巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

次なるステップ――「神、われわれの御母!」【福音主義教会の大惨事】

対等主義側の見解の一例       

 

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ポイント5.旧約聖書における女性

(1)神の女性的イメージ

 

神は食糧、水、衣服を用意するというような、ヘブル文化では女性によって担われていた働きをする者として描かれています。神はまた産みの苦しみを経験し、子供の世話をし、母親のように慰め、一般に母親のものとされている感情を経験する者として描かれています。神はまたすべての涙を拭い去る御方です。(詩篇 123:1~21;イザヤ63:1, 創世記3:21,イザヤ42:14,ヨブ38:8~9,イザヤ49:13~15)

 

ヘブル人には女神崇拝は厳しく禁じられていたので、神に対して女性的イメージが記されていることは驚きです。しかし、神に対する女性的イメージは、神が女性であることを意味しません。同様に、神の男性的イメージも神が男性であることを意味しません。男あるいは女として神に言及するのは、ヤーゥエに対するヘブル的理解と一致しません。男であれ女であれ、すべてのイメージは形而上学的なものであり、神を性別化する働きはしません。それらは、むしろ、神を人格化し、神が被造物との関係において、どのように行動されるかを表現するものです。性は被造世界の特質であり、「男性的であること」も被造世界の特質です。

 

*神を「父なる神と呼び、イエス・キリストも男性の形を取ってこの世に来られたので、神を男性のイメージとして捕らえがちですが、神はこのように女性的イメージでも描かれています。男女どちらのイメージにしても、神を性別化するものではないというのは大切な指摘です。」

 

世界福音同盟女性委員会出版 「性差によるのか、賜物によるのか(Gender or Giftedness by Lynn Smith)」p 88*1

 

相補主義側からの応答: 

Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter 13

 

1)結婚における男性かしら性の否定、および、2)男性だけに限定されている牧会リーダーシップ役割に対する否定、3)肉体的相違以外のあらゆる特別な男性性に対する否定という一連のプロセスが続いた後、次にはいったい何が来るのだろうと私たちは予測し始めます。

対等主義はもしや今後、御父としての神のアイデンティティーにまで手をつけ、そこをぼかしつつ、終いにはそれを否定していくのではないだろうか、と。

 

ところが今、対等主義著述の中でまさにそのことが現実化しているのです。ルース・タッカーは、著書Women in the Mazeの中で、「個人の祈りの中で、神のことを『』と呼ぶよう」女性たちを奨励しつつ、次のように述べています。

 

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ジョン・W・ピーターセンの書いた賛美を私たちは歌います。「愛なる牧者よ、あなたは私が道に迷っていたことをご存知でした。」それでは、「愛なる御母よ、、」と歌うことは悪いこと、あるいは不敬なことなのでしょうか?どちらも修辞的表現法です。しかしラディカル・フェミニズムや女神崇拝などに足をすくわれる事に対する恐れから、私たちは公然とはこういた言葉で歌うことはしません――おそらく、個室での祈りの時を除いては。*2

 

同じような傾向を、私たちはChristians for Biblical Equalityで発売されている対等主義著作の中に見ています。当サイトには「私たちが取り扱っている各書籍は、CBEの使命およびビジョンを促進すべく、まず、レビューアー委員会の吟味・承諾を得ています」と書いてあります*3

 

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しかしながら、2004年の時点ですでに、「天にましますわれらの母よ」と祈るよう公然と奨励する著作が二冊、発売されています。*4またCBEは、ポール・R・スミス著、『Is it Okay to Call God "Mother": Considering the Feminine Face of God』(「神を『母』と呼んでもいいのでしょうか。―神の女性的外観の考察」)も取り扱っており、この本の中でスミスは次のように言っています。

 

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「本書を書いた目的―、それは、私の牧会する群れの信者たちが、公同礼拝においてなぜ神を「父」と呼ぶだけでなく、「母」と呼ぶことも重要であるかを包括的に弁明できるようになるためです。」*5

(訳者注:尚、スミス氏は、同性愛者であることを公言しておられ、現在、カンザス市にあるブロードウェイ教会の牧師をしておられます。*6.)

