巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

教会は宗教改革を「悔い改める」べきか、それとも「回復させる」べきか?ーープロテスタント界の解釈学的アナーキーとその解決に向けての省察①(by ケヴィン・ヴァン・フーザー、トリニティー神学校)

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目次

 

Kevin, J. Vanhoozer, Biblical Authority After Babel, Retrieving the Solas in the Spirit of Mere Protestant Christianity, 2016.

 

Kevin J. Vanhoozer

ケヴィン・ヴァン・フーザー(Ph.D.ケンブリッジ大)トリニティー神学校組織神学。主著に、Is There a Meaning in This Text? The Bible, the Reader, and the Morality of Literary Knowledge (Zondervan, 1998), The Drama of Doctrine: A Canonical-Linguistic Approach to Christian Theology (Westminster John Knox) and Remythologizing Theology: Divine Action, Passion, and Authorship (Cambridge University Press, 2010) 等がある。

 

「建設的プロテスタンティズム」

 

H・リチャード・ニーバー著『アメリカにおける神の国』The Kingdom of God in America;原書1937年、邦訳版2008年、柴田史子訳)の中で、著者ニーバーは、新大陸に渡ったプロテスタント移住者たちの考察をしています。

 

 

それによれば、彼ら新教徒たちは、新大陸に到着後、自らの持っている自由をもはや抗議(宗教改革のネガティブな部分)に用いるのではなくむしろ、福音の積極的国民性(citizenship)の実践のために用い始めたと彼は見、次のように述べています。「アメリカが他のどんなものになっていたとしても、それは建設的プロテスタンティズムの中における試みでもあった。」*1

 

ニーバーは一章を丸々「建設的プロテスタンティズムの問題」に充て、基本的問題を提示しています。プロテスタント教徒たちは、どんな制度的媒介物によっても束縛されない形での、神による直接統治を告白していましたが、いかにして神の言葉が社会を秩序づけるのかに関しては明瞭ではありませんでした。「新しい自由は、自己組織化したものではなく、生活のあらゆる領域における脅威的アナーキーでした。」*2

 

ニーバー自身は言及していませんが、マサチューセッツ湾植民地のピューリタンたち〔の歴史〕は、建設的プロテスタンティズムの問題における優れたケース・スタディーとなります。

 

ピューリタンたちはいかなる解釈的権威にも信頼を置かず、ただひたすら御言葉の中での聖霊の語りかけを信頼していました。リサ・ゴールディスが言及しているように、「ピューリタンの解釈的諸実践は、理論的に言って、聖書がそれ自身を解釈することを許す方法に特権を与えました。」*3

 

マサチューセッツ湾の説教者たちは、聖霊の照明と共にただシンプルにテキストを「開き」、「御霊の中で」それを読む共同体が解釈的コンセンサスを得ることができるだろうと考えていました。しかしながら、この前提により、聖書で神が実際に何を言っているかを巡り意見の相違の噴出は、実践的にも、また理論的にも困難をもたらさざるを得ませんでした。*4

 

そして1636年、その「トラブル」がついに頂点に達しました。今日で言われている、アンチノミアン、もしくは"Free Grace"論争です。

 

この事件は、いかにピューリタンの解釈学が生まれ、運用され、そして最終的に解釈的多様性を包有することに失敗したかを如実に示す史実です。このストーリーには、ハリウッド映画に皆が求めているエキサイティングな内容がぎっしり詰まっています。--法廷でのドラマ。好奇心をそそる宗教的主人公たちの公の場での悲嘆、そしておそらく米国史上初めてのフェミニスト、、、そうです、「アメリカのイゼベル*5」としても知られているアン・ハッチンソン女史の裁判のことです。

 

裁判を受けるアン・ハッチンソン女史

 

ハッチンソン女史は、マサチューセッツ湾植民地で起こった神学論争の中心にいました。ここでの焦点は論争の主題ーー神の恵みは罪びとを変えたのか?ーー以上に、かくまで解釈的一致を切願していたキリスト教共同体がーーその願いに反しーーますますひどい解釈的カオスと無秩序の中に落ち込んでいったその現象にあります。

 

ここで問題になっていた事項は、恵み、変化、そして聖霊の働きに関することでしたが、その根柢に横たわっていた問題は次のものでした。ーー結局、「誰の」聖書の読みが有効とされるべきなのか?そして、教会の会員たちは、解釈を巡っての論争に直面した際、いかにそれに対処すべきなのか、でした。*6

 

ベレヤの人々のように(使徒17:11)、ハッチンソン女史は聖書をくまなく調べ、家庭集会を開き、当時、植民地の牧会者として第一人者であったジョン・コットン(ボストンの第一教会)のなす説教について人々と論じ合い、またそれを分析しました。

 

彼女の懸念は次のようなものでした。つまり、マサチューセッツ湾植民地の説教者たちは、救いの証拠としての倫理的従順を強調し過ぎており、それによって彼らはわざの契約を説いている誤ちを犯しているのではないかと思ったのです。「そうではない」と彼女は考えました。「御霊で証印された内的洞察だけが、人の選びに関する確信を提供する。」

