における「文法的・歴史的方法論」へ変換していった現代の前兆となりました。「近代性の興隆は、被造秩序をその性質において礼典的なものと捉えるアプローチの衰退と符合しています。」*29 

 

自然的しるし(signum)と超自然的事物(res)との間の亀裂、および、在世的な歴史と、天的リアリティーにおけるその参入の間の亀裂は、"本体論的" 分裂を引き起こし、それは、"認識論的" 分裂増殖をうながしました。*30

 

ボースマによると、宗教改革者たちは、天と地を結び合わせていた礼典的タペストリーをずたずたに引き裂いただけでなく、それ以前には継ぎ目のなかったキリストのみからだという外衣をも引き裂いてしまいました。教会は、「信仰/わざ、聖書/伝承、バプテスマ/聖餐を巡っての議論でバラバラにされました。」*31

 

要約すると、ボースマにとって、宗教改革者たちは、教会論的にも本体論的な意味においても、一致をもたらす者ではなく、分裂を引き起こす者なのです。「宗教改革が悲劇であった理由は、まずそれが教会の一致を壊し、また、それがプラトン+キリスト教的綜合の衰退について言及することに失敗したことにあります。」*32

 

広く議論されてきた論文(「First Things」)の「プロテスタンティズムの行く末」の項で、ピーター・ライトハートは、プロテスタントの「やみくもにNo!」という傾向を公然と非難しています。それによると、プロテスタンティズムは自らを、ローマ・カトリシズムという〈他者〉とコントラストさせたところにある反立的なものとして自らを捉えています。*33

 

プロテスタントはプロテスト(抗議)しすぎだと彼は考えています。T・S・エリオットが言う如く、「プロテスタンティズムの生命は、それが抗議しているものの生存にかかっている。」のです。 *34

 

しかし歴史というのは動かずただじっとしているわけではなく、今日のローマ・カトリック教会は、宗教改革者たちが対峙しなければならなかった頃の教会とはかなり様相が変わってきています。ライトハートは、プロテスタントは宗教改革があたかも教会史の最高峰であるかのように振る舞っていると異議を唱え、次のように言っています。

 

「もし神が生きておられるのだとしたら、教会がその最終的形態に、1517年や1640年に達した、と考えなければならないのでしょうか?、、そんなことはできません。分裂が、キリストの教会の最終状態であるというのは考えられないことです。」*35

 

ローマ・カトリシズムに対する定義的反駁がプロテスタントのアイデンティティーを構成している限り、「イエスはプロテスタンティズムが発生し、そして死ぬよう命じているのです。」とライトハートは述べています。*36

 

そして彼は、メインラインのプロテスタント諸教会の人口衰退の事実は、プロテスタンティズムが今や自ら進んで、〔死する〕その召命に答えようとしている徴候であると見ています。*37

 

社会学的、歴史的現象として、もちろん、プロテスタントは、(その他のすべての人間集団を特徴づけている)盲点や、近視眼的思考の影響を受けやすいというのは事実です。

 

しかし、ライトハートの主張とは裏腹に、プロテスタンティズムの根本的姿勢は否定的なものではなく肯定的なものです。宗教改革者たちは自らのことを「分派を引き起こす者」とはみなしておらず、実際、彼らはそうではありませんでした。

 

プロテストすることは、何かを擁護するために証言することを意味しており、それは福音の完全性(integrity)であり、後にみていくように、それは教会の公同性(catholicity)をも含んでいます。*38

 

それはまた預言的プロテスト(ネガティブな姿勢)をも含んでおり、いつの時代であっても、どこであっても、福音の真理が危機にさらされる時、そのような働きが起されます。一致のみ(sola unitas)だけでは十分ではありません。つまり、ここで問われている一致が、真理(veritas)の一致(unitas)でない限り、それは十分ではないのです。

 

ルターが反対したのは、教会の公同性自体ではなく、そのローマ的限定語の持つ偏狭性ーーつまり、公同性をローマという都市範囲に拘束していることーーに向けられていました。ジョン・マクネイルの言葉を借りるなら、「その時、ローマの言ういわゆる公同性の偏狭性がルターを敵対させたのです。」*39 

