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巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「引きこもりのルター」と摂理史の必然

詩・祈り・エッセー

1522年に、マルティン・ルターがエラスムス版ギリシャ語新約聖書をドイツ語に翻訳したことは、キリスト教史における画期的大事件でした。それによってドイツの民衆が自国語の聖書を読めるようになっただけでなく、ルターの翻訳により、ドイツ語の標準形がはじめて定まったのです。(E・ケアンズ『基督教全史』p390)

 

しかしこのような偉業がいつ、どのような状況下においてなされたのかといいますと、それは何を隠そう、ルターの暗い「引きこもり」期間中だったのです。

 

1520年6月、レオ10世がルターを訴える告書「法逐状(Exsurge Domine)」を布告し、彼を除名すると、ルターの著書は公然とケルンで焼かれました。

 

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        焼かれるルターの著書『バビロニア捕囚』

 

翌年の春には、命の危険が伴う中、ドイツ君侯たちの保護確約を得た上で、彼はヴォルムスの帝国議会に出頭し、「聖書の証明」によって間違いであることが確証されない限り、自分の見解を取り消すことはできない、神よ助けたまえと訴え祈りました。

 

その会議後、議会は勅令を出し、「皇帝の臣下はだれでもルターを捕えて官憲に引き渡すよう」命じました。そんな絶体絶命の危機状況の中、ルターの友人たちが、ヴィッテンブルグに帰る途中の彼を無理やり、ヴァルトブルグ城に連行したのです。(同著p389)こうして、1521年5月、彼の意思とはまったく関係のないところで、彼の籠居ライフが始まりました。

 

彼の首を狙う敵が外に大ぜいいる中、ルターは城の中にほぼ「閉じ込められる」形で生活せざるを得ませんでした。

 

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この世的にはそれは「不遇」以外の何ものでもなかったでしょう。しかし神の目にそれは確実なる「摂理」であり、プロテスタント宗教改革が拡大・成熟する過程でなくてはならない神の「必然」だったと私は考えています。事実、同年5月から翌年の3月までのわずか一年足らずの間に、引きこもりのルターは、新約聖書のドイツ語を完成させてしまったのです!

 

私の知っているキリスト者の朋友たちも現在、こういった摂理史の必然により、霊的「ヴァルトブルグ城」に閉じ込められ、籠居せざるを得ない状況に置かれています。そして、こういった友たちの《今》は、真珠のような尊い価値をもったものとして私の目に映っています。