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巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「12使徒に特別な権威はありませんでした」というフェミニスト見解に対する応答。

対等主義(Egalitarianism) 男性リーダーシップの回復

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Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter 5

 

12使徒の男性性(maleness)の重要性を弱体化させようという明らかな意図を持ち、ギルバート・ビレズィキアンは次のように書いています。

 

イエスはあえてイスカリオテのユダの代わる人を置きませんでした。最初の使徒グループの数的統合性は、イエスにとって重要ではなかったのです。なぜなら、弟子たちはその後、何千と倍増していくからです。イエスの昇天後、そしてペンテコステの日の聖霊降臨の前にやっと11人の弟子たちはくじを引くというやり方で不器用に12番目のメンバーを選ぼうとしました(使徒1:26)。

 

しかし、イエスにとって、元々の〔使徒の〕集団の保持というのは重要ではありませんでした。なぜなら弟子たちはさまざま場所へ散っていき、自分たちに似た弟子たちをさらに増やしていったからです。そして最初の11使徒たちは結局、こういった大勢の新しい弟子たちの中で消えていくことになりました、、、

 

そして、キリストの教えを伝えた新しい弟子たちは、その後、原始使徒集団と全く同じ権威をもつようになっていったのです。権威というのはメッセージの中に存在していたのであって、それを世界に宣布していった男性や女性の内に存在していたわけではありませんでした。Bilezikian, Beyond Sex Roles, 114-15

 

回答1.

新約聖書は、元々の使徒たちを非常に重要視しています。

 

冒頭のビレズィキアンのコメントは、いくつかの点で、聖書のテキストに不誠実です。彼は「元々の使徒たちは『消えていくことになった("would disappear")』)と書いていますが、それとは反対に彼らは「十二の位に座して、イスラエルの十二の部族をさばくであろう。」(マタイ19:28)と聖書には記してあります。そして天の都の12の土台には、「小羊の十二使徒の十二の名」(黙21:14)が記されることになります。

 

回答2.

イエスご自身がユダの代わりとなる人をお選びになりました。

 

使徒行伝は、ルカの福音書に記されているように「イエスが行ない始め、教え始められた」(使徒1:1)ものの継続として提示されています。それゆえに、使徒行伝の中の何かが、教会成長における肯定的発展として捉えられている際には、私たちはそれを教会に対するイエスの積極的な統治(lordship)の結果としてのものであると理解すべきです。

 

イエスご自身が次のように約束しておられました。「わたしは・・・わたしの教会を建てます(I will build my church)」(マタイ16:18)、そして使徒たちが、その教会の「土台」でした(エペソ2:20)。そして12番目の使徒の選出は、キリストがご自身の教会をお建てになる上での重要な最初のステップでした。

 

さらに、ユダに代わる使徒としてのマッテヤの選出は、「その職は、ほかの人に取らせよ。」(使徒1:20;詩篇109:8からの引用)という御言葉の成就として提示されています。

(*訳者注:ここの使徒1:20と詩篇109:8を原典で調べてみました。

1),,Τὴν ἐπισκοπὴν αὐτοῦ λαβέτω ἕτερος. ( 使徒1:20 Nestle GNT 1904)

2) γενηθητωσαν αι ημεραι αυτου ολιγαι και τὴν ἐπισκοπὴν αὐτοῦ λαβέτω ἕτερος.(詩篇109:8 LXX)

従って、記者ルカは、LXX訳の詩篇109:8をそのまま引用しつつ、使徒1:20を書いています。)

 

その後、弟子たちはイエスにこう祈っています。(34節には、呼びかけとして、『主よ; Σὺ Κύριε』と書いてあります)。

「すべての人の心を知りたもう主よ、あなたがこの二人の中から選ばれた一人を(one of these two you have chosen; ὃν ἐξελέξω〔ア2単< εκλεγομαι〕ἐκ τούτων τῶν δύο ἕνα)お示し下さい。ユダがこの奉仕と使徒職の場所から脱落して、自らにふさわしい場所に行きましたので、〔ほかの一人に〕それを受けさせるためです」(使徒1:24-25、岩波訳)。

 

くじを引くというやり方でさえも、旧約聖書の中で主がご自身のみこころを知らせる際に繰り返し用いた方法の反復でした。こういった事において神が不承認しておられるというような内容を告げる聖句はありません。これは、明らかに復活された主イエスの導きの下でなされたものとして提示されています。

 

それゆえ、「最初の使徒グループの数的統合性は、イエスにとって重要ではなかった。」それから、(*彼らが主の導きの下にではなく、あたかも自分たち自身でこの事を行なったかのように)「11人の弟子たちはくじを引くというやり方で不器用に12番目のメンバーを選ぼうとした。」そして、「イエスにとって、元々の〔使徒の〕集団の保持というのは重要ではなかった。」さらにイエスは「イスカリオテのユダの代わる人を置かなかった」というビレズィキアンの一連の言明は、正しくないばかりでなく、聖書の事実を誤って伝えるものです。

 

回答3.

使徒たちは教会の他の人々よりもはるかに大きな権威を持っていました。

 

アナニヤがペテロを欺いた時、ペテロは「あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ」と言い、それを聞いたアナニヤは倒れて息が絶えました(使徒5:4-5)。これは普通の権威ではありません。またパウロは「私があなたがたに書くことが主の命令であることを認めなさい」(1コリント14:37)と言っており、これも普通のクリスチャンが言えるような発言では到底あり得ません。

 

さらにペテロは「あなたがたの使徒たちが語った、主であり救い主である方の命令("the commandment of the Lord and Savior through your apostles")」(2ペテロ3:2)について述べています。またパウロは「あなたがたを倒すためにではなく、立てるために主が私たちに授けられた権威」(2コリ10:8)について語ることができました。

 

従って、「キリストの教えを伝えた新しい弟子たちは、その後、原始使徒集団と全く同じ権威をもつようになっていった」というビレズィキアンの主張は明らかに間違っています。使徒たちは他のクリスチャンが持っていなかった特異な権威を有していたのであり、その権威を持って、彼らはキリストの教会における男性かしら性の模範としての役目を果たしています。

 

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