巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「組織神学」と「聖書神学」の結婚(by ヴェルン・ポイスレス、ウェストミンスター神学校)

目次

 

Vern Sheridan Poythress, The Marriage of Biblical & Systematic Theology(全訳)

 

[Published in Westminster Today Magazine 1/1 (spring, 2008), 11-13, as a condensation of “Kinds of Biblical Theology,” Westminster Theological Journal 70/1 (spring, 2008), 129-142. Used with permission.]

 

はじめに 

 

聖書神学は、長年に渡り、ウェストミンスター神学校で重要な役割を果たしてきました。そして現在、この神学はその他の教団・教派においても花を咲かせています。 しかしながらそれと同時に現在、各種の誤りや誤解も多く表出しており、そのため、真剣に聖書を学ぶ学生たちは、「聖書神学」という用語が有するいくつかの異なる意味をしっかりと見分け、その上で、組織神学との健全な関係について理解を深めることが望ましいでしょう。

 

歴史からの教訓

 

ある種の聖書神学は、ウェストミンスター神学大が創立される以前にすでに存在していました。歴史家たちはその中でも特にドイツの聖書学者ヨハン・P・ガープラー(Johann P. Gabler)の名を挙げています。ガープラーは1787年、聖書神学を一つの独立した歴史的な学、つまり、「実際に聖書記者たちが考え教えた事」を発見する学問*1ーーとして定義しました。

 

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Johann Philipp Gabler, 1753 –1826

 

しかしガープラーは聖書の権威を拒絶していました。彼は、過去の聖書記者たち(彼によると、聖書記者たちの見解は今日、受容され得ないとされていました)を描写するタスクと、今日の信仰(彼によると、これは『理性の解放と一致している』*2とのことでした)を提唱するタスクとの間に、鋭利な一線を引いていました。そうです、ガープラーの思考は、ノン・クリスチャンの合理主義に毒されていたのです。

 

新しい定義

 

その後、ゲルハルダス・ヴォス(1862-1949)の登場により、こういった流れに決定的転換がなされました。ヴォスは、純粋に聖書的かつ神に栄光を帰するような諸原則の上に、聖書神学を再建する必要性をみたのです。「聖書神学は、聖書の中に置かれている神の自己啓示の過程を取り扱う釈義的神学の一分野である。」(ヴォス著『聖書神学』)*3

 

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Geerhardus Johannes Vos (1862–1949)

 

ヴォスの定義は、過程としての啓示にフォーカスを置いています。「聖書神学というのは、神的活動(divine activity)としての啓示を取り扱っているのであって、すでに出来上がった神的活動の産物を取り扱っているのではない。」*4

 

ヴォス自身は「聖書神学」という呼称よりも、「特別啓示の歴史」という呼称の方を好んでいましたが、結局は、当時すでに慣例となっていた「聖書神学」の語をそのまま使い続けることにしました。

 

聖書神学に関するそれ以前のいくつかの定義において、人々が「聖書神学の方が、組織神学よりも、聖書により近い位置にある」というような旨を述べていた問題を受け、ヴォスは、骨折りつつ、「両者は、並行する学である」ということを強調し、次のように書いています。

 

「組織神学の方がより密接に聖書に結合しているのか、それとも聖書神学の方か・・この点に関し、両者は全く同じであり、優劣の差はありません。また、『一方は聖書資料を変換し、他方はそれを手つかずのまま変更されていない形で保持する』といった所に違いがあるわけでもありません。実に、両者により、聖書に据えられている真理は等しくトランスフォメーションを経るのです。

 

ただ、そこにおいて、トランスフォメーションがもたらされるところの『原則』が、それぞれ異なっているわけです。聖書神学では、この原則は歴史的なものであり、それに対し、組織神学は、論理的な構造を持っています。聖書神学は、発展に沿った線を引いていきます。それに対し、組織神学は円環を描くのです。」*5

 

 

Related image

聖書神学

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 組織神学

 

 

