巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

季節の移り変わりと神の栄光

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5月になり、若葉・新樹の光りは、夏らしい輝きをみせるようになってきています。

 

「夏めくや椎のかづきし雲のいろ 高橋潤

 

春が終わりつつあります。さて、一つの季節が過ぎ去ってしまうことは私たち人間にとって憂いなのでしょうか。それとも歓びなのでしょうか。

 

『千載和歌集』という平安時代に編纂された勅撰和歌集がありますが、その中に次のような歌が収められています。

 

「あかでゆく春の別れにいにしへの人や卯月といひはじめけむ」(藤原実清朝臣)

 

卯月(うづき)というのは陰暦4月の異称で、ここで歌人藤原実情は、過ぎていく春との別れを惜しみ、四月というのは憂い月だと詞を掛けているそうです。

 

しかし私たちキリスト者の自然観、季節観は、こういった平安歌人たちとは異なっていると思います。

 

「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる」(詩篇19:1)

 

神のお造りになっている「変化」と「恒常性」という創造のわざに関し、C・S・ルイスが、The Screwtape Letters(「悪魔の手紙」)という本の中でとてもおもしろいことを語っています。

 

 「人間というのは時間の中に生きていて、連続的に現実を経験している。それゆえ、それを大いに満喫するべく、人間たちは多くの異なることを経験しなければならない。つまり、彼らは変化を経験しなければならないのだ。

 

 そのため、、〔神は〕人間たちが変化を心地良く感じるようにされた。――ちょうど、食べることを心地良く感じるようにしたのと同様に。しかし神はまた、(人間の食べる行為と同じように)変化それ自体が人間にとっての目的になってしまうことを望んでおられない。

 

 それで神は、人間の中に存在する『変化への愛』を、『変わらないものに対する愛』によって均衡を保たせることにした。そして神は、ご自分のお造りになったまさにこの被造世界において、人間たちがその両方を味わうことを良しとされた。

 

 そう、われわれがリズムと呼んでいる、『変化』と『恒常性』との結合によって、神はそうすることを良しとされたのだ。」

 

変化への愛と、不変のものに対する愛、というこの二つの望みは、確かに私たちの魂に深く根付いているように思います。C・S・ルイスは続けてこう言っています。

 

「(その結果)、神は人間に季節をお与えになった。それぞれの季節は異なっているけれども、それは毎年同じ仕方でやって来る。だから、春が来るたびにいつも新規なものを感じるけれども、それは同時にまた、太古のテーマの循環としても感じられるのだ。」

 

使徒教父の一人であり、使徒ペテロとパウロの弟子であったとされているローマのクレメンス(30-100、参:ピリピ4:3)は、コリント教会に宛てた手紙の中で、イエス・キリストの復活のことを述べていますが、その中で、次のような印象深いことを言っています。

 

「昼も夜も、私たちに復活のことを語り告げている。夜は眠りに沈み、そして昼は〔死から〕よみがえる。そして昼が〔再び〕離れて行き、夜が到来する。」

"ἡμέρα καὶ νὺξ ἀνάστασιν ἡμῖν δηλοῦσιν· κοιμᾶται ἡ νὺξ, ἀνίσταται ἡ ἡμέρα· ἡ ἡμέρα ἄπεισιν, νὺξ ἐπέρχεται." (Clement of Rome, 1st Epistle to the Corinthians, chap.24)

 

 

神が春、夏、秋、冬と異なる季節を創造されたのは、究極的にそれにより神に栄光が帰せられるためであると私は信じます。

 

また、気候としての季節だけでなく、私たち一人一人の人生の季節においても、そこには変化と恒常性があり、それらが創造的に美しく織り合いをなしつつ、「Glory to God! Glory to God!(神に栄光あれ)」と今日も全身全霊で証していると信じます。アーメン。

 

詩篇145:1-6

1 私の神、王よ。私はあなたをあがめます。あなたの御名を世々限りなく、ほめたたえます。

2 日ごとにあなたをほめたたえ、あなたの御名を世々限りなく賛美します。

3 主は大いなる方。大いに賛美されるべき方。その偉大さを測り知ることができません。

4 代は代へと、あなたのみわざをほめ歌い、あなたの大能のわざを告げ知らせるでしょう。

5 私は栄光輝くあなたの主権と、あなたの奇しいわざに思いを潜めます。

6 人々はあなたの恐ろしいみわざの力を語り、私はあなたの偉大さを述べるでしょう。