巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

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「アラム語優位性(Aramaic Primacy)とは何ですか?新約聖書は元々アラム語で書かれたのですか?」

ラムサ聖書

 

 

質問:「アラム語優位性とは何ですか?新約聖書は元々アラム語で書かれたのでしょうか?」

 

回答:アラム語優位性というのは、「新約聖書は元々コイネー・ギリシャ語で書かれたのではなく、アラム語の一方言で書かれた」という主張を指し示す語として、非公式に用いられています。この理論は、「ペシータ優位性 “Peshitta Primacy”」とも呼ばれています。ペシータというのは、聖書のアラム語古代写本を収集したもののことを指します。

 

このアラム語優位説は、「新約聖書の元々の原書はギリシャ語で書かれた」と考える歴史家や新約学者たちのコンセンサスから著しくかけ離れています。多くの研究者たちが、マルコの福音書およびマタイの福音書は、より初期のアラム語諸資料から引き出されているのかもしれないと提言していますが、アラム語優位性の主張はそういった提言をはるかに超えるものです。

 

アッシリア東方教会のように、いくつかの教派はアラム語優位性を信仰箇条の中に入れています。ネストリウス異端*1の擁護者であるジョージ・ラムサは、「新約聖書が元々アラム語で書かれた」という見解を普及させるに当たっての主要人物です。一般的な学術性とは反対の方向に流れているその他の諸見解と同様、アラム語/ペシータ優位説もまた、ただ一人の筆者の著作ーーこの場合、ラムサの著作ーーにほぼ依拠しています。

 

ラムサの同時代人たちも、それから後代の学者たちも、ラムサがしばし古代アラム語と(当時の)現代シリア語を混同していたと結論づけています。ちなみにこの二言語は非常に類似しています。さらに問題を生じさせているのが、1957年に完訳出版された、ラムサによるアラム語からの聖書訳です。この聖書訳は正確さに欠け、三位一体論の教理やキリストの神性をむしばむような微妙な訳変をさまざまな箇所で行なっています。

 

文献学者たちの調査により、ペシータが後期翻訳聖書からの影響を受けていることが今日では明らかになっています。またペシータの中で使用されている方言は、イエスや弟子たちの時代よりも後期のものです。ペシータは、ことば遊びやメタファーを曖昧にし分かりにくくするようなフレーズを使っていますが、こういった現象はーー元々の直筆ではなくーー翻訳において起こり得るものです。また、今日使用可能な聖書写本は莫大な数に及びますが、それらの研究により、時間や地理を超えた諸変化、訳の選択等を認識することが可能になっています。

 

換言すると、そういった入手可能なあらゆる証拠が、「ペシータは後期翻訳であって、原写本ではない」ということを提示しています。ペシータ優位性、もしくはアラム語優位性というのは確固たる証拠や学術性によって支持されている説ではありません。アッシリア東方諸教会の伝統的見解および、メシアニック・ユダヤ教やヘブル的ルーツ運動(HRM)のある一角がペシータ優位性を唱えていますが、にもかかわらず、新約聖書は元々アラム語で書かれてはいません。

 

ー終わりー

*1:〔訳者注〕GotQuestionsでは、ネストリウス派は「異端」と判定されていますが、この「異端」判定に関してはもう少し慎重な意見も福音派内にはあります。参考までに関連記事を挙げておきます。