 

C・S・ルイスも同様のことを述べています。「ローマ教会の中でーーこういった普遍的伝承、特に使徒的キリスト教と違っているものーーこれらを私は拒絶します。、、、要するに、現代のローマ主義の機構のことを私は、他のプロテスタント分派と同じく、古代伝承からの地域的、局地的変異(variation)だと捉えています。」 *40

 

こういった流れの中で、本書は、唯一のまことなるプロテスタントーー彼らの良心が真に福音に捕えられているところの聖書的かつキリスト中心的なプロテスタントーーこそが、公同的(catholic)プロテスタントであるということを論証していきたいと思います。*41

 

まことのプロテスタントにとり、分裂・分派というのは、マシュー・ヘンリーが言うごとく、「クリスチャンと呼ばれる人々の間における無情なる距離、分裂、愛情の遠のきであり、彼らはキリスト教の核心部分において互いに同意しているものの、瑣末な事項により異なる捉え方をしています。」*42

 

そうかもしれませんが、しかし、この「核心部分」と「瑣末な事項」の間の境目を考える時、私たちは再び、ーー多くの人がプロテスタンティズムにおける「弁慶の泣き所」と考えているーー急所に引き戻されます。つまり、中央集権化された解釈的権威の欠如です*43。とどのつまり、どの事項が「核心部分」に該当するもので、どの事項が「瑣末な」領域に属するものか、一体 "誰が" 決定するのでしょうか?

 

ー終わりー

 

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「私が、偽証人たちによって告発されたような教えを説いていないことは、神が知っておられる。私が書き、教え、広めた神の言葉の真実とともに、私は喜んで死のう。」ー1415年7月6日、火あぶり刑に処されるボヘミヤの宗教改革者ヤン・フス

 

おおフスよ、果して宗教改革は終わったのだろうか?

 

*1:Daniel C. Dennett, Darwin’s Dangerous Idea: Evolution and the Meanings of Life (New York: Simon & Schuster, 1995). 

*2:Like genes, memes are packets of information that can be passed on to subsequent generations. Unlike genes, the information that memes encode is done via culture rather than biology. The term “meme” was coined by Richard Dawkins in The Selfish Gene (Oxford: Oxford University Press, 1976), chap. 11. 

*3: McGrath, Christianity’s Dangerous Idea, 463.

*4:同著、p.465.

*5:同著,p.3.

*6:Cambridge, MA: Belknap Press of Harvard University Press, 2012.

*7:Gregory, Unintended Reformation, 327. 

*8:同著,p.88で引用。

*9:同著,p.89.

*10:同著,p.94.

*11:同上。

*12: “Christian doctrinal pluralism set the Western world on an unintended trajectory in which knowledge was secularized as faith was subjectivized” (ibid., 327). See also Carlos M. N. Eire, War against the Idols: The Reformation of Worship from Erasmus to Calvin (Cambridge: Cambridge University Press, 1986). 

*13:〔訳者注〕「secular」という概念に対するジョン・ミルバンクの視点

*14:Gregory, Unintended Reformation, 369.

*15: 同著. “Modernity is failing partly because reason alone in modern philosophy has proven no more capable than scripture alone of discerning or devising consensually persuasive answers to the Life Questions” (377).

*16:In chap. 5 I discuss Max Weber’s hypothesis set out in his classic work, The Protestant Ethic and the “Spirit” of Capitalism

*17:Richard H. Popkin, The History of Scepticism: From Savonarola to Bayle, rev. and expanded ed. (Oxford: Oxford University Press, 2003). 

*18:同著,p.1.

*19:〔訳者注〕カトリック側から加えられた圧迫の中で1519年6月27日から7月16日にかけて、ザクセン公ゲオルクの仲介により、ライプツィヒで、パリ大学、エルフルト大学の神学者を審判として開催されたこの討論会には、教皇庁からルターの盟友であるルドルフ・カールシュタットとの論戦のために、神学者ヨハン・エックが論客として差し向けられました。ヨハン・エックは、1週間にわたりカールシュタットと討論した後、今度は論戦に参加したルターとも1週間にわたり論戦を繰り広げました。エックによる誘導尋問により、ルターは公会議の権威をも否定しました。ルターがローマ教皇権が聖書にもとづくものでないことを主張してその権威を否定したことで、当初は一介の神父による学説論争から政治闘争へと発展する一連の宗教改革の転換点になった出来事だったと看做されます。(参照

*20:同著,p.4.