ヴォスは、両者間の実り豊かなる相互交流を望んでいました。例えば、彼は聖書神学の形成において、暗黙のうちに組織神学からのデータを用いています。

 

また何より、ヴォスは、聖書神学が特別啓示の教理および聖書の権威に対する確信と協働することを要求しました。また、神の主権および贖罪に関する神の御計画の統一性についての聖書的教えをも重視しています。

 

組織神学的教理を活用しているという事をヴォスは明確には言っていません。この点において、ヴォスは、聖書神学の土台としての正統神学の使用を議論するというよりはそれを前提していると言っていいでしょう。

 

比較的新しい神学部門として、「聖書神学は、何世紀にも渡る長い歴史のある組織神学から得られるあらゆる適切な資料を用いつつ、その研究フレームワークを構築すべきである」という点で、ヴォスには疑問の余地がありませんでした。

 

それでは聖書神学はどのようにして体系学(組織神学)のために基礎(root)を提供することができるのでしょうか?リチャード・B・ギャフィンは次の3点を提示しています。

 

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Richard B. Gaffin

 

ー聖書神学は、組織神学に対し、「贖罪に不可欠な主題としての神の歴史的活動」のことを想起させ、従って、それは組織神学自体の内にも包含されます。聖書を学ぶ学生たちは、抽象化および「時代を超越した」定式への傾斜を絶えず警戒する必要があります。なぜなら、こういった偏りにより、最終的に、キリスト教は、イエス・キリストの良き知らせへの宣布ではなく、単なる宗教哲学に堕ちてしまう恐れがあるからです。

 

ー組織神学は、聖句の正確な釈義に努めなければなりません。(そういった聖句に、組織神学は自らの教理支持を訴えているわけです。)釈義は、文脈に注意を向ける必要があり、それには、例えば、各々の時代に神の御目的が成し遂げられるところの「贖罪の様々な時代や神のご計画」という文脈も含まれます。

 

 ー組織化・体系化のプロセスは、パウロの神学やヘブル書等で立証されているように、すでに聖句内で始まっています。組織神学はそういった開始点から学ぶべきであり、またその上に構築されるべきです。

 

聖書神学に対する組織神学の影響

 

さて、これまでの記述では、流れはすべて聖書神学から組織神学の方に向いていました。ヴォスと同様、ジョン・マーレーやリチャード・ギャフィンも、逆の流れを前提しており、それにより、聖書神学は、組織神学との調和の内に、その研究フレームワークを発展させることができると考えていました。

 

しかし、ここでの危険性は、そういった「逆の流れ」を認めようとせず、賛同しようともしない動きが起こる場合です。そのようにして学者たちが組織神学に対し相応の敬意を払わなくなる時、彼らはかつてのガープラーの失敗ーー聖書神学という独立した神学部門を打ち立てようという思想ーーに再び後退してしまうことになります。

 

こういった傾向が生み出されてくる原因として、次のような点が挙げられるでしょう。

 

①いわゆる「ニュートラルな」方法論に対する願望。(それによって、神学界メインストリームとも、それからポストモダン世界とも堂々と渡り合っていきたいという願い。)

 

②古典的組織神学に対する懐疑心と、それに続く組織神学に対する軽視。

 

③聖書の権威を不要なものとしつつ、「証拠が導くところに従いたい, "follow the evidence where it leads"」という願望。

 

しかしヴォスが強調していたように、聖書神学は、聖書と調和する諸前提と共に取り組むことが可能です。

 

ヴォスは、聖書神学を、「特別啓示の歴史」という一つの統一された学として認識していましたが、今日ではいくつかそれに関連する強調点をも挙げることができます。

 

まず第一に、ヴォスと同様、聖書を学ぶ学生たちは、特別啓示の包括的歴史という概観に取り組むことが可能です。そしてこういった概観の性質は、その人が特別啓示や聖書の権威についてどのように前提しているかに依拠します。*6

 

