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巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

クリスチャンは苦難や死に対しどのような態度をとるべきか?――殉教者キプリアヌスの手紙【天国をめざして】②

からの続きです。

 

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またわたしたちは自分の思いではなく神の御心を行なうべきです。これは主が私たちに日々祈るよう指示している「主の祈り」に沿ったものです。「あなたのみこころが成りますように」と祈りながら、いざ主が私たちをこの世からお呼びになると、私たちは「はい。そのみこころに従います」とすぐに答えません。が、これは実際なんと矛盾した行ないでしょうか。

 

そうして私たちは葛藤し、抵抗します。頑固な召使のように、私たちは悲しみと嘆きの内に主の元に引きずられていくというのが現状ではないでしょうか。ですから、私たちは自由意志による従順の心ではなく、むしろ必然という軛の下にあって、この地上を離れていきます。そうやって嫌々ながら行くにも関わらず、私たちは依然として、主から天的な報酬をいただきたいとは願っているのです!

 

そのように、この地での捕囚生活がそれほど私たちにとっての楽しみであるのなら、それならなぜ、「御国が来ますように」とそもそも祈る必要などあるのでしょう?もし私たちの実際の願望が、キリストと共なる統治よりも、むしろこの地上で悪魔の言いなりになることに甘んじることにあるのなら、それならなぜ、「主の御国が来るのを早めてください」とこれほど頻繁に祈っているのでしょうか。

 

主の召喚により、この世から解放された兄弟たちのことで嘆いてはいけません。なぜなら、彼らは失われたのではなく、単に私たちより先に行ったに過ぎないからです。私たちとの別離に当たり、彼らは旅びとや探検家がよくするように、私たちの前方を行ってくれたのです。ですからそんな彼らは称賛されるべきであって、嘆きの対象となってはいけません。なぜ彼らのために黒い喪服など着るのでしょう?――向こうで彼らはすでに白い衣を着ているというのに。

 

そういう私たちをみて異邦人たちは私たちを嘲笑する格好の理由を得たとばかりにこう言います。「あなたがたは、『死者は神と共に生きている』と言っている。それなのに、実際にはあなたがたは嘆き悲しんでいるじゃないですか?――あたかも、彼らが消滅し、存在が無くなってしまったかのように。」

 

そうなると、私たちの言っていることは、ねつ造された嘘っぱちだと〔異邦人の目に〕映っても仕方がないということになります。口先ですばらしい事を語りつつも、行ないではその真理を台無しにしているようでは、そこに何の益があるでしょう。

 

もし私たちがキリストを信じているなら、キリストの御言葉と御約束に信仰を置きましょう。そして私たちは永遠に死ぬことはないのですから、喜び溢れる安心感と共にキリストの元に向かおうではありませんか。このお方と共に、やがて私たちは勝利を収め、永遠に統治するようになるのです。

 

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死ぬ時、私たちは死によって、不滅へと〔橋を〕渡って行きます。事実、永遠のいのちというのは、まずこの地上での生からの別離を経験することなしにはやって来得ないのです。

 

ですから、私たちの信仰をそのまま証していこうではありませんか。すでにこの世を去っていった私たちの愛する人々のことで嘆き悲しむようなことはしないと。そして主ご自身が私たちを召喚された時には、ぐずぐずためらうことなく迅速に主の元に向かうことにすると。そしてこういった態度は常に神のしもべに求められているのですから、現在のように世が崩壊し、悪性の疫病の猛威により虐げられている今は尚更のこと、そのような態度が不可欠です。

 

もしもあなたの家の壁という壁がギシギシ音を立て始め、屋根もきしみ、古びた家屋自体が今この瞬間にも崩れそうな様子だとしたら、その時あなたは、それこそ全速力でその家を脱出しようとしないでしょうか。もしもあなたが船に乗っていたとして、その船が突然の大暴風とうねる荒波によって破船寸前の状態になったなら、その時あなたは、必死に港のありかを探さないでしょうか。見なさい!この世は過ぎ去ろうとしています。その崩壊は、年季のために差し迫っているのではなく、事の終わりが切迫しているからなのです。

 

私たちはすでにこの世を否んだのだということを肝に銘じるべきです。ですから私たちはわずかの間、客として寄留者としてこの地に宿っている者に過ぎないのです。見知らぬ国にぽつんと置かれた人は、なんとか自分の祖国に戻ろうと急がないでしょうか。愛しい友人たちとの再会を待ち望む人は、風に乗ってでもいいから一刻も早く彼らに会いたいと望まないでしょうか。

 

私たちクリスチャンは、天国を自分の祖国だと考えています。そして族長たちのことをすでに自分の親とみなしています。そうであるなら尚更のこと、私たちはふるさと恋しさに、そして両親見たさに、故郷への帰路を急ぎ、駆け出したくならないでしょうか。

 

すでに向こうへ戻った多くの兄弟姉妹が今や私たちの帰りを待っています。数えきれないほど多くの親、兄弟、そして子供たちが私たちの帰りを待ち焦がれているのです。彼らはすでに自分たちの完全を確保していますが、依然として私たちの救いを気遣っていてくれるのです。さあ、愛する兄弟たち、彼らのいる天国を熱望し、そこに向かって急ぎましょう。彼らとすぐに再会できるよう、そしてキリストの元に早く戻ることができるように。

 

キプリアヌス(3世紀、カルタゴ教会の牧師・殉教者)