巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

他者理解/相互理解としてのディスペンセーション主義考究シリーズ最終回㉒「物理的な王国」「未来におけるユダヤ人信者たちの役割」「シンボルの深み」 (by ヴェルン・ポイスレス/ウェストミンスター神学大 新約学)

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Vern Sheridan Poythress, Understanding Dispensationalists

Westminster Theological Seminary, PA, summer, 1986

(目次はココです。)

 

追記―1993年

 

1987年の初版以来、私たちは、本書3章でみてきたような、修正ディスペンセーション主義そして「神のひとつの民」型ディスペンセーション主義の、さらなる進展を目の当たりにしています。

 

特に、最新の発展具合を、Craig A. Blaising and Darrell L. Bock, eds., Dispensationalism, Israel and the Church (Grand Rapids, MI: Zondervan, 1992)1の著書の中にみることができます。

 

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Craig A. Blaising(南西バプテスト神学校)

 

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Darrell L. Bock(ダラス神学校)

 

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(ブライズィング氏とボック氏の立場は、上の図表の右側上方に位置づけられています。漸進的ディスペンセーション主義〔Progressive Dispensationalism〕です。また、ダラス神学校は、グレイス神学校やタルボット神学校と共に、古典的ディスペンセーション主義→修正ディスペンセーション主義→漸進ディスペンセーション主義へと変化していっています。

 

 

こういった発展は、1987年初版の自著 Understanding Dispensationalists が提言し、促進しようとしていた方向性を強化しています。1987年の段階で小規模に起こりつつあった内容を、彼らは調和させようとしています。それゆえ、実質的に私の著書は1987年当時と同様、今も有用性を残していると思います。

 

物理的な王国(A PHYSICAL KINGDOM)

 

いくつかディスペンセーション主義の読者の方々から質問を受けましたので、次に挙げる3つの点を明確にし、また補強しようと思います。最初の質問は、ポール・S・カールリーンによって詳説されている将来的「イスラエルのための地上における物理的王国」についてです。

 

多くのディスペンセーション主義者は――修正版の方々であっても――物理的王国に対するこの期待こそ、彼らと契約主義神学者たちを仲たがいさせ、いかんともしがたい亀裂を起こす争点だと考えています。

 

しかしまず、私たちが思い巡らせている「地上における物理的王国」というのがいかなる種類のものなのかを注意深く定義し、理解するようにしましょう。私はアンソニー・A・ホエケマと同様、万物の成就には、新しい天だけでなく新しい地も含まれていることに力点を置いています(黙21:1)。

 

さらに――復活の体が、古い体の変貌であるように――この新しい地は、古い地の変貌であり更新であると私は理解しています。

 

この新しい地は、イエスの復活のからだが触知可能かつ肉と骨であったように(ルカ24:39)、物理的であり物質的であると理解しています。

 

変貌のからだは実際、1コリ15:44-46のように「霊的なもの」であることでしょう。しかし新しいものの「霊的」性質というのは、聖霊によって満たされ、主によって強められている状態を含みます。

 

またここで言う「霊的」とは、「物質的」の対照としての「空気のような」という意味ではなく、終末論的な秩序《以前》の「自然的」秩序と対照をなす「終末論的」という意味です。

 

ですから、新しい地は、その性質において物理的かつ物質的であると言えましょう。そしてこの新しい地で、すべての贖われたイスラエルは王国の統治を享受するでしょう。「彼らは地上を治めるのです」(黙5:10)。「柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです」(マタイ5:5)。

 

それゆえ、手短に言いますと、私は将来における「地上の物理的王国」を確かに信じており、そのように信じないことは、かなりの誤謬であると思います。

 

しかしディスペンセーション主義の方々は私の見解に今もって満足してはおられないだろうと察します。彼らの頭にあるのは、イスラエルのための千年王国であり、それは新しい地ではなく、古い地上にある王国のことです。

 

(全員ではありませんが)多くの方々は、この地点で、ラディカルな区別がなされなければならないと考えています。なぜなら彼らは、万物の成就の際の新しい地を、現行の地上とは完全に異なり、関連のないものであると想定しているからです。

 

そして千年王国期の地上だけが、現行の地上と実質的連続性のうちに存続すると考えています。しかしここでの意思疎通の食い違いはかなり危険なものです。彼らの思い描く「新しい地」というのは、私の思い描く「新しい地」と同じではないのです。

 

私のいう新しい地は、実質上、彼らの千年王国期の地上と見分けがつかないのです。いやそれだけでなく、それは彼らが想像する以上により優れたものです。なぜならそこでは全ての悪はすでに消え去っているからです。

 

未来におけるユダヤ人信者たちの役割(THE FUTURE ROLE OF JEWISH BELIEVERS)

 