 

ともかく、彼女の家庭集会は60名ほどに膨れ上がり、教会の公的牧会者たちの影響と肩を並べるほどになりました。そして問題をさらに複雑化させていたのは、前述したとおり、御霊の中で聖書を解釈する人々は同意しなければならないという彼らの確信にありました。「彼らの釈義的諸理論の中には、御言葉から引き出された教理に関する正統なる意見の相違を申し開きする余地がありませんでした。」*7

 

さあ、ここに、ボストンの正規牧会者たちの諸見解に異議を唱える一人の知的な女性がいます。そして今やこの騒動により、ニュー・イングランドにおけるピューリタンの「聖なる試み」の土台がむしばまれる脅威が迫っています。どうしましょうか。答え:聖職者に対する名誉棄損罪で彼女を訴える。(+公共の福祉の治安妨害の咎で)!

 

ジョン・ウィンスロップ知事は1937年、裁判を統轄しました。裁判のクライマックスは、二日目に、アン女史が「自分が真理だと確信していることを根拠に」証言した内容であり、それは聖霊からの直接的啓示によるものだとされました*8。判決:ロード・アイランドへの追放刑。

 

アン・ハッチンソンがマサチューセッツ湾植民地で開いたものは、プロテスタンティズムのパンドラの箱でした。「持参の聖書、そして聖霊と共に一人残され、ハッチンソンは自分のコミュニティーとぎくしゃくするような仕方で聖書を解釈した。」*9

 

ルターとは違い、彼女は平信徒でした。しかしルターと同様、彼女は、自分の聖書の読みは、聖霊の照明に照らされ、在住する牧会者(彼女の事例ではボストンの牧師たち)の聖書解釈よりも優っているということを主張しました。

 

また、解釈を巡ってのこの論争は、治安問題、そして暴動にまで発展する恐れがありました。ジョン・ウィンスロップ知事は、論争の両サイドが、孤立した立証テキストとして聖書を用い互いを論駁し合うのではなく、そのうち彼らが、論敵の頭蓋骨を砕くための武器として聖書を用いるようになるのではないかと懸念しました。*10

 

この論争は結局、ニュー・イングランドにおける次世代の牧会者たちを生み、彼らは「聖霊の介助と共に、学的訓練の必要性も強調しつつ、自分たちの権威を、十分な学びと専門的知識に置くようになりました。」*11

 

ー終わりー

 

関連資料

①プロテスタント側からの弁明

↓「なぜ私はもはやローマ・カトリック教徒ではないのか。」イタリア系アメリカ人フレッド・タルスィタノ氏の証し


 

②カトリック側からの挑戦と問題提起

ノートルダム大のブラッド・S・グレゴリー教授による宗教改革批評

下は、2017年ハーバード大神学部で行なわれたグレゴリー教授による講義「宗教改革期と、『意図されていなかった』西洋社会の世俗化」(グレゴリー氏の批判に対するプロテスタント側からの応答記事はココ by マイケル・ホートン、ウェストミンスター神学校)

下はキリスト教弁証家ピーター・クリーフト氏の証し。彼はプロテスタント(改革長老派)の家庭に生まれ育ちましたが、成人後、カトリックに改宗しました。ビデオの中で彼はなぜカトリックに改宗するに至ったのかについて説明しています。


*1:H. Richard Niebuhr, The Kingdom of God in America (1937; repr., Middletown, CT: Wesleyan University Press, 1988), 43.

*2:同著., 30.

*3:Lisa M. Gordis, Opening Scripture: Bible Reading and Interpretive Authority in Puritan New England (Chicago: University of Chicago Press, 2003), 3.

*4: 同著., 9.

*5:An expression used in the title of chap. 10 in Michael Winship’s Making Heretics: Militant Protestantism and Free Grace in Massachusetts, 1636–1641 (Princeton: Princeton University Press, 2002).

*6:“Leaders of the Bay Colony expected consensus: indeed, expectations of interpretive consensus enabled by the Holy Spirit were high enough that church polity rested on assumptions of unanimity” (Gordis, Opening Scripture, 149). 

*7:同著., 151.

*8:“The Examination of Mrs. Anne Hutchinson at the Court at Newtown,” in The Antinomian Controversy, 1636–1638: A Documentary History, ed. David D. Hall, 2nd ed. (Durham, NC: Duke University Press, 1990), 337.

*9:Gordis, Opening Scripture, 172. For example, at her trial Hutchinson appealed to Dan. 6:16–24, claiming that God had shown her that he would deliver her as he had delivered Daniel from the lion’s den (“Examination,” in Hall, Antinomian Controversy, 337–38).

*10:See Hall, Antinomian Controversy, 293–94. 

*11:Gordis, Opening Scripture, 10. See further Michael Winship,The Times and Trials of Anne Hutchinson: Puritans Divided (Lawrence: University Press of Kansas, 2005). See also Marcus Walsh, “Profession and Authority: The Interpretation of the Bible in the Seventeenth and Eighteenth Centuries,” Literature and Theology 9 (1995): 383–98.