巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「ヘブル的ルーツ運動(HRM)」を自称しないけれどもその影響下にある個人や諸団体をどのように識別することができるのでしょうか?

「ヘブル的ルーツ運動(HRM)」にはいろいろな〈顔〉があります。またいろいろな〈出入り口〉があります。それは敬虔さや優しさの裏にひっそり横たわっている場合もあれば、攻撃的で分派主義的一匹オオカミの牙となっている場合もあります。

  

また「ヘブル的ルーツ運動」には濃度の違いもあります。99%正統派福音主義に属しつつ、1%弱、どこからかHRM経由の教えを取り入れ、彼を慕う無防備な群れの羊たちにちょびちょびその「糧」を与えている教師もいます。あるいは119 Ministriesのように、「私たちは全てを御言葉によって見分けます。私たちは聖書が全て誤りのない神の言葉であることを信じます」と自分たちが堅固な「聖書信仰のクリスチャン」であることを強調しつつ、HRMの教義を普及させようとしている個人や団体もあります。

 

どんなグロテスクな教義を説いている団体も、自分たちが異端の教えを説いているとは口が裂けても言いません。ましてやHRMは「自分たちこそ真の神信仰を21世紀に回復させているのだ」という真摯なる自覚と使命感を持っている運動ですから、多くの教師たちは全くの善意から私たちにその教えを説いてくることでしょう。

 

またこういった教師たちの多くは、お茶を濁すことにかけてのエキスパートです。彼はにこにこと柔和な言い回しで、自分の教えが「聖書的であること」を巧みに羊たちに説き、敏感な羊たちの「不安感」や「警戒心」を取りのけてあげるでしょう。彼は自分の教えの〈情報源〉を明らかにしようとしません。「私はただ聖書に忠実なのです。そして祈りの中で聖書を素直に読み、主から教えられたことをただ皆さんにお分かち合いしたいと思っているだけなのです。」

 

しかし彼には彼の〈師匠〉がいます。どんなに自分の教えが聖書の「素直な」読解により主から教示されたものだと匂わせても、彼が自分の個室で聞いている講義MP3や著作やDVDの存在はそれとは違うリアリティーを私やあなたに語っています。それは今隠されています。しかしいずれ明らかになってきます。

 

ですから私たちは彼が口先で「何を言っているか」ではなく、彼がその教えを具体的にーー非常に具体的にーー「どこから取り入れているか」その出処を綿密にリサーチする必要があります。ある場合には、その出処がHRMであることを知らずにうっかり取り入れてしまっているケースもあるでしょう。しかし極めて自覚的・意識的なケースもあります。

 

このブログの中には、「ヘブル的ルーツ運動」に関する一連の記事が収録されています。(ココ)これらの記事を注意深くお読みになってください。そしてその中で繰り返し現れてくる「キー・ワード」を押さえてください。それらのキー・ワードが他の場所で一語一句たがわずそのまま使われているとは限りませんが、最低限、ある種の「探知機」としての機能は果してくれると思います。繰り返し申し上げますが、「ヘブル的ルーツ運動」にはいろいろな〈〉があり、いろいろな〈出入り口〉があります。濃度も表情も均一ではありません。

 

初代教会には二つの敵がいました。〈グノーシス主義〉と〈ユダヤ主義〉です。両者共に、多様な形態を帯びていますが、現在、そのどちらも復興し、勢力を増しつつあります。そして両者共に、さまざまな方向から、キリスト者に合理性(rationality;*合理「主義」ではありません)を捨て去り、不合理性や秘儀を受け入れるよう私たちの心情に強く訴えかけてきています。

 

敵の戦略はどうにかして合理性を「悪」だと信者に堅く信じ込ませることにあります。その説得ルートはいろいろありますが、目的は一つであり、それはクリスチャンを「骨抜き」にすることです。敵にとって、骨抜きにされた「素直な」クリスチャンほど操作しやすい存在はありません。昔あったことが今また起こっています。ただ昔と違うのは、今やその「悪いパン種」がグローバルな規模で拡大・繁殖しているということではないかと思います。

 

良い牧者であるイエス様、私たち羊が、なめらかな舌を持ち且つ「真摯に」偽教理を説いてくる教師たちや諸団体の影響下に入り込むことがないよう識別力をお与えください。また、現在、知らずにHRMの影響下に入ってしまっている教師や信徒の方々がいましたら、その方々に何らかの形であなたご自身が真実を開示してくださいますよう切にお祈りします。アーメン。

 

追伸)パン種は粉全体を「発酵」させ、またたく間に、超えてはならない「一線」を超えていきます。(ガラ5:9、マタイ16:6、11-12参。)