 

さらにスミスは、次のように読者に問いかけています。「イエスもまた、女性であるべきではなかったのかと言えるのでしょうか。」そしてイエスが確かに男性として地上に来られたことは認めつつも、こう述べています。

 

「異なる文化的設定ないしは異なる人種やジェンダーをもつメシアとして主を捉えることができないことは、何かが間違っているのではないでしょうか。*7」「私は個人的に、(公生涯期のイエスのことを話す時は除き)、復活され、超絶されたキリストを男性代名詞で呼ぶことを回避しています*8

 

CBEで発売されているもう一冊の類似書はJann Aldredge-Clanton, God, A Word for Girls and Boysです。そしてこの本の中で著者は、私たちに次のように祈るよう教えています。「神、われらの御母。私たちにとってベストになることを与え、私たちを愛してくださりありがとうございます、、アーメン。」(同著,p23)そしてはしがきの所で著者アルドリッジ・クラントンは次のように書いています。

 

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「男性形での神用語は、子どもたちが神との信頼関係を築く上での障害となっています。それに加え、神を『He』と呼ぶことにより、男の子たちは高慢の罪を犯すようになります、、、宇宙の至高パワーを『He』と呼ぶことにより、女の子たちは自らの価値を低評価していくという罪を犯すようになります。ですから、こういった「小さき者たち」のためにも、私たちは、神について、そして人間についての私たちの話し方に変化を加えていかなければなりません。」(同著, 11)

 

CBEの創設者の一人であるキャサリン・クローガーもまた、神を「御母」と呼ぶよう、人々に奨励しています。"Women Elders...Called by God?" という論稿の中で、リチャード&キャサリン・クローガーは次のように書いています。

 

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 これまで私たちは神のことを「He」とか「Him」とか言い慣わしてきました。なぜなら、聖なるお方のことを連想した時、私たちの大半は、そういった語と習慣的に使ってきたからなのです。実際、「牧会職には男性だけが就くべきだ。それによって男性である神性が現れるためである」と主張する人たちもいます。

 しかしこういった主張は、聖書が言っていることを無視した上でなされているのです。なぜなら、神は男性としても、また女性としても描かれているからです。ここではっきりさせておきましょう。

 神はセクシュアリティーを所有してはおられないのです。そこには明確な男性性も女性性も存在していません。しかし神の愛や御業が説明されるに当たっては、男性イメージも女性イメージも共に用いられています。

 次の諸聖句を注意深く考察してみてください。詩篇131:2-3、申命記32:18、イザヤ49:15、66:9-13、42:13-14、マタイ23:37。ヤコブ1:17-18.

 ヤコブ1:17-18では、まず神のことが御父と言及された後、御母として神が私たちを生み出してくださったと記されています。

 ヨブ38:28-29、イザヤ63:15、エレミヤ31:20では神の子宮のことが語られています。これは当然、新生を考える上で、尊いイメージでしょう。母に似た神というのは、神の性質の重要な側面です。

 このように聖書の啓示されている神存在の側面を私たちクリスチャンはないがしろにしてよいものでしょうか。ですから、神のことを御父とも御母、つまり"she" であり"he"と呼んでよい聖書的根拠は十分にあるわけです。

 これは、女性的属性をもった神性への崇拝(女神崇拝)に走っている人々に対し、私たち福音主義クリスチャンが伝道する際にも大切な要素です。また、悪い父親像をもち、母親に対しては肯定的な感情を持っている人々に福音を伝える際にも非常に大切です。女性も男性も、神のかたちに造られたのです!(創1:26-27、5:1-2)。*9

 

リベラル派プロテスタントがこれと同じ経路を辿ってきました。2002年、United Methodist Churchは、従来の讃美歌集The Faith We Singを新しい歌を補足し、例えば、"Bring Many Names"という賛美は、「♪力づよき母なる神よ、あなたは昼も夜もみわざをなし」となっています。この賛美の作詞者ブライアン・ウレン氏は、ジョージア州コロンビア神学校音楽学の教授ですが、彼はそれを正当化すべく、本書で取り扱っている対等主義見解に非常に酷似した議論を展開しています。報道記者マウラ・ジェーン・フェレリーによると、

 

ウレン教授は、聖書が「御父」という語を使っているのは、聖書が書かれた当時、男性だけが権威ある立場に就いていたからだと説明しています。しかし現在、多くのキリスト教国において、そういった状況はもはや存在しないので、私たちは文字通りに「御父」イメージに固着する必要はないと述べています*10.

