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巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「旧約聖書にみられる女性への抑圧や虐待は、男性かしら性(male headship / "家父長制")によって引き起こされたものであり、よって、男性のかしら性が『誤り』であることを示しています」という見解についてご一緒に考えてみましょう。【前篇】

ケファレー(kephale:かしら) 対等主義(Egalitarianism) 男性リーダーシップの回復

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    Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter 4

 

ルース・タッカーは次のように書いています。「創世記3章の人類の堕落後、新しい家父長制体制が導入され、夫は妻を支配するにとどまらず、残りの家族をも支配するようになったのです。」Tucker, Women in the Maze (1992), 57.

 

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そこから続けてタッカーは、虐待的で破壊的な〔旧約の〕出来事の長いリストを挙げながら、各出来事がそれぞれ皆「家父長制ゆえに引き起こされたものだった」と述べています。

 

アブラハムがサラをパロの宮廷に召し入れることを容認したことは、「家父長制の諸悪」の一例であると彼女は言っています(同著p.58)。

 

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ソドムにいた男が自分のそばめを繰り返し強姦され、殺されるがままにした出来事(列19:22-30)は、「家父長システムの潜在的悪を明示しています。」(同著 p.59)。ダビデが多くの妻をめとり、さらに10人のそばめをとり、死ぬ日まで監視つきの家に閉じ込めていたこと(2サムエル20:3)についてタッカーはこう述べています。「こういうものは、家父長制主義の諸悪に他ならなかったのです」(同著, p 61)。

 

また、ソロモンが「700人の王妃としての妻と、300人のそばめと〔一夫多妻制の〕慣習に興じ(1列11:3)」、したがって、「家父長制主義のその他の側面と同様、一夫多妻制が女性たちに非常に否定的な影響を及ぼした」とタッカーは述べています(同著, p61-62)。

 

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        ソロモン王の偶像礼拝

 

従って、彼女によれば、こういったすべての諸悪は、旧約聖書にある男性リーダーシップ(家父長制, "patriarchy”)のシステムによって生じたのです。

 

しかし、次の章に入ると(同著 p64-70)、タッカーは旧約聖書から多くの肯定的な例(例えば、サラ、ルツ、エステル、デボラ)を引き出しているのですが、今度はそれらを家父長制システムの肯定的な例として取り扱う代わりに、「『家父長制』の下に置かれていたにも拘らず、いかにして彼女たちを通し、神が肯定的に働いてくださったか」という形で彼女たちの例を提示しています。

 

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デボラ

 

そして次のように言っています。「実際、旧約聖書全体を通しこれだけ家父長制が露呈されている中にあっても、女性たちはおどろくほど卓越していたのです」(同著 p64)。

 

同様に、ギルバート・ビレジキアンも、旧約聖書の中の悪であるなにか(例えば一夫多妻制)を例に取り、これは結婚における「男性の権威(male authority)」から生じてしまったものであると述べ、次のように言っています。

 

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「明らかに、人類の堕落と共に始まったこういった家族制のラディカルな破壊は――夫が妻を治めるというポジションをとり――、こうして一夫多妻制の醜怪さに大きく門戸を開く結果となってしまったのです。」Bilezikian, Beyond Sex Roles, 62.

 

ビレジキアンはまた、男性たちによって始められる恣意的離婚は、結婚の中における男性の権威が引き起こしたものであると次のように述べています。

 

「モーセ律法の中にみられる〔申命記24:1-4の離婚の手続きなど〕このような譲歩の必要性は、男性たちによって敷かれた統治原理の悪質な使用の現実を示しています。なぜなら、これは妻たちの願いをかえりみず、自らの不正義に対しても報復を受けることなく過ごせる、そのような権力を彼らに与えてしまったからです。」Bilezikian, Beyond Sex Roles, 67.

 

回答1.

こういった一連の諸悪は、罪の結果そして男性かしら性(male headship)の悪用の結果生じたものであり、男性かしら性そのものの内に因するものではありません

 

上述のルース・タッカーの挙げた例を、一つ一つ文脈の中でみていくと分かるのが、そういった例それ自身が「悪」とみなされているということです。聖書の中ではそれらは決して男性かしら性ゆえに生じた悪とは捉えられてはおらず、所与の権力を乱用(悪用)した罪ぶかい人間ゆえの悪だと捉えられているのです。

 

旧約聖書はしばし、罪を犯した人間を懲戒はしていますが、「家庭を導かねばならないと思った、お前のその考え自体が間違っている」とか「男性かしら性というお前の考え自体を悔い改めよ」とか、そういう事は決して言っていません。

 

しかし、タッカーやビレジキアンはここを是非とも必要としています。なぜなら、彼らには、「こういった諸悪は、家父長制のせいである」という自らの主張をここに打ち建てる必要があるからです。しかしそういった主張は、聖書のどこにも見い出すことができません。

 

旧約聖書の中においてさまざまな形で是認されている男性リーダーシップのシステムに、こういった諸悪の責めを負わせるというのは正当ではありません。こういった議論は例えて言うなら、「これらの諸悪はすべて一神教信仰のせいだ。なぜなら、こういった諸悪は、一神教を奉じるイスラエルの民の間で生じたものだから」と難癖をつけるようなものです。

 

もちろん、こういった理屈は正当なものではありません。しかしこれは論法のプロセス的に言って、すべての諸悪や罪を「家父長制」のせいにする彼らの議論の仕方に似ています。