巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

巡礼者

好むと好まざるにかかわらず、人はさまざまな肩書や称号や名称を自分自身につけたり、他人につけられたりしながら生きています。みなさんにはどういう称号(title)がありますか?

 

このブログのタイトルにもあるように、私は巡礼者(pilgrim)という称号をとても気に入っています。巡礼者と聞くと、なんだか途端に土やら草のにおいがしてきて、そうすると「称号」というお堅い漢字が拍子抜けしてきょとんとしている感じがして、そこがすごく好きなんです。

 

「雲と火の主よ、私は旅びとです。

 旅びと特有の無頓着さをもち、

巡礼者の杖を手に取って、

いざ シオンに向かい進んでゆく。」

 ―ピューリタンの祈り

 

外国人として見知らぬ国に生き、肉的にはこの世に特に何も残していくこともできそうにない人生。

でも裏を返せば、巡礼にはそれこそもってこいの人生。

 

巡礼者というのは不思議な存在で、

天涯の孤独人であるはずなのに、

ひょんなとき、ふと隣に誰かが一緒に歩いていたりして

驚かされます。

 

でも しばらくして、

主はまた巡礼者をひとりの旅びとにします。

 

「私は巡礼の旅びと。

だから、この地で

なにも受けない。」

 Gerhard Tersteegen, The Stranger Gets Nothing

 

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こうして神の摂理のユニークなる「強要」、

そして愛の御手により、

巡礼者は、時に陽気に謳い、

時に泣きじゃくりながら、

聖地への旅をつづけていきます。

 

「汝の導かれるところへ 私は進んで行きます。

すり傷やあざが何だというのでしょう。

汝の木には ひんやりした癒しの葉々がありますから。

 

どうか私を導いてください。

――汝の天的な知恵が

愛のうちに 良しとされるままに。

 

ほがらかな渡り鳥のように

汝の愛する子は 

丘を越え 野を越え 人気(ひとけ)のない海を越え

ひとり進んでいく。

少しもおじけずに。

 

だから 私も恐れず ついて行こう

汝の愛を求めて。

Amy Carmichael, Following