 

同じような傾向が、アメリカ南部バプテスト連盟の指導層が相補主義陣営に取って代わったことに抗議し、連盟を脱退したバプテスト教徒たちによって形成されたCooperative Baptist Fellowship (CBF)という教団内においても見られます。*11。こうして新しく結成されたCBF教団は、2001年6月28日、アトランタにて年次総会を開き、「御母である神」に賛美を捧げました。*12

 

結語

対等主義が辿っている一連の教理的方向性はどこに行き着こうとしているのでしょうか。あらゆる男性性に対する撤廃運動。両性具有のアダム。男性性ではなく、ただその「人間性」だけが重要であるところのイエス。御父でもあり、御母でもある神。そして、御母ではあっても、もはや御父と呼ぶことのはばかられる「神」へと。。

 

イザヤ24:5-6

地はその住民によって汚された。彼らが律法を犯し、定めを変え、とこしえの契約を破ったからである。

それゆえ、のろいは地を食い尽くし、その地の住民は罪ある者とされる。それゆえ、地の住民は減り、わずかな者が残される。

ローマ3:18

彼らの目の前には、神に対する恐れがない。(οὐκ ἔστιν φόβος Θεοῦ ἀπέναντι τῶν ὀφθαλμῶν αὐτῶν.)

 

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*1:

*2:Tucker, Women in the Maze (1992), 20-21.

*3:www.cbeinternational.org, "About CBE's Bookstore"

*4:こういった近年の対等主義傾向および、なぜ神を「母」と呼びならわすことが聖書に反する行為であるのかについての詳しい論稿:Randy Stinson, "Our Mother Who Art in Heaven: A Brief Overview and Critique of Evangelical Feminists and the Use of Feminine God-Language," JBMW 8/2 (fall 2003): 20-34.

*5:Paul R. Smith, Is It Okay to Call God "Mother"? 1993

*6:参照

*7:同著, 134,137

*8:(同著, p143)

*9:http:firstpresby.org/womenelders.htm

*10:Maura Jane Farelly, "Controversial Hymns Challenge U.S. Methodists' View of God," in Voice of America News, July 5, 2002. www.voanews.com

*11: 訳注:それから、そういった南部バプテスト連盟の相補主義に対し、2002年11月15日、女性牧師を認める立場の日本バプテスト連盟は、 第49回定期総会の席で、「深い悲しみを覚えるものであります。」との声明文を出しました。以下、その全文です。

女性牧師に関する声明 

アメリカ南部バプテスト連盟では 2000 年制定の信仰告白の第6項教会で「教会で奉仕する賜物は男性にも女性にも与えられているが、牧師の任については、聖書によって規定されているように、男性に限られている。」(While both men and women are gifted for service in the church, the office of pastor is limited to men as qualified by Scripture.)と女性牧師を認めないとの信仰告白がなされました。 私たち日本バプテスト連盟加盟教会においては、現在38人の女性を牧師・副牧師・協力牧師などとして招聘しています。 「そこではもはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤの信徒への手紙 3章28節) 

このような日本バプテスト連盟の状況の中、またアメリカ南部バプテスト連盟と日本バプテスト連盟の宣教協力が進められている中、アメリカ南部バプテスト連盟が女性牧師を認めないとの信仰告白を採択したとの報に接し、私たちは、深い悲しみを覚えるものであります。私たちは、イエス・キリストが差別されている人たちの解放を願って祈り行動したように、アメリカ南部バプテスト連盟が、女性指導者の必要性を認め、私たち日本バプテスト連盟の祈りに応えて下さり受け入れ、女性牧師を受け入れるよう祈りつつ声明します。2002年11月15日 日本バプテスト連盟 第49回定期総会。引用元

*12:"'Mother God' Worshipped at Group's Gathering for CBF Annual Meeting," in Baptist Press News, June 29, 2001. www. bpnews.net