巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

神の不変性を想う(by ジョン・マクダフ)

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John McDuff (1818-1895), The Immutability Of God(全訳)

 

「しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません」(詩102:27)

 

神の不変性の中に自らを見い出すことーー、それはなんという慰めの泉でしょう!どんなさざ波も、変わらない主のご性質という静寂さを乱し得ないのです。そして、おお、もしも乱されてしまうのでしたら、神はもはや完全なる存在ではなくなってしまいます。そして、神は自らを非神格化し、、、そうして神であることを止めてしまいます!

 

変化というのは、この地上における私たち人間側の定めです。「これらは滅びるでしょう」(詩102:26)。ーーこれは地上のあらゆる営為に関する簡潔なる歴代誌です。頭上にひろがる空、下にある大地、私たちを取り囲む様々な諸要素は、いつの日か滅びます。「天の万象は朽ち果て、天は巻き物のように巻かれる。その万象は、枯れ落ちる。ぶどうの木から葉が枯れ落ちるように。いちじくの木から葉が枯れ落ちるように」(イザヤ34:4)。

 

清らかに愛し合った日々ーーそれらは去っていきました。寂しい巡礼路を甘美なものにしてくれていた朋友たちーー彼らも、もういなくなりました。しかし、この世の有為転変という波打つ海原の只中に、ひとつ確実にして安全なる錨があります。「あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません」(詩102:27)。全てはもろく、移ろい変っていきます。しかしここに決して変わることのない恒常なる御方がいます!地上的足場は崩れてしまうかもしれません。しかし生ける神殿は永存します。葦は突風で打ち倒されてしまうかもしれません。しかし生ける岩は、嵐を叱り克服します。

 

私たちの偉大なる大祭司の不変性を想い黙想することは何にもまさる幸いです。「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです」(ヘブル13:8)。確かにある意味、主は「変化」されました。もはや主は悲しみの人ではなく、宿なき放浪人ではありません。今、主は天の栄光の真ん中で王座に就いておられます。セラフは主を讃美し、聖徒たちは恍惚とこの御方を仰いでいます。しかし、主の御心は不変です。そして昇天されたイエスの御栄光は、この方の、人としての優しいいたわりと同情心を消し去りはしませんでした。

 

誰からも見放された罪びとを受け入れられたイエス。嵐を鎮め、ナインの町の門に立ち、滅び行く町のために嘆き悲しみ、墓に埋められた友のために涙を流されたイエス。そしてこの方は当時も今も「変わることがない」(詩102:27)のです。御使いたちにより、主の再臨の時まで主の教会に遺贈された名、それは「その同じイエス(“that same Jesus”)」です。そして、パトモスでの主ご自身の称号ーー「わたしは、生きている者である」(黙1:18)--は、永久(とわ)なる記念碑です。

 

友よ!あなたに対する主の態度は変わってしまったのでしょうか。もう地上で二度と見ることのできなくなった愛しい人の遺影に慟哭していますか。あるいは苦悶の内に、「神は、いつくしみを忘れたのだろうか?」(詩77:9)と呻いているのでしょうか。ご覧なさい。変化はあなたの内にあります。神にではないのです。うちひしがれ背を向けてしまったあなたの雲の背後に、主の愛の太陽がこれまでにも増してさんさんと輝いています。「主は、、疲れることなく、たゆむこともない」(イザヤ40:28)。

 

あるいは、あなたは今、非常に厳しい試練の下に置かれているのかもしれません。そして、神の御手が余りに重く感じられ、苦しんでおられるのかもしれません。「ああ、この懲らしめがもう少し軽いものだったら、どんなによいことか!」「死別のこの苦しみはいつ和らぐのだろうか?」

 

友よ、上を見上げ、詩篇作者の祈りをあなた自身のものとしてお受けなさい。「私は、主のみわざを思い起こそう」(詩77:11)。あなたのために十字架に釘づけされたその同じ御手が、今、御座の上で、あなたのために弁護をしておられるのです。主は御座の上から全ての試練を律し、統御しておられ、あらゆる暗き摂理の上に、次のような決定的回答を差し出してくださっています。「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう?」(ローマ8:32)。

 

おお、ですから、安心してイエスの不変性という枕の上に頭を横たえなさい。移り変わるこの世の荒削な強打のただ中にあってーーもはや夜も転変も浮き沈みもない、曙の光が差し込むその時までーーあなたは次のように言うことができます。「平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます」と。(詩4:8)