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巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「当時のコリント文化では女性が被り物をかぶるのが慣習だったので、そうしない女性は容易に売春婦に間違われたのです。そういった状況は地域的なものだったので、祈りのベールは今日の私たちには必要ないのです。」という主張はどうでしょうか。

(自ブログ「地の果てまで福音を」からの再掲載)

(執筆者:ジェレミー・ガーディナー)

 

反論:「パウロが生きていた当時、売春婦は髪を短くし、かぶり物も着けていませんでした。当時のコリント文化では女性がかぶり物を着けるのが慣習だったので、そうしない女性は容易に売春婦に間違われたのです。そういった状況は地域的なものだったので、祈りのベールは今日の私たちには必要ないのです。」

 

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 回答:

当時の文化について考察することは助けになることもしばしあります。しかしある聖書の掟に対し、聖書記者が意図したものとは違う理由を私たちがそこに付与しはじめる時、その試みは危険なものになります。R・C・スプロールは次のように言っています。

 

「もしパウロがコリントにいる女性に対しただ単に『かぶり物を着けなさい』と言っただけで、そういった指示を出した根本的理由を説明していなかったのだとすれば、私たちはその理由を見出すべく、自分たちの文化的知識に頼らざるをえなかったかもしれない。しかしここでの場合、パウロは、――コリントの売春婦の慣習云々ではなく――創造の秩序をその理論的根拠として挙げている。」

  

また彼は続けてこうも言っています。

 

「文化的背景を知ろうとする熱心によってかえって、聖句で実際に述べられていることがぼかされ不明瞭にされることのないよう気をつけなければならない。」

 

1コリント11章で、パウロは1)創造の秩序、2)自然が証言するところのもの、それから3)御使いのことにその根拠を求めており、それらはいずれも文化を超越するものです。

 

パウロは、かぶり物というのはれっきとした使徒的な教えの一部であること、それからすべての教会で行われている慣習であることを述べています。ということは、コリントの地域的状況をもってしてはかぶり物のことを説明できないということになります。というのも、かぶり物はコリント外部でも尊守されていた一般的慣習であったからです。

 

パウロは前の方の手紙で、その当時の状況ゆえに出した指示について言及しています。1コリント7:26をみると、「現在の危急のときには」男はそのままの状態にとどまるのがよいと勧めています。

 

さて、パウロはかぶり物のことについてもこれと同様のことを言えたはずです。でも彼はそうしませんでした。なぜなら、「当時起こっていたこと」が、彼がかぶり物についての命令を出した理由ではなかったからです。それに加え、パウロは同じ文の中で、男性に対し、かぶり物を取るよう命じていますが(1コリント11:4)、これは「女性だけのことを取り扱っていた状況」ということでは説明のつかないことです。

 

1000人の神殿娼婦(売春婦)

なぜ私たちがかぶり物に関する文化的解釈を拒むのかということですが、前述した解釈学的な根拠に加え、そこにはれっきとした歴史的根拠も存在しているからなのです。

 

文化的解釈をしている方々の大半は、コリントのアフロディーテ神殿にいた1000人の神殿娼婦をその主張の根拠にしています。その主張について検証する前に、私たちはコリント市についての簡単な歴史概説を行なう必要があるでしょう。ディルク・ジョンキンド(ケンブリッジ大博士号)は、次のように言っています。

 

「紀元前146年にローマによって破壊される前、コリント市は、輝かしい古代ギリシアの過去を誇っていた。しかし紀元前44年にこの都市が再建された際には、ギリシア都市としてではなく、ローマ植民市として再建されたのである。」 

  

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ですから、古代ギリシアのコリント市は破壊され、それから百年後にローマ植民市として再建されたのです。

 

訳者注:数週間前に、私たちは実際に、旧コリント市街に足を運び、そこにある旧コリント考古学博物館(Αρχαιολογικό Μουσείο Αρχαίας Κορίνθου)の館員の方に直接質問しました。そして、古代ギリシアのコリント市が徹底的に破壊され、その後、ローマ植民市として再建された事実を確認いたしました。下が、その博物館の写真です。)

 

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神殿娼婦についての引用される一次資料としてはギリシアの地理学者ストラボン(前64ないし63~後24)の著書があります。ストラボンは各地を旅し、そこで見たものを「ゲオグラフィカ」という本に記しました。

 

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            ストラボン

 

彼はこう言っています。

「アフロディーテ神殿は非常に豪奢なものであった。そのため神殿には千人以上の神殿奴隷、売春婦がおり、男女共に神々に捧げられていた。」

 

ここで気をつけていただきたいのが、「豪奢なものであった」の下線部分です。ここは過去形になっています。ストラボンは、パウロが1コリントへの手紙を書く約三十年前にこれを記していました。そして彼はここで自分が執筆していた当世のことではなく、今は亡きコリントの古代都市のことを言及していたのです。ストラボンはまた次のようにも記しています。

 

「コリント人たちの都市は、あの当時(then)、いつも偉大にして豪富であった。」 

 

ここで鍵となる言葉は「あの当時(then)」それから「であった(was)」です。それとは鋭い対照をなし、ストラボンは山の頂から――「非常に豪奢で、そのため神殿には千人以上の神殿奴隷、売春婦がいた」ような古代のアフロディーテ神殿ではなく――「アフロディーテの小さな神殿」を見たのです。6,7

 

デイヴィッド・W・ギル(オックスフォード大博士号)は「1コリント11:2-16におけるかぶり物に関するローマ肖像画の重要性」という論文の中で次のように述べています。

 

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 David W.J. Gill

 

