巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

主人の御手(ハインリッヒ・スソー)

わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。(ピリピ1:21)

 

「わたしにとって、生きることはキリスト」。それなのに、

わが日々は、ただ労苦の連続。

朝起き、骨折りつつ道を歩き、そして再び床に横たわる。

 

こんな卑しく、わびしい生活がいかにして

キリストのみ、でありえよう?

日常の必要、倦怠、争い、、

こうして平凡な日々が流れてゆくというのに?

 

その時、私は見た。

われらの主人の前に、ぶざまな一つの石が置いてあるのを。

「未だ誰も見たことはないが、この内側に美のかたちが在る。」

主は言われた。

 「外側にあるものがすべて削り取られた時、栄光あるそのかたちが顕れ、汚れなき地の永遠の日の中に立つ。」

 

この地味な生活と共に現存し、

そこにキリストが宿っている。

人目には隠されたところに。

それでも、それだけを一途に求める単一な目には

永遠に見いだされるところのもの。

 

自我がもはや見えなくなるまで荒削りされたとき、

汝の十字架は、自我を終わらせ、

こうしてあらゆる堕落からわれらは解放される。

得るものは何もなく、ただ祝福された喪失だけがそこに在る。

 

その時、キリストだけが残られる。―以前のものは過ぎ去り、

永久に消え去った。

 

こうして主に向かい、歓喜の魂は歌う!

重ぐるしいこの地上での日々のあいだ、ずっと。

 

Heinrich Suso, The Master's Hand(私訳)