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巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

18世紀半ばに、何が英国のキリスト教をよみがえらせたのか?(J・C・ライル『大覚醒の時代』より)

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J・C・ライル『大覚醒の時代』

「Ⅱ.18世紀半ばに何が英国のキリスト教をよみがえらせたか」より一部抜粋(引用元

 

百年前、私たちに解放をもたらしたのは、ほんの一握りの人々であった。ほとんどが英国国教会の牧師であった彼らは、同じ時に、全国の別々の地方で、神によって心を奮い立たせられたのであった。彼らは富も、有力な縁故も持っていなかった。支持者を引きつける資金も、世間の関心や尊敬を集めるような家名もなかった。彼らは、いかなる教会、党派、協会、団体からも送り出されたわけではなかった。

 

彼らは単に神が、そのみわざをなしとげるために、前もって決めた何の協定も、組織も、計画もなく、つき動かした人々だったのである。彼らが神のわざを行なうために用いた手段は、いにしえの使徒と同じく、その時代の伝道者となることであった。彼らは、一連の真理を説いた。彼らはそれを使徒と同じ仕方で説いた。熱情と、迫真性と、真剣さをもって、自分の説くことを完全に確信している口調で説いた。彼らはそれを使徒と同じ心で説いた。

 

常に愛とあわれみをこめて、パウロのように涙を流しさえしながら、しかし常に大胆に、ひるむことなく、人の顔を恐れずに説いた。そして彼らは使徒と同じ方法にのっとり、常に積極的に攻勢に立って説いた。彼らは罪人が彼らのもとにやってくるのを待つようなことはせず、罪人のあとを追い、罪人を捜し求めた。罪人が悔い改めたいと申し出るまで何もせず座しているのではなく、城壁の突破口へ殺到する兵士のように、不敬虔な行為たけなわの場所を急襲し、人々が罪にしがみつきつづける限り休みなく攻めたてた。

 

こうした勇敢な伝道者たちの運動が、英国を端から端まで揺さぶったのである。はじめ高位の人々は彼らを好んで軽蔑していた。教養人たちは狂信者といって冷笑した。才気ある者らは彼らについて冗談を飛ばし、気の利いたあだ名を考え出した。教会は彼らに門を閉ざした。非国教徒たちは彼らを冷たくあしらった。無知な大衆は彼らを迫害した。

 

しかしこれら数人の伝道者の運動は進み続け、ついには国中でその働きを感じさせるようになった。多くの者が目ざめて覚醒し、宗教について考えるようになった。多くの者が恥じいって罪を遠ざけるようになった。多くの者が自分の不敬虔さに歯止めをかけ、怖じけづいた。多くの者が集会に集まり、その結果、心からはっきりキリスト教を受け入れると告白した。多くの者が回心した。この運動をきらうふりをしていた多くの者は、実は刺激を受けて心ひそかにこれを手本にしていた。

 

この小さな若木は強固な大木となり、この小さなせせらぎは深く広い大河となり、この小さな火花は、燃えさかる炎となった。私たちが今恩恵をこうむっているろうそくには、こうして火がともされたのである。あらゆる階級において、道徳や宗教に対する感じ方は、次第に全く異なった様相を帯びはじめた。

 

そしてこれらはみな、神のもとにおいて、庇護者もなく俸給もない数人の冒険者たちによって生じさせられたのだ!神が事をなされるとき、何物もこれを押しとどめることはできない。神が私たちに味方されるとき、何者も私たちに敵対して立つことはできない。

 

これらの前世紀の霊的改革者たちが自分たちの働きを押し進めた手段は、しごく簡単に述べることができる。それは、いにしえの使徒たちが武器として用いたもの、すなわち説教以外のなにものでもなかった。千八百年前、異教世界の要塞を攻撃するため聖パウロが振るってあれぼど絶大な成果をあげた剣、その同じ剣を用いて彼らはその勝利をかちとったのである。

 

ある人々が云うように、彼らが教育や学校を無視したというのは完全に事実に反している。彼らは、会衆を集めたところではどこでも、子供たちへの配慮ををこころがけた。またある人々が云うように、彼らが聖礼典を無視したというのも、全くの偽りである。そのような主張をする者は、単に、百年前の英国宗教史に対する途方もない無知をさらけだしているにすぎない。

 

前世紀の改革者たちの中から、数百人を越える聖餐拝受者をかかえていた者や、当時の教役者五十名中四十九名にもまさって主の晩餐を重んじていた者の名をあげることはたやすいであろう。しかし疑いもなく説教こそは彼らの愛用した武器であった。彼らは賢明にも第一の原則へ戻り、使徒の用いた手段を手に取ったのである。彼らは聖パウロとともに、牧師の第一のつとめは「福音を宣べ伝える」ことであると考えた。

 