それから二番目の主要点は、将来的なこの王国が「イスラエルのため」のものであるという点です。

 

そしてこの点においては、修正ディスペンセーション主義者や漸進的ディスペンセーション主義者の方々でさえも、自らと、〈非〉ディスペンセーション主義的前千年王国説者(=歴史的前千年王国説者)との間に区別をつけようと努めている点でもあります。

 

王国が「イスラエルのため」というのはどういう意味なのでしょうか。大半の契約主義神学者たちと同様、私も、イエス・キリストを信じるユダヤ人と異邦人が共に、アブラハムおよびダビデへの御約束を相続すると考えています。

 

他方、ディスペンセーション主義者は、区別された民族的集団およびnationとしての忠実なるユダヤ人たちが、千年王国にて特別な役割を担うと考えています。それでは、キリストの再臨後、どのような種類の特別な役割が王国内の忠実なるユダヤ人に委ねられているのでしょうか?

 

ここでもまた、私たちは、どのような多種多様な人々のことが私たちの念頭にあるのかを注意深く理解する必要があります。

 

私のような契約主義の立場にいる者といたしましては、神の国の中に多様性に富んだ民族グループの人々がいるということを積極的に肯定しています。

 

今日のキリスト教会内には、さまざまな民族グループの人々がいます。――ユダヤ人、ジプシー、ポーランド人、リトアニア人、ケチュア人、中国人、ミャンマー人、バントゥー人、コマンチェ人等。。。

 

新約聖書の時代、異邦人クリスチャンとユダヤ人クリスチャンはそれぞれ独自の慣習や民族的諸風習を保持していました。異邦人はユダヤ人になるよう要求されておらず、ユダヤ人も異邦人のようになるよう要求されていませんでした(彼らは例えば、引き続き子ども達に割礼を施し、モーセ慣習を遵守することが可能でした。使徒21:21)。

 

それゆえ、こういったすばらしい多様性は、キリストのみからだの栄光を表すなにかであると信じることはきわめて妥当だと思います。そして、それは引き続き、キリスト再臨後における変貌した形態の中にあっても表れていくことでしょう(黙21:24)。

 

民族的、社会的、さらには地理的多様性であってさえも、それらはキリストのからだの霊的一致ときわめて良く調和しているのです。

 

それゆえに、契約主義神学内では、「キリストにある神のひとつの民の合一」に対する強調は、民族的多様性に対する認識と、きわめて良く調和するものと捉えられています。

 

逆に、ほとんど全てのディスペンセーション主義者は今日、「救いはキリストにある道しかない」ということを積極的に認めています。キリストとの合一により、今やユダヤ人も異邦人も共に、キリストにあって等しく霊的恩恵を享受しています。

 

ですから契約主義神学者と、ディスペンセーション主義者との間の今日における相違点というのは、それほど甚大なものではないと言えます。

 

契約主義神学者たちは、ユダヤ人信者の民族的特異性というもののいくつかを認めることができますし、ディスペンセーション主義者は、すべての民族グループに対しての共通した恩恵といったもののいくつかを認めることができます。

 

にもかかわらず、重要な相違点は依然として残っています。ディスペンセーション主義者は、将来、グループとしての民族的ユダヤ人信者に、特別な宗教的地位や役割があるということを信じています。

 

一方、契約主義神学者たちはそう信じてはいません。従って、これから先の話し合いでは、この問題に焦点が置かれるべきだということになるでしょう。

 

それから、ここで鍵となっている問題をさらに明確化するために、消去法的にまずは「何が問題とされていないのか」について述べたいと思います。

 

まず第一に、ユダヤ人クリスチャンがはたして民族的、社会的、地理的、もしくは他の特徴点を保持するのか否かといった点は問いの対象にはなっていません。というのも、間違いなくそれは保持されるでしょうし、そういった相違点はむしろ、キリストのからだの中における多様性に肯定的貢献をすると思われます。

 

二番目に、はたしてユダヤ人信者が旧約聖書の土地や王国に関する御約束を相続するのかどうかといった事もここで問題にはなっていません。もちろん、彼らは相続するでしょう。換言しますと、私たちは将来的な「地上における物理的王国」が「イスラエルのため」であるか否かということを問題にはしていないのです。

 

ここで問題にされているのは、それがはたして異邦人クリスチャンのためでもあるのかどうかという点です。

 

ユダヤ人クリスチャンは未来のある時点で、ある特別な祭司的特権もしくは宗教的祝福を持ち、そして、そこから異邦人クリスチャンは排除されているのでしょうか?

 

「イスラエルのために」というフレーズは実際的には、①「イスラエルのため、そして異邦人のためではない」という意味なのでしょうか?②それとも、「イスラエルのため、そしてキリストとの合一を通して相続人となった異邦人クリスチャンのためでもある」という意味なのでしょうか?