二番目に、学生たちは、ーー特別啓示全体の中の一つの主題、もしくは関連する複数の主題という小さな房ーーに関する歴史的発展を追っていくことができます。例えば、契約や王制、神の顕現(セオファニー)といったテーマ等です。

 

時として、主題に沿った聖書的神学はそういった主題を、旧約聖書全体ないしは聖書全体のための一種の組織的中心として用いることがあります。各主題からのそういった情報は組織神学をより豊かにする方法を提示するかもしれません。

 

三番目に、学生たちは、聖書の各書や各記者についての特徴立った神学的ないしは主題的輪郭を検証することができるでしょう。ヴォスはそういった学的手法を、「パウロの終末論(The Pauline Eschatology)」や「ヘブル人への手紙の教え(The Teaching of the Epistle to the Hebrews)」の中で展開しています。

 

尚、この三番目の方法論と二番目の方法論を合わせた形で、リチャード・ギャフィンは、「パウロの神学におけるキリストの復活の中心性(The centrality of Christ’s resurrection in Pauline theology)」という著述を記しています。*7

 

聖書神学と組織神学の豊かな相互浸透は、互いの学を強化・向上させ、私たちはそれによって、より深く神と神の御言葉を理解することができるようになります。

 

永遠の神は、啓示の連続的諸段階の内で、曖昧さを残さず一義的にご自身を啓示してくださっています。そして、そういった諸段階は、余すところなく聖書の隅々に顕れており、イエス・キリストの啓示の内にそのクライマックスを見るのです。

 

ー終わりー

 

参考になる資料


 

↓「聖書神学と説教」by D・A・カーソン

 

 

↓「組織神学と説教」by D・A・カーソン

 

↓インタビュー「聖書神学の今後の行方について」

 

 

文献目録

Edmund P. Clowney, Preaching and Biblical Theology (Grand Rapids: Eerdmans, 1961).

Edmund P. Clowney, Preaching Christ in All of Scripture (Wheaton, IL: Crossway, 2003).

Richard B. Gaffin, Jr., Resurrection and Redemption: A Study in Paul’s Soteriology (Phillipsburg, NJ: Presbyterian and Reformed, 1987).

Richard B. Gaffin, Jr., “Systematic Theology and Biblical Theology,” Westminster Theological Journal 38/3 (spring, 1976), 281-299.

John Murray, “Systematic Theology: Second Article,” Westminster Theological Journal 26/1 (Nov., 1963), 33-46.

Vern S. Poythress, Symphonic Theology: The Validity of Multiple Perspective in Theology (Grand Rapids: Zondervan, 1987).

Geerhardus Vos, Biblical Theology: Old and New Testaments (Grand Rapids: Eerdmans, 1948; reprint, Edinburgh/Carlisle, PA: Banner of Truth Trust, 1975).

Geerhardus Vos, The Idea of Biblical Theology as a Science and as a Theological Discipline (New York: Anson D.F. Randolph, 1894).

Geerhardus Vos, The Pauline Eschatology (Grand Rapids: Eerdmans, 1961).

Geerhardus Vos, The Teaching of the Epistle to the Hebrews (Grand Rapids: Eerdmans, 1956; reprint, Nutley, NJ: Presbyterian and Reformed, 1975).

Benjamin B. Warfield, “The Idea of Systematic Theology,” in Studies in Theology (Edinburgh/Carlisle, PA: Banner of Truth Trust, 1988).

 

*1:Gaffin, “Systematic Theology and Biblical Theology,” Westminster Theological Journal 38/3 (spring, 1976), 283; see also Vos, Biblical Theology: Old and New Testaments (Grand Rapids: Eerdmans, 1948), 17-20.

*2:同上., 18.

*3:同上., 13.

*4:同上.

*5:同上., 24-25.

*6:ヴォスはこういった概観を、著書『聖書神学』の中で展開しています。

*7:Richard B. Gaffin, Jr., Resurrection and Redemption: A Study in Paul’s Soteriology (Phillipsburg, NJ: Presbyterian and Reformed, 1987).