*21:同著,p.4で引用。47

*22:The Reformers did appeal to the church fathers as secondary authorities (because faithful expositors of Scripture), first, to justify their break from medieval scholasticism, but also, second, to authenticate their respective confessional traditions vis-à-vis one another. See further Esther Chung-Kim, Inventing Authority: The Use of the Church Fathers in Reformation Debates over the Eucharist (Waco: Baylor University Press, 2011). 

*23:Popkin, History of Scepticism, 4.

*24:同著,p.5.

*25:同著,p.7.

*26:Gregory, Unintended Reformation, 355.

*27:Hans Boersma, Heavenly Participation: The Weaving of a Sacramental Tapestry (Grand Rapids:Eerdmans, 2011), 85.See also Boersma, Nouvelle Théologie and Sacramental Ontology: A Return to Mystery (Oxford: Oxford University Press, 2009). 

*28:関連資料:Sacramental Ontology? Reflections on Nouvelle Théologie and Sacramental Ontology, by Hans Boersma

pt.2,pt.3.pt.4.

↓サイモン・オリバー教授(ダラム大)による解説「新神学(Nouvelle Théologie )、アンリ・ドゥ・リュバック&ラディカル・オーソドクシー」

*29:Boersma, Heavenly Participation, 17.

*30:Boersma locates the beginning of the tear in the sacramental tapestry in late medieval developments (e.g., nominalism) that began to separate the natural from the supernatural (ibid., 84). 

*31:同著,p.84.

*32:同著,p.87.

*33:Peter J. Leithart, “The Future of Protestantism: The Churches Must Die to Be Raised Anew,” First Things 245 (August/September 2014): 23–27.

*34:T. S. Eliot, Notes towards the Definition of Culture (London: Faber & Faber, 1949), 75. Compare Friedrich Schleiermacher’s famous formulation of the contrast: Insofar as the Reformation was not simply a purification and reaction from abuses which had crept in, but was the origination of a distinctive form of the Christian communion, the antithesis between Protestantism and Catholicism may provisionally be conceived thus: the former makes the individual’s relation to the Church dependent on his relation to Christ, while the latter contrariwise makes the individual’s relation to Christ dependent on his relation to the Church. (The Christian Faith, ed. H. R. Mackintosh and J. S. Stewart [Edinburgh: T&T Clark, 1999], 103) See also Paul Tillich, A History of Christian Thought (New York: Touchstone, 1967), 228. 

*35:Leithart, “Future of Protestantism,” 24.

*36:同著,p.26.

*37:〔訳者注〕関連資料

*38:〔訳者注〕関連記事:

*39:John T. McNeill, Unitive Protestantism: The Ecumenical Spirit and Its Persistent Expression (Richmond: John Knox, 1964), 68.

*40:Letter to Lyman Stebbins, May 8, 1945, in C. S. Lewis, The Collected Letters of C. S. Lewis, vol. 2, Books, Broadcasts, and the War, 1931–1949, ed. Walter Hooper (New York: HarperSanFrancisco, 2004), 646–47.

*41:Compare Leithart’s “Reformational Catholicism,” where the accent is on Catholicism and what Protestants share with Roman Catholics. By way of contrast, my formula makes “catholic” the adjectival qualifier and “Protestant” the noun that it modifies. In other words, “Protestant” stands for the core content of what is confessed (i.e., the five solas, themselves indications of the gospel), while “catholic” describes the scope of its confessors.

*42:Matthew Henry, A Brief Enquiry into the True Nature of Schism: Or a Persuasive to Christian Love and Charity (London, 1690).

*43:So Devin Rose, The Protestant’s Dilemma: How the Reformation’s Shocking Consequences Point to the Truth of Catholicism (San Diego: Catholic Answers Press, 2014), 213.