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巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

グレッグ・ボイド & N・T・ライト両氏の1テモテ2:12解釈について(+私たち姉妹の証し)

 

① グレッグ・ボイド氏の1テモテ2章の解釈について

 


「女が教えたり男を支配したりすることを許さない」という1テモテ2章に関してですが、二つの事を述べる必要があります。第一番目に、この指示の文脈が、この節が「文化的に条件付けられたものである」という手がかりを与えている事です。1)

 

事実、パウロは女性たちに「つつましい身なりで、控え目に慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、、」(1テモテ2:9)と言っていますが、今日、こういった諸指示を時代を超え永続する掟だと受け取っている人はほとんどいません2)

 

それなのに、ある人たちはなぜ、次の節に書いてある「女は、静かにして、よく従う心をもって教えを受けなさい」という11節は、「時代を超え永続する掟」だと思い込んでいるのでしょうか?

 

第二番目に、当時テモテが牧会していた新しい教会の置かれていた文化的文脈により、パウロの禁令が実際、文化的に条件付けられたものであった事を知る、さらなる手がかりを得ることができます。

 

その当時、エペソには宗教的カルトがはびこっていました。そしてそのカルト宗教では女性たちが主要なリーダーシップの地位に就いていたのです。このカルトの中心地はダイアナ神殿であり、世界七不思議の一つとも考えられているほど巨大な構造物です。そしてこういった霊的女性指導者たちの宗教的務めの一つは、儀式的売春行為だったのです。こういった背景があったため、異邦人女性がキリストに信仰を持った場合、そういった初信者の女性たちがリーダーシップのポジションに就くことは賢明でなく、福音を宣べ伝える上の障害になるとみなされていたのでしょう。(だからこそ、パウロは1テモテ3:2、4、12で、監督や長老は男性だけだと制限しているのです。)3)

 

1)の見解に対する応答

 

2)の見解に対する応答(*これに関し、私たち姉妹は、信仰者でありまた女性としての自らの人生・生き方そのものを通し、1テモテ2章のここの聖句一つ一つが、文化的解釈で片付け去ってよいものではなく、神様のお定めになった「時代を超え永続するいのちの掟」であることを証し、それをもって、主と主の御言葉に対する私たちの愛と忠誠を表現したいと思います。)

 

 


3)の見解に対する応答

 

それから記事

 

 

② N・T・ライト氏の1テモテ2章の解釈について

 

N.T. Wright, Women’s Service in the Church: The Biblical Basis

 

N・T・ライト氏も、上記のボイド氏と同じく、エペソのカルト宗教やアルテミス神殿のことに言及し、1テモテ2章12節を文化的に解釈し、よって「今日の私たちには拘束力をもたない」ということを述べようとしておられます。

 

その他、ガラテヤ3:28「ケファレー(かしら)=源」説など、一般的な対等主義見解が列挙されていますが、驚いたのは、ライト氏の提示する1テモテ2章の新しい訳文についてです。氏は1テモテ2章12節を次のように翻訳しています。

 

12 I’m not saying that women should teach men, or try to dictate to them; they should be left undisturbed. 

12 私は、『女が男を教えたり、彼らに指図しようとしたりすべきだ』とは言っていないのです。彼らは邪魔されず(妨げられない)状態のままに置かれるべきなのです。

 

この新訳において、「私は・・・許さない(οὐκ ἐπιτρέπω; I do not permit)という本来の禁止の動詞が見事に抹殺され、その代りに、「私は・・・とは言っていない(I 'm not saying)」という、聖書本文にはまったく存在しない句が挿入されています。

 

こうして、この改変行為により、12節の聖句が、権威をもった「命令」から一つの「説明文」へと変質させられています。これは一個の被造物が創造主なる神の前に為し得る行為として、実に驚くべきものではないでしょうか。

 

