巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

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中東フェミニズムとキリスト教会

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ブルカを着用して外を歩くアフガン女性たち(情報源

 

目次

 

はじめに

 

近年、ヨーロッパや北米で、「アフガン女性たちの春」とも言うべき新しい動き(あるいはその兆し)が見られます。

 

この動きの中心にいる女性たちは、新生したキリスト者である場合もあれば、イスラム教徒やセキュラーな人本主義者である場合もありさまざまですが、彼女たちの多くは、タリバーン政権の暴政を逃れ、隣国に避難した難民の子としてイランで生まれ育ち、イラン現代文化から深い影響を受けているように思われます。

 

現在、中東圏内外でめざましい御霊の働きと人々の回心が起っていることは周知の事実です。また、福音が伝わる所ではどこでも弱者や抑圧されている人々に真の解放がもたらされることは2000年余りに渡るキリスト教宣教史が実証しています。

 

しかしそういった純粋なる御霊の働きによる解放と並行して、「アフガン女性たちの春」には、聖書的世界観とは別の出処からの不穏な「解放」の動きも確実に見られ、注意と警戒が必要だと思わされます。

 

本記事では、そういった女性たちの文化形成に少なからぬ影響を及ぼし、ある意味、彼女たちの思想的「母胎」ともなっている現代イラン・フェミニズム文化を、1)セキュラー/イスラムの側面、そして2)福音主義の側面、その両方から考察していきたいと思います。

 

①セキュラー/イスラムの文脈

 

2015年6月、イラン系アメリカ人の歴史家ニナ・アンサリー女史が、「アッラーの宝石:誰も知らなかったイラン女性たちのストーリー(Jewels of Allah: The Untold Story of Women in Iran)」という本を出版し、ベストセラーになりました。

 

 

この本の中でアンサリー女史は、パフラヴィー王制時代の「自由/モダン/アクティブ/ミニスカート」のイラン女性 vs1979年イラン・イスラム革命以後のアヤトッラー・ホメイニー政権下での「性差別/制限/ベール/被抑圧」されたイラン女性という、一般に信じられているポピュラーな二項対立像を脱構築しようと試みています。

 

彼女の分析によると、王制時代にもすでに欧米直輸入型のフェミニズムは存在していましたが、それらの担い手は主として一部の知識人女性たちに限られており、未だ理論的性格の強いものでした。しかし79年のイスラム革命以後、フェミニズムは、セキュラー/諸宗教の別を問わず、非常に影響力のある草の根運動となり、ここ40年余りフルに開花してきました。

 

アンサリー女史の視点でみたイラン女性史は次のように展開しています。

 

まず、ゾロアスター教が中心にあった古代ペルシャは、対等主義的で(egalitarian)、プログレッシブな「平等」社会でした。その後、7世紀のアラブ侵略とイスラム強制により、それまでの対等主義社会は崩壊し、それに代わって、不平等と抑圧のシステムが導入されました。

 

その後、9-13世紀のイラン・オスマン系諸王朝の下、抑圧が和らぎ、女性たちはしばらくの間、小休止を得ます。しかしサファヴィー王朝になるとまた保守シーア派神学を基盤に構築された「家父長制」抑圧体制がぶり返し、その影響は今日にまで及んでいます。

 

この本の積極的な側面は、「79年のイスラム革命=女性の抑圧」という単純なレッテル貼りでは決して捉えることのできない、革命後の複雑に入り組んだ社会学的動向をジェンダーという視点からみることの新鮮さにあるように思います。

 

また、本書の中では、イスラム主義フェミニズムの興隆が詳しく取り上げられています。(例:人権運動家メフランギーズ・カール、イスラム・フェミニスト雑誌『ザナーン』の創設者シャフラ・シェルキャット、ジェミレ・キャディヴァール、アフサネ・ナージマバディー、ズィバー・ミール・ホセイニー等。)

 

また、以前の記事でも取り上げましたが、反政府組織モジャヘディーンの頭首マリアン・ラジャヴィー女史およびサダム・フセイン政権の保護下、イラクの基地で彼女の展開した戦闘的ラディカル・フェミニズムも無視できないと思います。

 

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マリアム・ラジャヴィー(1953年ー)。反政府組織モジャヘディーンの指導者。モジャヘディーンとは「ジハードを行なう者」という意味です。この組織は2012年までは国際テロ組織と指定されていました。幹部司令官のほとんどは女性です。(関連記事:The Cult of Rajavi - The New York Times

 

また、アンサリー女史の指摘するように、イスラム革命が、草の根のフェミニズム運動を俄然促進させたというのはおそらく事実であると思います。

 

欧米や日本のセキュラー/クリスチャン・フェミニストにとっての打倒目標である抑圧的「父権制/家父長制」社会というのが往々にして「仮想敵」のようなものになりやすいのに対し、イラン・アフガン人女性の多くにとって、それらは生ぬるい知的空想などでは全くなく、彼女の生きる空間、彼女の権利、彼女の服装、彼女の日常の厳しい現実そのものであるという両者の違いがあると思います。Iran's female protesters show how vacuous American feminists are

 