女性たちが売春婦もしくは高級娼婦に間違われないようにパウロはベール着用を促していたという見解がある。こういう見解が存在する理由の一つとして、コリント市のことを、――売春婦たちが街を自在に徘徊するような「性快楽に取りつかれた」都市――として解釈していることが挙げられよう。

 

しかし、アフロディーテのカルトに関連した千人の高級娼婦およびそれに付随したコリントの悪評というのはあくまで、紀元前146年にムミウスによって一掃された古代ギリシアの都市にまつわるものである。それ(古代ギリシアの都市)とは対照的に、ローマ神殿はずっと謹勅であった、、

 

ギル博士は、コリントが確かに性快楽の悪評高い都市であったこと、そしてアフロディーテ神殿に千人余りの神殿娼婦がいたことについては同意しています。しかし、それはあくまで古代コリント市の存在していた時代のことであり、その古代都市は、パウロが1コリントへの手紙を書く200年前にすでに破壊されていたのです。

 

売春婦に間違われないために?

上に挙げた見解とセットになって打ち出される主張というのがこれです。つまり、「もし女性がかぶり物を着けていなかったら、彼女たちは売春婦に間違われてしまっていただろう」というものです。

 

しかし、この主張は根拠のないものであり、またこれが事実無根であることを立証するしっかりした理由も存在します。これに関し、ギル博士は次のように説明しています。

 

コリントの女性たちを形どった大理石像――おそらく裕福な名家の女性たちがモデルであると考えられている――の大部分は頭にベールを着けていない彫像である。ここから、ローマ植民市においては、「女性が公の場でベールを着けないでいることは社会的に認められていた」ということが示唆されるのである。

 

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ギル博士が指摘しているように、こうした考古学的な証拠からも、当時の女性たちがベールなしでいたことが普通のことであったという事実が立証されるでしょう。もちろん証拠はこれだけに限ったものではありません。

 

男性はどうなのか?

パウロはまた男性に対して「祈る時や預言する時にはかぶり物を着けてはならない」と命じています(1コリント11:4)。ですから、男性が頭に何かをかぶっているというのは当時文化的に奇妙なことだったのか、それも見てみることにしましょう。

 

リチャード・E・オスター(プリンストン神学大博士号)は、「1コリントへの手紙解釈における、最近の論考の中にみられる考古学的証拠の使用、悪用、軽視について」という論文の中で次のように言っています。

 

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 Richard E. Oster

 

(男性の典礼用かぶり物についての)ローマの慣習は、コリント市におけるキリスト教到来以前および以後の数世紀に渡って存在していたということを文書でたどることができる。そしてこの慣習は、地中海沿岸地方の硬貨や彫像、そして建築物などに明瞭に描かれている10

 

つまりオスター博士は「この時期、男性が(キリスト教ではない)典礼の時、頭にかぶり物を着けていたということは考古学的に実証されている」と言っているのです。パウロはそういった、当時普通に行なわれていた文化的慣習に反して「かぶり物を取るよう」男性たちに指示を出していたわけですから、いわゆる「文化的解釈」という見解は退けられなければなりません。オスター博士は次のように要約しています。

 

祈りや預言という文脈の中における、かぶり物をした男性の慣習というのは、ローマ的敬虔としては一般的なものであり、それは共和制後期ならびに帝国前期にかけてひろく普及していた。コリント市自体がローマ植民市であったため、ローマのこういった宗教慣習の側面が注釈者たちによって――これまで受け入れられてきた以上に――より一層多くの注目を受けるに値するというのは自明のことといえよう。11

 

結論

なぜ女性はかぶり物をする必要があり、男性は逆にかぶり物を取らなければならないのかという点で、パウロは私たちを暗中模索の状態に放置しているわけではありません。

 

10節で「ですから(for this reason, δια τουτο)」とパウロが言っていますが、この事実が意味するところは何かというと、答えはあくまで聖句(釈義)の中に見出されるのであって、文化分析ではないということです。

 

しかしそれはともかくとして、当時のローマの文化慣習を調べたとしましょう。その際、私たちが分かるのは、1)(非キリスト教)宗教典礼の際、ローマ人男性はかぶり物を着けていたこと、2)女性がベールを着けていないのを見られたとしても、それは社会規範に反することでもなく、売春婦との関連を疑われるようなこともなかった、ということです。

 

かぶり物に関する文化的議論というのはパウロ自身の説明をないがしろにし、それを無視するような結果をもたらすものですから、こういった解釈は破棄されなければなりません

 

参照

  1. R.C Sproul – Knowing Scripture, 1977, ch 5, pg 110.
  2. R.C Sproul – Knowing Scripture, 1977, ch 5, pg 110.
  3. Dirk Jongkind – Corinth In The First Century AD: The Search For Another Class, Tyndale Bulletin 52.1, page 139
  4. Strabo – Geographica – Book 8, Chapter 6
  5. Strabo – Geographica – Book 8, Chapter 6
  6. Strabo – Geographica – Book 8, Chapter 6
  7. Strabo – Geographica – Book 8, Chapter 6
  8. David W. J. Gill – The Importance of Roman Portraiture for Head-Coverings in 1 Corinthians 11:2-16, Tyndale Bulletin 41.2
  9. David W. J. Gill – The Importance of Roman Portraiture for Head-Coverings in 1 Corinthians 11:2-16, Tyndale Bulletin 41.2
  10. Richard E. Oster, Jr. – Use, Misuse and Neglect of Archaeological Evidence in Some Modern Works on 1 Corinthians
  11. Richard E. Oster, Jr. – Use, Misuse and Neglect of Archaeological Evidence in Some Modern Works on 1 Corinthians

 

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