 

古典的ディスペンセーション主義は、の意味を主張しています。そして契約主義神学はの意味を主張しています。

 

それゆえ、ただ単に、「はたしてユダヤ人は将来の王国において、特別な役割を果たすようになるのか否か?」と問うだけでは問題は明確化されません。

 

事の焦点は、私たちがそれぞれ、いかなる種類の特別な役割というのを想定しているのか、、そこに全てがかかっています。

 

民族的特異性のことでしたら、もちろん、Yesです。そして他の人々が排除された上での、特別な宗教的ないしは祭司的特権・祝福ということでしたら、答えはNoです。

 

ディスペンセーション主義者自身が、この点でジレンマに陥っています本書13章参照)。彼らは、キリストにある唯一の救いという統一性(unity)を肯定しようと望んでいます。

 

しかし次に彼らはガラテヤ3章で述べられているパウロの言明に衝突してしまいます。というのもこの箇所でパウロは、キリストにある信仰を通した義認のリアリティーは、「異邦人はユダヤ人信者と共に同じ宗教的特権を授かっている」という結論に容赦なく私たちを導くからです。

 

パウロの主張は、キリストにある救いの道に対する中心的リアリティーを基盤になされていますから、それはキリスト再臨後の未来の王国にも適用されなければなりません。

 

その時には、ユダヤ人信者は実際、ダビデ王国の祭司的・王権的特権を享受するでしょう。しかし、ここで「異邦人信者はそういった諸特権を等しく共有することはない」と言うのは、全く聖書的根拠に欠けています。

 

さらに、異邦人に対するそのような排除は、ガラテヤ3章と矛盾しており、従って、それは反福音(antigospel)です。それゆえ、異邦人たちは、排除されるのではなく、内包されます。

 

しかしながら、このように異邦人たちが内包される時、「ディスペンセーション主義前千年王国説」と「契約主義プレミレニアリズム(歴史的前千年王国説)」を差異化させていた最も重要な特徴点が消失することになります。

 

そして、そうなりますと、そういった立場を標識化するものとして「ディスペンセーション主義」という用語使用はもはやその意義を失うことになるでしょう。

 

この根本的ジレンマを回避するべく道を示すことのできたディスペンセーション主義者は一人もいません。

 

救いの唯一の道はキリストとの合一を通した救いです。そしてキリストとの合一は――私たちがユダヤ人であろうと異邦人であろうと――すべての祝福の全き享受へと私たちを導きます。未来は、キリストが成し遂げてくださったことを決して無効にはしません。それがガラテヤ3章の意味するところです。

 

それゆえ、ガラテヤ3章は「岩」であり、未来に関するディスペンセーション主義者の諸見解はこうして、この岩の上で粉々にされるでしょう。

 

私は古典的ディスペンセーション主義の持ついくつかの特徴点を越え、そこから進んでさらに研究を続けておられる漸進的ディスペンセーション主義の方々に個人的いたわりと感謝の気持ちを抱いています。

 

私は、彼らのこういった前進を嬉しく思っております。と言いますのも、これまで以上に聖書の真理を忠実に表現しておられるように見受けられるからです。また彼らの著書の中に表されている平和的・融和的な語調にも感謝しています。

 

しかしながら、彼らのおかれている立場は、本質的に不安定なものです。長期的に見ますと、これらの方々は、今後、神学的に「古典的ディスペンセーション主義」と「契約主義プレミレニアリズム(歴史的前千年王国説)」との狭間に安らぎの港を見い出すことに困難を覚え、その不可能性を感じることだろうと思います。

 

そして現在、これらの方々自身の見解の上に働いている力は、おそらく今後、ジョージ・E・ラッドの型に倣った契約主義プレミレニアリズムへと彼らを導いていくだろうと予測されます。

 

シンボルの深み(SYMBOLIC DEPTH)

 

最後になりますが、私は、予型の領域が特に重要であるという点について今でも確信を持っています第11章参照)。旧約聖書の啓示の中に内在する象徴的深みに対する認識は(*7)、神のなさる伝達の性質に関する、字義主義的(《平べったい》;flat)諸前提を崩壊させます。

 

そして一度、こういった諸前提が処分されるなら、ご自身の約束に対する神の誠実さは、成就の厳密な形態についての柔軟性と調和していることが見えてくるでしょう

 

そしてこの柔軟性は、「成就の形態にかんする新約聖書の指示」に第一義的な重要性を与えることに関し現在私たちを阻害しているものを取り除きます。

 

それではそれが意味していることをもう少し特定化してみることにしましょう。

 

