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巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

そこに存在する神ーーレスボス島の難民キャンプにて

トルコ沿岸にあるレスボス島には現在、3つのキャンプに5000人以上の難民が収容されています。キャンプ内の状態を一言で表現するのは難しいですが、カオス(混沌)と欠乏、軍と警察によるものものしい治安維持体制、先行きの分からぬ不安、極寒、不穏、不満 、悲嘆が黒雲のようにこの場所一帯を覆ってる感をうけます。

 

「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。」(創1:31)

「神は存在するのか?」「もし神が存在するのなら、なぜこのような不正義と悲惨と脅威に対して神は沈黙しているのか。神の義は一体どこにあるのか?」クリスチャンもイスラム教徒も住民も警察も島中がこの問いを叫んでいるかのようです。

先日、キャンプ内を廻っていた時にシリアの D市から避難してきた  Sという老齢の大学教授に会いました。先週、初めてキリスト教会に来られたS氏。彼の心を教会に向かわせたのは、I 兄というミネソタ州から来たボランティア青年(19歳)の純真にして真実な愛の行為だったそうです。 I君は、 Sさんのテントが猫や虫の死骸でひどい状況にあるのを見るや、黙々と片付けを手伝い始め、寒さで凍えるS氏に清潔な毛布を提供し、防寒のためテントの補強作業をしたそうです。この方は、現在熱心にインジール(新約聖書)を読んでおられます。

また昨晩は、テントの中で  Aというシリア人の女性求道者の方と交わりの時を持ちました。彼女はその日、ヨハネの福音書2章のイエス様のカナでの最初の奇蹟の箇所を読み、とても感動し、その事を黙想していたそうです。そしてこの箇所の霊的意味を教えてほしいと私たちに嘆願されたので、伝道者の兄弟が説明すると、懐中電灯の光の下、熱心にメモをとり、なにか新しい発見があると、手を叩いて全身でその喜びを表していました。そして、「私はただ真理が知りたい。真理がインジールにあるのなら、私はキリストの道を行きます。そして真理がコーランにあるのなら、私はその道を行きます。」と繰り返していました。

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またもう一つ印象的だったのが、つい最近までこの島で奉仕していたという一人の素朴な兄弟について(元々アーミッシュ系の方)です。一般の宣教師たちの目には、「何でも人の話を信じてしまう」彼のような人は、(嘘やほらの多い中東圏に関わる奉仕者として)少々賢明さに欠けているように映っていたようです。

しかしながら、彼を直接知る難民たちからの話を聞くにつれ明らかになっていったのは、彼の類いまれなきシンプル性そのものが、(彼自身知らないところで) かなり強烈なインパクトをムスリム難民たちの心に残していったということでした。

ここに私はキリストの道、福音伝播の道の奥義を見る思いがしました。人の目には非効率的で、採算が合わず、時には愚鈍にさえみえる道。しかし昔も今も、神の国は、キリストのものとされ聖められた「イワンの馬鹿」たちによって、静かに着実に人々の心に領土を広げつつあると信じます。

さまざまな宣教戦略やミニストリーのいわゆる「成功」や「敗北」、私たち奉仕者の真摯なる試行錯誤と絶えざる失望・失敗、痛ましいスキズム(分派主義)、flexibility という誠意と愛の間からわれ知らず密かに忍び込んでくるエキュメニズムの罠・妥協・脅威、、、

主よ、そういった私たち人間側の計画や憂慮や足りなさや裁きや迎合や愛の無さや国家間のパワーゲームをはるかに超えたところで、壮大なあなたの救済史が、その成就に向かい、今日も着実に進んでいることを見させてください。私たちを憐れんでください。

この地の果てで、日本にいる兄弟姉妹と共に、あなたの再臨を待ち望みます。どうか私たちが今日も地道に一粒の種をまいていくことができるよう、力と希望と忍耐をお与えください。マラナ・タ。