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巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「女性たちに対するイエスの積極的なとり扱いは、1世紀の家父長制的ユダヤ教を打ち破り、『新しいパラダイム』をもたらすものではなかったのでしょうか。よって、すべてのミニストリーの門が女性に開かれるようになったのではないでしょうか。」

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           足なえの女性を起こされるイエス様

Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter 5

 

福音書を読むとイエスが女性たちに尊厳と敬意をもって接しておられたことが分かります。そして対等主義の人々は、「こういったイエスの、女性たちとの関わり方は、すべてのミニストリーの門戸が女性にも開かれていることに対する何よりの先例である」とみています。

 

例えば、スタンリー・グレンツは次のように言っています。

 

 女性たちをも、従う者の群れにお含めになったことにより、イエスはおそらく最も顕著に当時の文化規範から離脱されたのでしょう、、、女性たちに教えるのは不適切だと考えていた多くのラビたちとは対照的に、イエスは進んで彼女たちに教えました、、、

 〔ルカ10:39のベタニヤのマリヤに対するイエスの対応から分かるのが〕イエスは当時、文化的に規定されていた女性たちの優先事項をひっくり返されたのです

 つまり、イエスは「社会の中で、唯一、女性にふさわしい役割というのは家事仕事である」というユダヤ教的観念を拒絶されたのです。そして女性たちをトーラーの学びから締め出そうとする慣習を無視されました。

 私たちの主は、当時の慣習的諸偏見をうち棄て、男女共に神の掟を学ぶようにという旧約聖書の指示を回復させたのです(ルカ11:27-28)。Grenz, Women in the Church (1995), 74-75.

 

ギルバート・ビレジィキアンはここでかなり大胆な結論を出しています。

 

多くの方法によって、イエスは、新しい共同体の調和ある機能に付随する諸責務に、「男性も女性もフルにアクセスできるという原則」をお立てになりました。そしてイエスは言葉と行ないを通し、弟子たちに「神の国における事柄や前進に、ジェンダー相違は今日的意義をもたない(irrelevant)ということを考慮するよう」説かれました。Bilezikian, Beyond Sex Roles (1985), 118.

 

J・リー・グラディーはさらに次のように続けています。

 

 ご自身に従った女性たちに対するイエスご自身の包括的な態度を鑑みる時、女性リーダーシップに対するキリスト教会の強い偏見というのは奇妙だと言わねばなりません。前述しましたように、イエスは、女性たちに基本的人権を与えないような文化のただ中にあって、彼女たちに女性の平等を是認されたのです。

 宗教的指導者たちが女性に教えることを恥だとみなしていた時代にあって、イエスは彼女たちのことをご自身の弟子と呼んでくださったのです、、

 こういった女性たちは、家で男たちのために料理しながら、遠くからやっとの思いでイエスを見ているような落伍者ではなかったのです。

 彼女たちはフルな意味において、イエスの弟子たちであったのであり、こうしてイエスはご自身の御名により、彼女たちをミニストリーに任命しておられたはずです。Grady, Ten Lies (2000), 32-33.

 

訳者注:『10 Lies the Church Tells Women(教会が女性に言っている10のウソ)』の著者 J・リー・グラディー氏は、18年間に渡り、キリスト教雑誌「カリスマ」の編集をしておられた方です。彼のインタビュー記事を読むと、ある時、グラディー氏は、女性牧師を擁護しなさいという「聖霊のみ声」を聞き、その後、その使命を果たすべく邁進するようになったということが記されています。しかしながら、それを擁護するに当たり、グラディー氏は、福音主義フェミニスト神学者の諸見解に依拠しておられます。その意味で、現代のカリスマ・ペンテコステ派内に、福音主義フェミニズムが導入される過程で、グラディー氏の編集方針や著述は、諸教会に少なからぬ影響を及ぼしてきたのではないかと思われます。尚、『教会が女性に言っている10のウソ』の教理的・釈義的誤謬についての詳しい論稿は、ここをご参照ください。また、氏の見解に関連する記事としては、

それから、この記事この記事をご参照ください。)

 

回答1.

