巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「もしも、アダムに権威が与えられた理由が、『アダムがエバよりも先に造られたこと』に由来するのなら、動物が私たちを支配するということになりませんか?」という主張はどうでしょうか。


有名な対等主義の牧師であるグレッグ・ボイド師は、教会内における女性リーダーシップを推進する立場から次のような議論を展開しています。

 

「しかしパウロは自分の教えを、『アダムが初めに造られ、その次にエバが造られた』『アダムは惑わされなかったが、女は惑わされた』(1テモテ2:14)という事実に基礎づけているのではないでしょうか?表面的にみると、パウロのこの指示は不可解です。

 

結局、アダムがエバよりも先に造られたということに何か大きな違いがあるのでしょうか。というのも、これと同じロジックでいけば、動物たちが人間に対して権威を行使するということになりませんか?なぜなら、動物たちは私たち人間よりも先に造られたのですから。」

Greg Boyd, Women, Leadership, & the Bible

 

 

Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter3より翻訳引用

 

対等主義側の主張

もしも、アダムに権威が与えられた理由が、「アダムが初めに造られた」(1テモテ2:13)ことに由来するのなら、動物が私たちを支配するということになりませんか?なぜなら、動物は人間よりも先に造られたからです。

 

 

これは、対等主義者の間で一般的にみられる見解です。ギルバート・ビレズィキアンは次のように書いています。

 

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 「原始の起りが、系列の初めの者に優勢を授けるという規範になるや否や、アダムとエバは動物たちの統治下に入ってしまうことになります。創世記1章によると、動物は人間よりも先に造られました。

 それゆえ、動物たちが人間を治めなければならないのです。こういった理論の荒唐無稽さは明らかです。一時的な卓越それ自体は、より優れた地位を付与するものではありません。」Bilezikian, Beyond Sex Roles, 30

 

同様に、リンダ・ベレヴィールも次のように言っています。

 

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「創世記2章の記述をみると、『男がまず先に造られ、その後に女が造られた』ということには何ら重要性を見い出していません。実際、動物が男性よりも先に造られたという事実は、そういった種類の結論づけに対し注意を施すものです。」

Belleville, Women Leaders and the Church, 103. (参:Brown, Women Ministers, 24-25)

 

回答1.人間間における権威関係というのは人間だけに適用されます。

 

聖書は明らかに、動物の世界を治めるよう人間に権威を与えています。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ」(創1:28b)。

 

ですから、創世記それ自体からも見て取れるように、先に造られたものに付随している権威というのは、創造されたものすべてに適用されるべき絶対的支配ではありません。それはアダムとエバという被造物に適用される限定的な原則であり、それは聖書がそのように見ていることからも明瞭です。

 

実際、長男子相続権という考えは、後期旧約聖書ナラティブであり、これも絶対的原則ではありません。また長男子相続権は、長男だけに適用され、長女には適用されませんし、それぞれの家庭内に適用され、隣接した家族の中で先に生まれた子どもたちにも適用されません。

 

そしてもちろん、その家の子どもたちよりも先に生まれた動物たちに適用されないことは言うまでもありません!ですからこの概念は、限定された原則であって、人間の家族内において適用され、そのようにしてアダムとエバの話の中でそれを限定適用することには何ら矛盾はない、ということになります。

 

回答2.「アダムが初めに造られたこと」を、パウロは男女の関係において重要なものとして捉えています。

 

エバよりもアダムが先に造られたということを私たちが重要性するかしないかに拘らず、使徒パウロ自身、それを――新約聖書の教会時代における男女の相互関係性のあり方に影響を及ぼすほど――それほどに重要なものであるとみています。

 

「私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ、静かにしていなさい。〔なぜなら γάρ, for〕、アダムが初めに造られ、次にエバが造られたからです」(1テモテ2:12、13)。

 

ですから、「それは正しくはあり得ない。だってそうだったら、動物が私たちを支配するってことになるではありませんか?」と反対することは、神の御言葉それ自体の論法に反対することに他なりません。

 

私たちが今後も聖書の権威に従い続けようとするなら、私たちはパウロの論法を正当なものとして受け入れなければなりません。

 

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