理論上、未来の王国において、ユダヤ人クリスチャンがパレスティナの地に大部分住んでおり、それに対し、異邦人クリスチャンはそれ以外の地域に大部分住んでいる、という状況を人々は想定するかもしれません。

 

そういった地理的特異性はそれ自体において、何か問題を生み出すことにはなりません。しかし、ディスペンセーション主義者は、パレスティナの地という一つの特定の土地に対し、他の土地とは差異化させた、特定の宗教的重要性を見い出そうとしています。

 

旧約聖書の時期、カナンは紛れもなくそのような重要性を持っていました。なぜなら、それはキリストにおける世界の相続地を予型していたからだと私は考えています(ローマ4:13、ヘブル11:16)。

 

しかし、今ここで、将来、ある場所(or 土地)が格別に聖く、あるいは格別に神の御約束の成就となると仮定することにしましょう。そうしますと、異邦人たちも、この相続地の中に等しく参与権をもたなくてはならないということになります。そうでなかったら、私たちはガラテヤ3章を侵害してしまうことになります。

 

そして、ただ単に古典的ディスペンセーション主義と共に、「異邦人クリスチャンとユダヤ人クリスチャンが地上とは区別されたところの天を相続する」と主張するだけでは問題があります。

 

なぜなら、この立場だと、私たちはユダヤ人クリスチャンたちを祝福の地上的側面から廃嫡してしまうことになります。そうなると、この人は、ディスペンセーション主義者が最も大切にしている全ての旧約の御約束と真っ向から対立することになります。

 

また、「ガラテヤ書は、ある狭義の意味における『霊的』祝福のことを言っているに過ぎない」と言うことも問題です。なぜなら、(ディスペンセーション主義者の理解によるところの)「異邦人クリスチャンではなく、ユダヤ人クリスチャンが将来的に、祝福の物質的側面を相続する」という事は依然として真だからです。

 

さて、異邦人たちは、彼らの得ることのできる神のあらゆる祝福を得るべく熱心でなければなりません。

 

もしもそれらを逃してしまうのなら――たといそれらが将来における下位的な「物質的」祝福であったとしても――、その場合、彼ら異邦人たちには、そういった付加的祝福を見逃すことのないよう、自ら割礼を受け、そして本格的なユダヤ人になろうとするまっとうな理由があります。

 

そしてこういった付加的祝福という考えこそ、パウロが渾身の力を込め論駁した内容だったのです。

 

ですから、真の危険は、「契約主義的統一性(covenantal unity)は自動的にユダヤ人信仰者から相続権を奪ってしまうことになる」という点にはないのです。(それに実際、そんなことはありませんから。)

 

そうではなく、真の危険は、ディスペンセーション主義者が、ユダヤ人が将来キリストを通して受けることになっている完全な諸特権のいくつかを異邦人も受けることに対し、それ〔=異邦人も受けることになっているそういった諸特権〕を不法にも異邦人から排除してしまっている点にあるのです。

 

―完―

 

Postscript Footnotes(注)

1 We should also note the continued discussions under the auspices of the Dispensational Study Group, which meets yearly in connection with the annual national meeting of the Evangelical Theological Society. In November, 1989, the Group focused discussion on my book, and the results were published in Grace Theological Journal 10 (1989) 123-164.

In addition, the major material from the Dispensational Study Group in 1990 appears in Grace Theological Journal 11 (1990) 137-169.

 

2 The words come from Paul S. Karleen’s review and response, “Understanding Covenant Theologians: A Study in Presuppositions,” Grace Theological Journal 10 (1989) 132. See my comments in Poythress, “Response to Paul S. Karleen’s Paper `Understanding Covenant Theologians,’\|” Grace Theological Journal 10 (1989) 148-149.

 

3 Hoekema, The Bible and the Future.

 

4 David L. Turner, “The New Jerusalem in Revelation 21:1-22:5: Consummation of a Biblical Continuum,” in Dispensationalism, Israel and the Church, pp. 264-292, helpfully emphasizes the continuities between the millennium and the consummation.

 

5 Though it might better be said that believing Israel comes into the kingdom. See Bruce K. Waltke, “A Response,” in Dispensationalism, Israel and the Church, p. 352.

 

6 “If one envisions a Jewish millennium in which the kingdom will be restored to ethnic Israel in the land, the term dispensationalism will still be useful. If ethnic Israel’s role is only its remnant status on a permanent equality with the Gentiles in the one true people of God with no distinctive role in the land beyond the Parousia, then the term dispensationalism is misleading and ought to be dropped” (ibid., p. 354.)

 

7 Note that I do not see typology merely as a product of later commentary on earlier events, but as adumbrated by the significance of events even in their original context. The theocentric character of biblical revelation invites us from the beginning not to take the route of flat reading.

 

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右側がヴェルン・ポイスレス氏、左側はジョージ・フラー氏