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巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

真のジェントルマン――神の国のエートスに生きる男性たち

 

キリスト教界の中で近年特に、煙たがられ、胡散臭がられている地味な一角があるのを皆さんはご存知でしょうか。それは、相補主義の立場にたつ保守男性群です。

 

エヴァンジェリカル界内部でのフェミニズム領域が拡大・膨張するに従い、彼ら男性群の生息域はますます狭められ、彼らに対する風当りは日増しに強くなっていっています。彼らは荒れ狂う波に懸命に抗しつつ生きている、けなげな藻(も)のごとくあります。それで私は愛と親しみを込め、こういった方々のことを「聖なる藻族(the tribe of holy algae)」とお呼びすることにしています(笑)。

 

相補主義の男性たちこそ、真のジェントルマン

 

現代の潮流では、「私は、女性のみなさんがどんどん牧会ミニストリーの場で活躍することを望んでいますよ。」と言ってくれる男性は、「女性を尊重する人」として好感をもたれ、人気を博します。その一方、「牧会職は男性だけです。妻は夫に従わなければなりません。」と今も尚、聖書の真理をまっすぐに説いている男性たちは、「家父長主義者」「性差別主義者」などとしばし糾弾され、嫌われます。(2テモテ4:3,4参照)

 

しかし事実はその反対です。真に女性を尊重し、いたわる心のある男性は、その愛ゆえに、そして御言葉への従順ゆえに、女性たちを講壇に上らせ、説教させるようなことはしません。

 

講壇に立つ説教者には、地獄の矢が容赦なく無数に放たれます。講壇こそ、敵のもっとも憎む、いのちの御言葉が語られる場だからです。その風当りたるや本当に大変なものです。ですから、1テモテ2:12の「私は女が教えたり男を支配したりすることを許しません」は、私たち女性をこよなく愛する、主の慈しみと守りのメッセージなのです。

 

そして、講壇に向かって放たれるこの熾烈な攻撃の矢の実態を真に知っている男性は、自らを犠牲にしてでも、群れにいる私たち女性や男性をこの攻撃から守ろうとします。ですから――この世やこの世に属する教会の評価とは正反対に――彼ら相補主義の男性たちこそ、真のジェントルマンなのです。

 

神の国のエートスと、地の国のエートス

 

また「彼ら相補主義の男性たちは、賜物豊かな女性たちの活躍の場を制限している」という批判に対して私は次のように応答したいと思います。

 

私の母校の卒業生には、国連職員が非常に多くいて、しかもその中の大部分が女性です。元国連難民高等弁務官の緒方貞子さん(1927年~)や、国連事務次長補/国連開発計画総裁補/危機対応局長の中満泉さん(1963年~)など、国際政治の第一線で活躍しているこういった女性たちは、私たち女子学生にとって常に憧れの的でした。

 

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      国連総会

 

しかしながら聖書の中に啓示されている神と人間の真実が自分の中で確かなものになり、教会を通して顕される神の栄光の輝きに感動を覚えるにつれ、私の中で次第に「活躍する」というボキャブラリー自体が姿を消していきました。

 

国連で活躍する日本人女性、JICA(国際協力機構)で活躍する日本人女性、世界銀行で活躍する日本人女性、、そして、「キリスト教会」あるいは「世界宣教現場」で活躍する日本人女性?、、いいえ。それは違います

 

教会は、国連ではありません。JICAでもなく、世界銀行でもありません。教会は、「生きがいセンター」ではなく、自己実現の場でもなく、「霊的」キャリアを積む場所でもありません。「男女雇用機会均等法」という現代の発想やフィロソフィーは、あくまで地の国のエートスであって、神の国に属するエートスではありません。

 

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また、この世の諸機関では、女性や男性といった個々の「人」が活躍し注目を受けますが、それに対し、キリストの血で贖われた民から成るエクレシアでは、ただひとりキリスト・イエスだけが「活躍」され、キリストの栄光だけが輝き、そして全てのベクトルが「人」にではなく、ただこのお方にのみ向けられているのです。

 

♪ ああ、限りなく麗しいわが主イエスの姿、天(あめ)に光り輝く。

わがすべては主のもの。

 

ガラテヤ2:20

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなくキリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

 

ルカ17:7-10

7ところで、あなたがたのだれかに、耕作か羊飼いをするしもべがいるとして、そのしもべが野らから帰って来たとき、『さあ、さあ、ここに来て、食事をしなさい。』としもべに言うでしょうか。

8 かえって、『私の食事の用意をし、帯を締めて私の食事が済むまで給仕しなさい。あとで、自分の食事をしなさい。』と言わないでしょうか。

9 しもべが言いつけられたことをしたからといって、そのしもべに感謝するでしょうか。

10 あなたがたもそのとおりです。自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです。』と言いなさい。」

 

ローマ11:36

すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。

 

おわりに

 

主は、一方的な恵みと憐れみによって、私を、対等主義の崖っぷちから、相補主義の平安な岸へと移し、文字通り、私の人生を病とストレスと破滅から救出してくださいました。そしてその過程で、主は何人かの相補主義の兄弟たちを遣わし、彼らの口を通して私にいのちに至る真理を語ってくださったのです。

 

今、私ははっきりと見ています。――私の魂のさいわいを真に配慮し、愛してくれていたのは、私に真理を語り、講壇から降りるよう勇気をもって対峙してくれた彼らであったことを。「真理はあなたを自由にする」とはまことにその通りです。

 

親愛なる相補主義の兄弟のみなさん、どうかこれからも勇気をもって聖書の真理を語り続けてください。それがどんなに険しい道であっても、また孤独な道であっても、主の力強い御手が変わることなくみなさんの上に置かれ、今日もまたみなさんを励まし前進させてくださいますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。