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巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「イエスが男性たちだけを12使徒に任命されたのは、当時の文化的拘束ゆえです。」という主張はどうでしょうか。

創造 VS 文化的解釈 男性リーダーシップの回復 対等主義(Egalitarianism) 女性牧師問題で悩んでいる方々へ

    

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 Wayne Gruden, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter 5

 

対等主義者側の主張:

イエスが男性たちだけを使徒に任命したのは、ただ単に当時の文化に譲歩したためです。しかしそれは今日の私たちの文化には当てはまらないものです。

 

スタンリー・グレンツは次のように書いています。

 

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「しかしながら、使徒が全員男性だったというだけでは、『だからすべての牧会者は男性でなければならない』と結論付ける十分な基盤を提供しません。

 

そういった結論は、使徒たちの果たした役割が、基本的にしてユニークかつ、あくまで一時的なものであったことを理解し損なっているのであり、そういう彼らの役割は、厳密な意味において、後代につづく信者には継承されないものです、、

 

それに加え、相補主義者たちが理解し損なっているのは、男性の12使徒をお選びになったキリストの選択における真の重要性です。この選択行為の重要性は、(信仰者たちの間における)ジェンダーを基盤にした永続的な役割区分にあるのではありません。そうです、主のなさった選択はシンボル的な行為であり、イスラエルの歴史という文脈の中でのみ理解され得る性質のものなのです

 

そして――かつての12族長を想起させる――男性12使徒の選択は、『イエスが古の神の民を再建している』という事を指し示す終末論的徴(しるし)なのです。」Grenz, Women in the Church, 211-12.

 

訳者注:尚、スタンリー・グレンツ氏は、イマージング運動の指導者としても有名です。詳しくは、イマージング・チャーチ・ムーブメント――福音主義教会における新しい波(スティーブン・W・コーネル師 の記事をお読みください。)

 

ギルバート・ビレジキアンは次のように言っています。

 

「古代ユダヤ世界における文化的拘束ゆえに、女性使徒たちのミニストリー、サマリヤ人使徒たちのミニストリー、異邦人使徒たちのミニストリーといったものは、当時容認されていませんでした。従って、大宣教命令が成就していく最初の段階にあっては、女性、サマリヤ人、異邦人たちの排除というのは不可避のことでした。

 

しかし後の時代になり、福音がユダヤ教の範囲を超えて広がってゆくにつれ、男性も女性も、そしてサマリヤ人も異邦人も皆、福音宣教を担う器とされていったのです、、、こうした便宜についてのプラグマティックな考慮が、最初の使徒グループの構成を決定しました。」Bilezikian, Beyond the Sex Roles, 274.

 

同様に、アイダ・スペンサーは、「もしも12使徒の〈男性性〉が、教会内での男性リーダーシップを要求するのなら、12使徒のユダヤ性は、教会内でのユダヤ人リーダーシップを要求するはずではないでしょうか?」と反論しつつ、次のように述べています。

 

「イエスはイスラエルの12部族を表すべく、弟子の中から12人をお選びになりました、、もしも、イエスの、12男性弟子選出が、『女性は教会で指導者の立場についてはいけない』ということの表明だとしたら、それなら、イエスの選択はまた、『異邦人は教会で指導者の立場についてはいけない』ということの表明だという事になります。」Spencer, Beyond the Curse, 45.

 

回答1.

「倫理的に何が正しいか、正しくないか」という正誤問題に関し、イエスは同時代の文化と決して妥協しませんでした

 

もしイエスが、「牧会・長老職はことごとく女性たちに開かれている」ということをお示しになりたかったのなら、主は使徒職に難なく6人の女性と、6人の男性をお選びになっていたはずです。そうすれば、リーダーシップに関する論議に完全なる決着がついていたことでしょう。しかし主はそうなさいませんでした。

 

「イエスの12弟子選択というのが、主がイスラエル12部族の12頭(がしら)を置き換え、神の民のために新しいリーダーシップをお立てになったことの明確な徴である」とのスタンリー・グレンツの指摘は確かに正しいといえます。しかしながら、その事実自体は、12人の「男性選択」を必然的なものにはしません。というのも、6人の男性と6人の女性というのもまた、12名から成る新しいリーダーシップ・チームを構成し得るからです。しかし事実はどうかといいますと、イエスは意図的にそして自由に、リーダーシップの立場に12名の男性を選んだのです。

 

こういった事柄に関し、イエスが当時の文化的圧力やプレッシャーに屈し、神がみこころとされる教えをし損なっていたと言うことは、とりもなおさず、イエスの完全性や勇敢さに対し疑いを差し挟む行為です。これに関し、ジェームズ・ボーランドは次のように言っています。

 

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「イエスは、必要とお感じになった時には、躊躇することなく社会的慣習を打ち破られました。主は公の場で面と向かってパリサイ人に対峙し(マタイ23:12-36)、安息日に癒し(マルコ1:21-27、ルカ13:14、ヨハネ5:8-10)、そして神殿を清められました(ヨハネ2:14-17、マタイ21:12-13)。

 当時の慣習に反し、イエスはサマリヤの女に話しかけ(ヨハネ4:7-9)、取税人や罪びとたちと食事を共にし(マタイ9:11)、洗わない手で食することさえされました(マルコ7:1-23)!