その意味で、対等主義者たちの定義する「父権制/家父長制」の悪というものが実際に存在するのなら、それはおそらく現代イスラム社会の一角でこういった女性たちが日々経験しているものに限りなく近いのではないかと思わされます。

 

さて、アンサリー女史は、一般的なセキュラー/イスラム/クリスチャン対等主義者と同じく、「ベールを被る=抑圧」「ベールを脱ぐ=自由と解放」という典型的な図式を描いてみせていますが、これは一面的な見方ではないでしょうか。

 

王制時代のある時期、現在とは正反対に、(欧化政策を進める)シャー政権が、公の場でのベール着用を禁じる法律を発布したことがありました。その結果、ベールを重んじる保守的なムスリム女性たちは外に出ることができなくなりました。

 

数年前に私は、年配のヒジャーブ女性と話を交わしたことがありますが、その女性はヒジャーブをする「自由」を求め、その時期、家族・親戚と共に、隣国に宗教亡命したと言っていました。この女性にとっては、ベールは抑圧のシンボルではなく、自分の信仰のシンボルであり、それを奪われることは彼女にとっては「自由と解放」ではなくむしろ「抑圧と恥辱」を意味していたのです。

 

ベールはそれが外的なものであるがゆえに、強制・抑圧・律法主義という危険性を常にはらむシンボルではありますが、大多数の対等主義者が見落としているのがベールの持つ内的属性にかかわることではないかと思います。その内的属性は、新約聖書の啓示において決定的な意味と輝きをみせていますが、ユダヤ教およびイスラム教の文脈の中でもそれぞれ別の種類の内的意味を宿していると考えられます。それに関しては以下のドキュメンタリーをご参照ください。

 


また、彼女の描くイラン女性史によれば、ゾロアスター教の古代ペルシャが対等主義のユートピアとして称揚されています。しかし聖書的世界観からみるなら、そのような「ユートピア」はどこにも存在しません。

 

聖書は御子イエス・キリストの統治なき世界は「暗闇の圧政」(コロ1:13)であると明記しています。ゾロアスターであれ、イスラム独裁であれ、民主主義であれ、社会主義であれ、「キリスト教国家」であれ何であれ、人が悔い改めてイエス・キリストを信じ、キリストの王国支配に移されない限り、そこは「暗闇の圧政」です。暗闇の度合いにそれぞれ違いはあるかもしれません。しかし「人の光」(ヨハネ1:4)であるまことの光に照らし出されない限り、暗闇は依然として暗闇のままとどまり続けます。

 

②福音主義の文脈

 

現代のペルシャ中東圏で起こっている信仰復興を語る上で、20世紀中後半にアルメニア人クリスチャンたちの果たした役割および苦難は強調してもしすぎることはないと思います。聖公会や福音派も忠実に働き、また殉教者を出してきましたが、やはり宣教の第一線にいたのは聖霊派(イラン・アッセンブリー・オブ・ゴッド)であり、迫害が最も激しかったのもまた聖霊派だったのではないかと思います。

 

 

数年前にお亡くなりになったアルメニア系イラン人牧師レオン・ハーイェラプティヤーン(アッセンブリー教会)は、下の記事の中で苦難の20世紀教会史の生き証人として、殺された牧師仲間たちや教会の群れのこと、リバイバルの様子などを証言しています。

 

مصاحبه با کشیش لئون هایراپتیان

  

このようにして中東リバイバルの起爆剤として尊く用いられた聖霊派の教会ですが、相補主義に立つ私の目から見る時に、そこには一つの難点がありました。それは、イラン・アッセンブリー教会がその当初から、米国聖霊派・カリスマ派の強い影響下にあり、それゆえに、ジェンダーの役割に関しても、米国主流の聖霊・カリスマ派型対等主義を直輸入してしまったことです。

 

ペルシャ語吹き替え版のジョイス・マイヤー説教

 

こうして直輸入された欧米対等主義の中に内包される「福音主義フェミニズム」と、イスラム革命以後、草の根運動となり勢力を伸ばしていた「イラン・フェミニズム」は磁石のように互いに引き合い、またたく間に両者は一つの大きな流れとなっていきました。

 

また前述しましたように、ジェンダー問題に関し、彼女たちが回心前に実際に味わってきた「抑圧」は、彼女たちのフェミニズムに「戦闘的」要素をも付加する結果をもたらしました。実際、輸入された米国産の福音主義フェミニズムは、悲しみと怒りのこの土壌の中で、戦闘的クリスチャン・フェミニズムと化し、過激化しやすい傾向を持っています。

 

上述のアンサリー女史は、昨年、英国のLondon School of Economics Centre for Women, Peace and Securityの客員教授として招かれ、また今年、国連女性大使にも選出されました。この世の支配精神は、セキュラーと言わず、宗教と言わず、あらゆる領域に自らのテリトリーを拡げていっています。

 

私たちは現在、複雑な時代に生きています。宣教の働きにおいても、より一層の知恵が必要とされているように思います。彼女たち一人一人を愛おしんでくださっている主よ、どうか私たち奉仕者に上よりの知恵と、そして何より隣人を深く理解し、愛するキリストのこころをお与えください。

 

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