時として摂理は、ますます暗さを増していくように思われます。それはちょうど、落陽が黄昏(たそがれ)の闇の中に沈み溶け込んでいくかのようです。しかし、そういった自然の常とは反対に、そして私たちの憂いとは反対に、「夕暮れ時に、光があります!」(ゼカリヤ14:7)。
さあご覧なさい。光に照らし出された厚雲が今や祝福で満ち満ちたものとして私たちの目に映っています。わが魂よ、静まり、主こそ神であることを知りなさい。「沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ」(詩37:7)。
人知には計り知れない人生の「なぜ?」ーー長い長い間、あなたが忍び、耐え、待ち続けてきたものーーその欣求にたいする答えが間もなくあなたに明かされるでしょう。長かった夜回りの歳月は、待望の曙光のかがやきの中についに終りをみます。
「わが神、わが御父よ!故郷を遠く離れ、
私が険しい人生の荒路を彷徨っている間、
おお、どうか、心の奥底より『汝のみこころが成りますように』
と祈らせたまえ。
そしてかの日ーーもう地上で息をしなくなるその時、
私は至福の彼岸で、喜びに溢れつつ、
『汝のみこころが成りますように』と歌うでしょう!」
ーージョン・マクダフ(1818 – 1895、スコットランドの伝道者)
from The Providence of God(私訳)