 要となる点はここです。つまり、倫理的な問題に直面された時、イエスは文化的重圧に屈することはなかったということです。ですから、イエスが男性だけで構成された12使徒集団を任命されたのは、社会的慣習のゆえでも、また文化的重圧のゆえでもなかったのです。」James A. Borland, "Women in the Life and Teachings of Jesus," in Piper and Grudem, Recovering Biblical Manhood and Womanhood, 120.

 

また、ご自身の弟子たちを任命された時、イエスは当時の文化的期待に自らを添わせ、譲歩したわけでもありませんでした。マタイは「取税人」(マタイ10:3)であり、一般人から好かれていない人物でしたし(マタイ18:17、21:31参)、弟子たちもたいがい、「無学な、普通の人」(使徒4:13)でした。

 

〔中略〕ですから、使徒の任命という――根本的にして永遠に重要性を持つ行為――をなすに当たり、イエスが、当時の文化潮流に調子を合わせ、それに迎合したと考えるのは、その他の主の御働きとも一致していないばかりか、実際、それは、イエスの勇気とご性質そのものに非難を加える行為とさえなります。

 

回答2.

使徒たちの男性性(maleness)により、教会における男性リーダーシップに永続的パターンが設立されました。

 

新契約下にある神の民の間におけるもっとも高い、人間リーダーシップは、いわゆる「対等」主義者ではありません。来るべき世においてさえ、12使徒たちのために、高い権威を伴った場が与えられるということをイエスご自身がおっしゃっています。

 

「まことに、あなたがたに告げます。世が改まって、人の子がその栄光の座に着く時、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。」(マタイ19:28)。

 

そして、天の都でも、私たちは、神の民の中における男性リーダーシップの永久的な軌跡(reminder)を目にすることでしょう。「都の城壁には十二の土台石があり、それには、小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった」(黙21:14)。

 

スタンリー・グレンツは、使徒たちの役割は、「基礎をなすもの(foundational)」であり、「一時的なもの」にすぎないと批判していますが(Grenz, Women in the Church, 211.)、もちろん、彼らの存在はユニークで比類のないものでした。そうです、教会の中で、もっともユニークにして、基礎にかかわり、かつ権威を持った指導者たちというのはすべて男性でした。土台そのものにおいて、イエス・キリストの教会は、「対等主義的な」組織ではありません。そこには100%の男性リーダーシップが存在しています。

 

回答3.

しかし、12使徒のユダヤ人性(Jewishness)というのは、単に一時的な型(pattern)に過ぎませんでした。なぜなら、イエスはまずユダヤ人の元に来られたからです。

 

12使徒のユダヤ人性というのは、神の主権的(sovereign)ご計画の中にあって、「教会が誕生した当初、教会の中に異邦人男性が誰もいなかった」という事実に因していますが、ビレジキアン、グレンツ、スペンサー共に、そこを理解することができずにいます。

 

神のご計画は、まずユダヤ人をもって始まり、その後、異邦人を含めていく、というものでした。それゆえに、イエスはご自身の働きをユダヤ人の間だけで始められたのです。主は仰せられました。「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません」(マタイ15:24)。そして地上での働きをなしておられる間、弟子たちにこう言われました。「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町にはいってはいけません。イスラエルの家の滅びた羊のところに行きなさい」(マタイ10:5-6)。ペンテコステの日に信じた人々もやはりユダヤ人でした(使2:5)。

 

草創期の信者の中に、異邦人は誰もいませんでした。それとは対照的に、イエスにつき従う者たちの中には初めから(男性だけでなく)女性もいました。そして、もしイエスが女性たちを使徒職に任命したかったのなら、そうできていたはずです。

 

福音が異邦人の間にも広がり始めるや、異邦人たちはすぐさま――「あらゆる国の人々」(マタイ28:19)を弟子としなさいというイエスの命令に従い――教会を指導する者たちの間に包含されました。(筆者註:使徒1:8、それから異邦人の諸都市での長老の任命に注意(使徒14:23)。また、長老の適性条件について記してあるテトス1章、1テモテ3章においてそこに「ユダヤ人であること」は条件に含まれていないことにも留意。)

 

ルカは異邦人でしたが、彼は新約聖書の中の二書を執筆しました。またパウロの同伴者であったテトスとエパフロデトも――ユダヤ人の名前ではなく――異邦人の名前です。そして新約聖書の中で異邦人がリーダーシップの役割を果たしていた一方、女性たちは長老の役割に包含されていませんでした。

 

下の表は、この自然な歴史的進展を表わしたものです。

 

         神の民の構成員   神の民の上に置かれた

                   権威あるリーダーシップ

 

使徒の働き初期   ユダヤ人だけ    ユダヤ人男性

 

使徒の働き後期   ユダヤ人と異邦人  ユダヤ人及び異邦人男性

及び書簡の時期

 

そして男性リーダーシップのこの型は、新約聖書の全時期を通し続いていきました。