ユダヤ社会のある一角に存在していた男性リーダーシップの乱用をイエスが崩し、女性たちを大いなる敬意と尊厳のうちに取り扱われたということは事実です。

 

ラビ文学の中には、女性に対する否定的で屈辱的な言明がたしかに多く存在しています。そして、そういったものの一部(少なくとも口語形式で)はイエスの時代に始まっています。それに関する詳しい論文も幾つか出されています。

 

筆者注:これに関する詳しい研究資料としては、Jeremias, Jerusalem in the Time of Jesus (1969), 359-76; Witherington, Women and the Genesis of Christianity (1990), 3-9, 251-53; Kittel and Freidrich, Theological Dictionary of the New Testament (TDNT) 1:781-84; それから、Strack ad Billerbeck, Kommentar zum Neuen Testament aus Talmud und Midrasch (1926-1928), 4:2, 1226-27の"Frau"の項を参照。)

 

しかしそれは全部が全部、否定的というわけではありませんでした。ベン・ウィザーリングトンは次のように記しています。

 

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ユダヤ人女性に全く配慮や権利が与えられていなかったと考えるのは間違っているといえます、、タルムードは、男性が自身を愛するように自分の妻を愛し、わが身以上に彼女に対し敬意を示すよう教えています、、口承律法を学び、その詳細に取り組んだ女性たちの事例さえも存在しています、、、女性たちの中には、口承律法・成文律法および伝承の両方を身につけることができた人々もいました。Witherington, Women and the Genesis of Christianity, 4-5, 7.

 

とは言ってもやはり、全体的に見ると、男性と等しく価値をもった存在として女性たちを扱うイエスのあり方は、1世紀の文化を驚愕させるものであったのだと言えるでしょう。

 

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私たちは、イエスが女性たちを貴び、男性たちに対するのと全く同様に彼女たちに接せられたということに感謝すべきだと思います。

 

主は女性たちを教え(ルカ10:38-42)、男性と同様、女性たちも、神学的諸真理について話し、論じることができるとお考えになっておられ(ルカ10:38-42、ヨハネ4:7-26、11:21-27)、主と共に巡回伝道する弟子一行の中に女性たちをも加えられ、彼女たちからの経済的なサポートや奉仕をお受けになり(マルコ15:40-41、ルカ8:3)、模範像として男性と同様、女性をもお用いになりました(マルコ12:41-44、ルカ15:8-10、18:1-8)。

 

このようにしてイエスは、女性たちを二級市民のように取り扱う諸文化に対し永遠の挑戦を与える型(モデル)を打ち立て、それは間違いなく、イエスの生きた当時の時代の文化にも挑戦を与え叱責するものであったに違いありません。

 

回答2.

しかしそうだからと言って、イエスはあらゆる男性リーダーシップを転覆させるようなことはなさいませんでした。なぜなら、神の民を治め教える役割に関し、主は一貫して、男性たちだけを任命しておられたからです。

 

イエスは12使徒として男性だけを任命されました(マタイ10:1-4)。そして使徒たちには初代教会を統治する権威(governing authority)が与えられていました。ユダの代わりの人が選出された時、ペテロは、「いつも私たちと行動をともにした者の中から、だれかひとりが(one of the men who have accompanied us, σὺν ἡμῖν γενέσθαι ἕνα τούτων. )」(使徒1:22)選び出されなければならないと言いました。

 (訳者注:ἕνα ⇒形容詞、単数、男性形、対格。τούτων ⇒指示代名詞、複数、男性形、属格。)

 

ですから、確かにイエスは、当時の家父長文化の中に存在していた不当にして侮辱的な側面を切り崩されました。しかし、そうだからといって、主は、家庭における男性リーダーシップおよび、神の民の内における男性リーダーシップという、神によって立てられた型(モデル)をひっくり返し転覆させるようなことはなさらなかったのです。