私はこういった人間による聖句「改変」行為を目の当たりにする時、創世記3章の蛇とエバの会話を思い出さざるを得ません。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神はほんとうに言われたのですか」と蛇に訊ねられたエバは、「(善悪の知識の木からの実を)取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ」(創2:17)という神のストレートな言葉をほんの少しだけ「改変」し、「神は、『・・あなたがたが死ぬといけないからだ』と仰せになりました」(創3:3)と答えました。

 

ストレートな神の禁句の効力を「ちょっとだけ」ソフトな感じに変えたのです。そうすると待ってましたとばかりに、サタンは、「そう、そうなんですよ。あなたがたは決して死にませんよ!」と偽りの保証と共に、禁を犯すことへの「勇気」と「大胆さ」を与え、こうしてエバの背中を押してくれたのです。――さあ、安心して掟を破ってもいいよと。

 

イザヤ59章

1見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。

2 あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。

3 実に、あなたがたの手は血で汚れ、指は咎で汚れ、あなたがたのくちびるは偽りを語り、舌は不正をつぶやく。

4 正しい訴えをする者はなく、真実をもって弁護する者もなく、むなしいことにたより、うそを言い、害毒をはらみ、悪意を産む。

5 彼らはまむしの卵をかえし、くもの巣を織る。その卵を食べる者は死に、卵をつぶすと、毒蛇がとび出す。

6 そのくもの巣は着物にはならず、自分の作ったもので身をおおうこともできない。彼らのわざは不義のわざ、彼らの手のなすことは、ただ暴虐。

7 彼らの足は悪に走り、罪のない者の血を流すのに速い。彼らの思いは不義の思い。破壊と破滅が彼らの大路にある。

8 彼らは平和の道を知らず、その道筋には公義がない。彼らは自分の通り道を曲げ、そこを歩む者はだれも、平和を知らない。

9 それゆえ、公義は私たちから遠ざかり、義は私たちに追いつかない。私たちは光を待ち望んだが、見よ、やみ。輝きを待ち望んだが、暗やみの中を歩む。

10 私たちは盲人のように壁を手さぐりし、目のない者のように手さぐりする。真昼でも、たそがれ時のようにつまずき、やみの中にいる死人のようだ。

11 私たちはみな、熊のようにほえ、鳩のようにうめきにうめく。公義を待ち望むが、それはなく、救いを待ち望むが、それは私たちから遠く離れている。

12 それは、私たちがあなたの御前で多くのそむきの罪を犯し、私たちの罪が、私たちに不利な証言をするからです。私たちのそむきの罪は、私たちとともにあり、私たちは自分の咎を知っている。

13 私たちは、そむいて、主を否み、私たちの神に従うことをやめ、しいたげと反逆を語り、心に偽りのことばを抱いて、つぶやいている。

14 こうして公正は退けられ、正義は遠く離れて立っている。真理は広場でつまずき、正直は中にはいることもできない。

15そこでは真理は失われ、悪から離れる者も、そのとりこになる。主はこれを見て、公義のないのに心を痛められた。

16 主は人のいないのを見、とりなす者のいないのに驚かれた。そこで、ご自分の御腕で救いをもたらし、ご自分の義を、ご自分のささえとされた。

17 主は義をよろいのように着、救いのかぶとを頭にかぶり、復讐の衣を身にまとい、ねたみを外套として身をおおわれた。

18 主は彼らのしうちに応じて報い、その仇には憤りを報い、その敵には報復をし、島々にも報復をする。

19 そうして、西のほうでは、主の御名が、日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている。

20 「しかし、シオンには贖い主として来る。ヤコブの中のそむきの罪を悔い改める者のところに来る。」――主の御告げ。――

21 「これは、彼らと結ぶわたしの契約である。」と主は仰せられる。「あなたの上にあるわたしの霊、わたしがあなたの口に置いたわたしのことばは、あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、すえのすえの口からも、今よりとこしえに離れない。」と主は仰せられる。