巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

宗教改革者たちの叫び(9)-ヤン・コメンスキー(17世紀、ボヘミヤ)

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 「測りがたいほど苦しく、不面目な悲哀の死を耐え忍ばれた主ご自身でさえ、一粒の麦が死ななければいつまでもそのままであるが、もし死んだら多くの実を結ぶであろう、という言葉によって、みずからを慰められた。

 

 したがって、彼の御傷によって癒され、彼の死によっていのちを得、彼がよみまで降りてくださったことにより、天国や救いが成就したのであるならば、一粒の麦にすぎない私たちは、神のみこころに従って死ぬべきではないか。もし殉教者の血や私たちの血が、神を恐れる人々が後に増し加えられるための「教会の種子」となるならば、ああ主よ、喜びとともに刈り取るであろう尊い種子を、涙をもって蒔かせたまえ!

 

 神は、再建される目的なくして、破壊なさることを決してなされないであろう。実に、神は万物を新たにされる。神はみずからのみわざをご存知なので、私たちは、みこころのままに取り壊し、建て上げられる神ご自身に信頼すべきではないだろうか。

 

 神は、このことを決して無目的に行なわれない。その背後に何か偉大な御目的が隠されているにちがいない。神は、ご自身がなされることについて、私たちの助言を必要とされないのである。」

 ヤン・アーモス・コメンスキー(Jan Ámos Komenský, 1592 -1670)

 

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神は、このことを決して無目的に行なわれない。その背後に何か偉大な御目的が隠されているにちがいない。」―福音宣教のわざをする中で、祖国を追われ、迫害され、全財産を奪われ、妻子を亡くしたこの人物の口から発せられる信仰と信頼に満ちた言葉には特別の重みがあります。以前、私は、「モラヴィア兄弟団のアンナ・ニッチマンー世界を駈けた羊飼い娘」という伝記の中で、ボヘミヤ兄弟団のヤン・コメンスキーのこと、彼の有名な「隠れた種」の祈りについて触れました。その部分を少しだけ引用したいと思います。

 

しかし、その後、コメンスキーおよび亡命者たちはゼロティンからも追われ、ついに祖国を永久に去らなければならなくなります。コメンスキーは、全ての所持品を失い、妻子も困窮のためにすでに死んでいました。彼らは山道を歩き、スィレスィア地方を通って、ポーランドに向かって逃避行を続けていました。

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1628年1月の寒い夜、コメンスキー率いる一行は、ボヘミアを見渡すことのできる最後の峠で歩みを止め、食い入るような目で、もう一度、愛する故郷をながめました。そして彼らはそこで賛美歌を歌い、ひざまずいて祈りました。

コメンスキーは、絞り出すような声で天の父に、「ああ父よ、この民をあわれんでください。どうか彼らのうちに、隠れた種を保ち続けてください。」と祈りました。

 

はたして、コメンスキーの祈りはむなしく地に落ちることはありませんでした。この伝記をお読みになった方はお分かりだと思いますが、激しい迫害のさなかにも、主はボヘミヤの地に隠れた種を保ち続けてくださり、それがやがて、ヤギ飼いの青年クリスチャン・デイヴィッド、ツィンツェンドルフ伯爵等の神の器を通し、モラヴィア兄弟団の一大リバイバルとなり、永遠の実を結ぶことになりました。

 

モラヴィア兄弟団の宣教熱は大変なもので、北はグリーンランドから南は西インド諸島、ニカラグアまで全世界に及び、彼らの信仰を通し、当時、霊的に挫折していた若きイギリス青年ジョン・ウェスレーに個人的信仰復興の炎が灯され、こうして英国中がひっくり返る信仰大覚醒時代の幕が開かれることになりました。

 

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