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巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

ポスト近代と新歴史主義、同性愛、そして聖書解釈 (はしがき)

ポストモダニズムと聖書の真理 同性愛問題

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まことに、あなたは大いなる方、奇しいわざを行なわれる方です。あなただけが神です。主よ。あなたの道を私に教えてください。詩篇86:10、11a

 
訳者はしがき

今、ポスト近代と新歴史主義(new historicism)というテーマの論稿を訳しています。これを翻訳する中で、回心前のいろいろなことが思い出され、ふと気が付くと、タイプする手がとまり、物思いにふけっている自分を見い出します。

 

「周縁化」され、抑圧されてきたグループや集団に対する同情と理解、そして共生。ノン・クリスチャン時代、なにかと正義感の強かった私にとって、大学で学ぶ新歴史主義や、ポストコロニアル批評などの文芸・政治思想は、とりわけ心を打つ視点であり、学的アプローチでした。

 

特に、アラブ文学者であり、ポスコロ・フェミニズム分野の第一人者である岡真理先生の著書『彼女の「正しい」名前とは何か――第三世界フェミニズムの思想』(青土社 2000年)を読んだ時の感動は今でもはっきり覚えています。私はそれこそ寝食を忘れてこの著書に読みふけり、繰るページは罫線だらけになっていました。そしてこの線上から、エドワード・サイードの『オリエンタリズム』、姜尚中『オリエンナリズムの彼方へ―近代文化批判』と、この思想世界にどっぷり浸かっていきました。そして、このイデオロギーに沿って、できるだけ「他者」や「弱者」や「非抑圧者」や「周縁化されている民族」などを理解し、彼らの言葉や文化を学び、なんとか少しでも世界平和のために役に立ちたいという、若者らしい純粋な理想に燃え学生時代を送っていました。

 

新歴史主義やポスコロ批評は、政治的には左翼と親和性があるため、この思想は、一般に、左翼的なリベラル教会に多く見いだされると思います。「『神の義』と『人の義』――女性牧師問題に関しての個人的所感」という記事ココの中でも少し触れましたが、「他者・弱者・周縁化された人々」を思う私たちの善や義といったものは、――たといそれ自体はどんなに善意・やさしさから出たものであっても――すべて十字架を通り、死に渡され、復活の内にある「神の義」の前にconquerされなければならないということを、信仰を持った後、私は知るに至りました。

 

その一方、新歴史主義やポスコロ的な思想やイデオロギーに影響され、いろいろな活動をしているキリスト者の友人たち(その多くはリベラル派)の気持ちや彼らの純粋な動機、、これは本当に痛いほどわかり、その意味でも、これらの翻訳記事が、そういった尊い友人たちの真理探究の助けになったらと願わずにはいられません。

 

この文芸・政治イデオロギーは、とかく不思議な魅力と吸引力をもって私たちの中の「人の義」に訴えかけてきます。本当に私たちは惑わしの時代に生きていることを感じます。主よ、どうか私たち一人一人に時代精神を鋭く見分け、善悪を峻別する知恵と識別力をお与えください。そして私たちの教会を世俗イデオロギーの惑わしから守ってください。

 

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Steve Golder, New Historicism The Influence of Postmodernism

 

筆者はしがき

「私たちは、歴史的『諸事実』というものを信頼することができるのか?」これが、「新歴史主義」と呼ばれている思想潮流が取り扱っている問いです。新歴史主義は、歴史書の中で抑圧されてきたもの(それが事象であれ人であれ)を含む過去を、より正確に再構築することができると主張しています。

 

そしてこの思想の中核にあるのが、いわゆる「周縁化(“marginalized”)」された集団に関することです。新歴史主義者たちが、――周縁化されてきた――と彼らの考える人々に対する情熱をもっている事はたしかですが、悲しいことに、罪により、自分が守るべき・正当化するに値するものと捉える、その観点自体が人の内で損なわれてしまっています。私たち信仰者は、この世界に生きる中で、真に守るに値するものは何なのか、ということを見い出すべく、聖書に尋ね求めなければなりません。

 

次につづきます。