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巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

S兄の救いの証(イラク、20代前半)

私は、イラクのM市にあるスンニ派イスラム教家庭で生まれました。〔イスラム国に占拠される前までは〕M市には、イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒が共存しており、それぞれが、自分の信じる宗教こそ唯一の正しい宗教だと主張していました。私の小学校、中学校の先生は、オーソドックス教会のキリスト教徒で、私の家の隣に住んでいたので、私たちには家族ぐるみの付き合いがありました。

 

私は幼い時から、まことの神を求めていました。そしてこの先生にも、キリスト教の聖典に関する質問などをよくしていました。ある時、先生がインジールをくださり、私は福音書を3週間以内に読了しました。でも私にとって不可解だったのは、福音書の内容と、この先生の実生活がまるで食い違っていることでした。

 

私は彼女に言いました。「先生はこの聖典を信じていると言っていますが、先生の生活ぶりと、この聖典の内容は全然違うじゃないですか。」また、彼女はお酒を飲み、たばこを吸っていたので、私は先生にこうも抗議しました。「たばこというのは、私たちの体を害するものだと思います。そして私の考えでは、私たちの体は神への礼拝のために聖く保たれる必要があると思います。」

 

罪の赦しについても私は彼女に質問しました。「キリスト教徒はどのようにして罪の赦しを受けるのですか?」すると彼女はこう答えました。「私たちキリスト教徒は、教会に行き、祭司さまに告解し、そして罪の赦しをいただきます。」それを聞いた私は驚いて言いました。「たかが一介の人間に罪を赦してもらわないといけないキリスト教徒とはなんと哀れな人たちでしょうか!」と。

 

ーー

昨年の4月に私はレスボス島のモリア難民キャンプにたどり着きました。そこで遭遇した数々の困難は、私に神に対する疑問を生じさせました。私はただ一つの問いを神に向かって問い続けました。

 

「わが神よ。なぜですか?私は幼い時から真摯にあなたの掟に従い、あなたに服従する生き方をしようと努めてきました。また自分のできる限り、貧しい人々や苦しんでいる人々を助けようと努めてきました。断食も、日々五回の祈りも欠かしたことはありません。私が今、この災難に遭っているのは、あなたに対して何か不敬なことをしたからなのでしょうか。あなたの目に私に何かが足りないからなのでしょうか。どうかこの一つの問いに答えてください。」

 

この時期、私はキャンプ内でクリスチャンのボランティアの人々に出会い、彼らを通してキリスト教会に導かれました。二カ月の間、私は毎日欠かさず教会に足を運び、そこで語られているメッセージに耳を傾けました。ラマダンの月に私は教会の台所にいたのですが、その時、ある出来事が起こってそれを宣教師に言ったところ、彼は私にマタイの福音書6章17-18節を読み聞かせてくれました。

 

「しかし、あなたが断食するときには、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。それは、断食していることが、人には見られないで、隠れた所におられるあなたの父に見られるためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が報いてくださいます。」

 

私はこのイエスの言葉に非常に心を打たれました。また、私はそれまで信仰とは神の掟を忠実に守るという行ないによって得られるものと考えていました。しかし聖書の教えを聞く中で、神の義とは、イエス・キリストを信じる信仰によって与えられることを知りました。こうして私は2016年、イエス・キリストを自分の救い主として心に受け入れ、信仰を持つに至りました。