巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

ポスト近代と「セラピーの統治」(by アルバート・モーラー)


セラビーの統治(The Dominion of Therapy)

 

真理が否定された後には、セラピーが残る――。こうして決定的な問いが、「何が正しいのか?」から「何が私の気分を良くさせてくれるのか?」へと移行していきます。こういった文化的傾向は何世紀にも渡って発展してきたものですが、今やそれは最高潮に達しつつあります。

 

私たちの日々向き合う文化は、ほとんど完全に、フィリップ・ライフの言う「セラピーの凱旋」の征服下にあります。ポスト近代の世界では、すべての問題は結局、「自我」を中心に廻っています。

 

それゆえ、改良された自尊心というのが、教育・神学的アプローチの目指すべき目標として残ることになります。そして「罪」というようなカテゴリーは、抑圧的で自尊心に危害を与えるものとして拒絶されます。

  

このセラピー的アプローチは、――真理というのがそもそも存在するのか確信はないけれども、自分たちの自尊心だけはしっかり守られなければならないと確信している個々人から構成されている――ポスト近代の文化の中にあって、圧倒的な地位を占めています。

 

何が正しくて、何が間違っているのかという正誤判断は、抑圧的な過去を思い出させる時代遅れな想起物として捨て去られています。自分たち自身の「信憑性(“authenticity”)」という名の元に、人々は自らのお気に召さないあらゆる倫理的基準を拒絶し、善悪に対する配慮の代わりに、自分たちの権利に対する主張を王座においています。