巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

聖書のワード・スタディーをする際に注意すべき事:その⑥ 動詞のパラレル化マニア(by D・A・カーソン)

Image result for parallelism road images 

 

D.A.Carson, Exegetical Fallacies, Chapter 1. Word-Study Fallacies, p.25-66(拙訳)

 

小見出し

 

パラレル化マニアとはどんな人?

 

サムエル・サンドメルは、疑問の余地ある「パラレル関係」の提示に余念がなく、それに強い愛好心を持っている多くの聖書学者たちの傾向を表すものとして、parallelomania(並行化マニア、パラレル化に熱狂する人)という新語を作り出しました。*1

 

そういった誤用の部分集合として挙げられるのが、いわゆる《動詞の並行化マニア》です。つまり、ある文献中に見い出される動詞のパラレルをーーただ単にそういったむき出しの現象があたかもなにか概念的関連性や相互依存を体現しているかのようにーーリストアップすることに余念がない人々のことです。

 

C・H・トッドとルドルフ・ブルトマン

 

前の論文で*2、私は、ロバート・カイサーの行なった驚嘆すべき研究のことを紹介しました。*3カイサーは、C・H・トッド、ならびにルドルフ・ブルトマンそれぞれによってなされた調査(⇒ヨハネの福音書序章〔ヨハネ1:1-18〕の中のパラレル使用に関する調査)を吟味しました。

 

その結果はどうだったかと申しますと、トッド、ブルトマン、それぞれの学者が提出した300余りのパラレル事例の内、オーバーラップしていた部分はたったの7%だったのです!

 

しかも、繰り返しますが、その7%というのは、あくまでも提出された事例におけるオーバーラップにおいてであって、背景として重要と考えられているものにおけるオーバーラップではないのです。

 

これほど重なり合う部分が少ないという実態から分かるのが、どちらの学者も、潜在的背景に関する包括的概観には至っていないということです。

 

一人は、マンダ教文献〔グノーシス主義の一つとされる宗教〕の内にその背景を見ており、もう一人は、ヘルメティカ文書〔文書には紀元前3世紀に成立した占星術などの部分も含まれるが、紀元後3世紀頃までにネオプラトニズムやグノーシス主義などの影響を受けて、エジプトで成立したと考えられている。〕の内にその背景を見ています。

 

そしてどちらの背景も、資料の年代測定という次元においてでさえ信憑性に薄く、疑わしいにも拘らず、両学者たちは、根本的に異なるそういった文献とヨハネ伝の序章の言葉を並行させた上で、そこに類似した(もしくは同一の)意味があると主張しています。

 

そしてどちらの学者も、対照的な並行の等価性、もしくは、より広義に言って、比較対照されている文献の意味領域における等価的コントラストへの必要に対する言語的繊細さを示してはいません。

 

後の章(その⑯)で私はこの問題を再び取り上げるつもりです。目下、アーサー・ギブソンが、この点において正当にも、ブルトマンに非常に辛辣であるという事を述べておくにとどめておきます。*4

*1:Samuel Sandmel, "Parallelomania," JBL 81 (1962):2-13. https://biblicalstudies.org.uk/pdf/jbl/parallelomania_sandmel.pdf

*2:D.A. Carson, "Historical Tradition in the Fourth Gospel: After Dodd, What?" in Gospel Perspectives II, ed. R.T. France and David Wenham (Sheffield: JOurnal for the Study of Old Testament Press, 1981), 101-2.

*3:Robert Kysar, "The Background of the Prologue of the Fourth Gospel: A Critique of Historical Methods," Can JTh 16 (1970): 250-55.

*4:Gibson, Biblical Semantic Logic, 53-54.