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巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

しかし、エペソ5:21で、パウロは、夫も妻も「互いに従い合いなさい」と教えてはいませんか?

John Piper and Wayne Grudem, 50 Crucial Questions About Manhood and Womanhood | Desiring God, 2016

 

Q. しかし、エペソ5:21で、パウロは「相互恭順(=夫も妻も互いに従い合いなさい)」を教えてはいませんか?

 

すべては私たちがどういう意味合いにおいて「相互恭順」という語を捉えているかによるでしょう。ある人々は、他の人々よりも、この語に相互依存(reciprocity)的な含みをもたせ、捉えているかもしれません。

 

しかし、たとえここでパウロが意味していたのが、完全なる「相互依存(reciprocity)」(つまり、妻は夫に恭順し、夫は妻に恭順する)だったとしても、それは、夫と妻が「同じ仕方で(in the same way)」恭順しなければならない、という意味ではありません。

 

ここで鍵となるのは、まさにこの節において、「夫と妻の関係」が、「キリストと教会の関係」のになぞられている事実です。それでは、キリストと教会は、「相互に」「恭順し合って」いるのでしょうか。

ここでもし恭順の意味を、「キリストが教会の権威に従うこと(yield)」と捉えるなら、答えは「否」つまり、キリストと教会は、互いに恭順し合ってはいない、ということになります。しかしここで、もしも恭順を、「キリストが、自らを苦しみと死に明け渡すことで、教会のためにご自身を明け渡した(submitted)」という意味に捉えるなら、答えは「然り」となるでしょう。

 

しかしながら、これは、教会がキリストに従い恭順するあり方ではありません。教会の「キリストに対する恭順」は、教会が、キリストの権威を認め、その指導および導きに従うことを通してなされます。

 

ですから、「相互恭順」というのは、同じ仕方で、互いに従い合うことを意味してはいないのです。従って、相互恭順は、「教会に対するキリストのかしら性(headship)」に妥協を許すものではありませんし、「妻に対する夫のかしら性(headship)」に妥協を許すものでもありません。