巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

昼も夜も主のおしえを黙想することについて(詩篇1:2)byトーマス・ワトソン

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詩篇1篇2節

まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ(*思い巡らす)。〔新改訳〕

כִּ֤י אִ֥ם בְּתֹורַ֥ת יְהוָ֗ה חֶ֫פְצֹ֥ו וּֽבְתֹורָתֹ֥ו יֶהְגֶּ֗ה יֹומָ֥ם וָלָֽיְלָה׃

ἀλλ’ ἢ ἐν τῷ νόμῳ κυρίου τὸ θέλημα αὐτοῦ καὶ ἐν τῷ νόμῳ αὐτοῦ μελετήσει ἡμέρας καὶ νυκτός. [LXX] 

But his delight is in the law of the LORD; and in his law doth he meditate day and night.〔欽定訳〕

 

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トーマス・ワトソン(Thomas Watson, 1620-1686)イギリスの牧師、ピューリタン。非国教徒。

 

「あなたが読んだことを心に刻むよう努めなさい。〔参:マタイ13:4、19〕、、たましいの記憶は、オーク材の箱のようであるべきです。そしてそこに私たちは主のおしえを大切に入れるのです。

 

ある人々は、聖句よりも、巷のニュース記事の方にずっと関心があり、それらを心に留めています。彼らの記憶は、蛙がかろうじて生き、魚は死んでしまう、そのような池のようです。

 

黙想をする時、私たちは向かい合っている御言葉に自分の思いをしっかり固定させる必要があります。黙想は聖書の調合薬です。ーー聖句を読むことにより、頭にその真理が入ってきます。そして黙想により、その聖句が心の中に深く入ってくるのです。

 

精読と黙想は、夜空に輝くふたご座のカストルとポルクスのように、共に顕れ出なければなりません。御言葉なしの瞑想行為は、誤っています。また黙想なしの単なる機械的な読みは、荒れ地のごとくあります。

 

ミツバチは花の蜜を吸い、それから巣の中でせっせと働き、そうした後に蜂蜜ができあがります。聖書を読むことにより、私たちは御言葉の花の蜜を吸います。そしてそれを黙想することにより、心や思いという巣の中で御言葉が働き、私たちは滋養されていきます。黙想は、オルガンの風袋(古英語; bellows)のようです。

 

「わたしの心はわたしのうちに熱し、思いつづけるほどに(בַּהֲגִיגִ֥י)火が燃えたので, a fire would kindle in my meditation (Brenton訳LXX), ἐθερμάνθη ἡ καρδία μου ἐντός μου καὶ ἐν τῇ μελέτῃ μου (LXX)」(詩篇39:3)。私たちが御言葉を読んだ後も尚、冷たい心のままでいる理由は、黙想の火で、自分自身をあたためていないからです。」

 

Thomas Watson, Puritan Sermons, vol. 2, pp. 61-62.(拙訳)

 

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