彼らはあらゆる所で説教した。もし教区教会の講壇を使うことが許されれば、喜んでその機会を利用した。もし講壇が手にはいらなければ、同じようにいつでも納屋で説教する用意があった。彼らには、どんな場所も不都合ということはなかった。野外でも道端でも、村の共有地でも市場でも、路地でも裏通りでも、地下室でも屋根裏部屋でも、桶の上からでもテーブルの上からでも、ベンチの上からでも乗馬台の上からでも、聴衆を集めることのできる場所ならどこででも、この前世紀の霊的改革者たちは喜んで人々の魂について語りかける用意があった。

 

彼らは時がよくても悪くても、人をすなどるわざに邁進した。そして海を陸を巡り歩き、自分たちの御父のわざを前進させていった。さて、これらはみな目新しいことであった。これが大きな成果をあげたことも不思議はないといえる。

 

彼らは素朴な説教をした。彼らは、説教においてめざすべき第一の要点は、それを人に理解させることであると正しくも結論した。彼らは、言葉を練り上げた極上の説教を何千回くりかえしても全く役立たずであることを、はっきりと見抜いていた。なぜならそうした説教が、聴く者の理解力を越えていたからである。

 

彼らは民衆のレベルまでおりてこようと努力し、貧民にもわかるような話をしようと骨折った。そのためには、説教の優雅な構成や修辞を犠牲にすることも、自分の学識の評判を落とすことも恥じなかった。そのためには、ありとあらゆるたとえ話や例話を盛り込み、彼らの聖なる師にならって、あらゆる自然の事物から教訓を引き出して用いた。

 

彼らはアウグスティヌスの格言を実行に移していたのである。----「木の鍵は黄金の鍵より見ばは良くないが、もし黄金の鍵の開けない扉を開けることができるなら、はるかに役に立つ」。

 

彼らは、ルターやラティマーが用いてあれほど顕著な成功をおさめた説教のスタイルを復活させた。つまり彼らは、ドイツの改革者[ルター]が次のように述べたとき念頭においていたことの真実をさとっていた。「一部の人々にとっては子供っぽく、粗野に聞こえるような仕方で喜んで説教できない者は、決して民衆にとって良い説教者になることはできない」。さて、これもまた、百年前にはきわめて新奇なことであった。

 

彼らは情熱的に、また単刀直入に説教した。彼らは、生気も熱もこもらぬ鈍重な話し方を投げ捨てた。そうしたもののため説教は、長い間、単調さの代名詞となっていたのである。彼らは信仰をもって信仰の言葉を宣べ、いのちをもっていのちの物語を宣べ伝えた。彼らは、激しい熱情を持って語った。自分の語ることが真実であり、これを聴くことが聴衆の永遠の幸福にとって最高に重大な意味を持つと完全に確信している口調で語った。

 

彼らは、神から聴衆へのメッセージを受けた者のように語った。そしてそのメッセージをぜひとも伝えなくてはならない者のように、またそのメッセージを伝える間、聴衆の注意をひいておかなくてはならない者のように語った。彼らは自分の説教の中に真情と魂と感情を盛り込んだ。聴衆は、家へ帰るときには、少なくともこの説教者は真剣であり、自分たちのためを考えているのだと確信させられていた。

 

彼らは、心に語りかけたいと願うなら、心から語らなくてはならないと信じていた。会衆席の側に信仰と確信を生み出したければ、講壇の側に取り違えようのない信仰と確信がなくてはならないと信じていた。もう一度云う。こうした説教はみな、百年前にはすたれかかっていたのである。これが人々を嵐のように襲い、甚大な効果を生み出したことに驚くべきであろうか。

 

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しかし百年前にこのような驚くべき効果を生み出した説教は、どんな内容で、何を主題としていたのだろうか。彼らの説教は「単純で、熱心で、迫真性があり、愛情にあふれ、勇ましく、生き生きとしており、……」、つまり、それだけであった、などと云うのは読者の常識を馬鹿にすることであろう。そのようなことはすまい。

 

彼らの説教は教理的であり、教義的であり、明確な教えと、はっきりとした主張に満ちていた。このことは当然了解しておられると考えたい。前世紀の罪の要塞は、単なる熱心さや禁則的な道徳律によっては、決して陥落しなかったでろあう。エリコの城壁を倒壊させた角笛の音は、決してはっきりしない音ではなかった。前世紀の英国の伝道者たちは、はっきりしない信条の人々ではなかった。しかし、何を彼らは宣べ伝えたのか。この点について少しばかり述べることは無駄ではないであろう。

 

まず第一に、前世紀の霊的改革者たちは、絶えず聖書の十全性とその無比の優位性を説いた。聖書そのもの、すなわち一部を削除したり、改変したりしていない完全な聖書こそ、信仰と行為に関する彼らの唯一の基準であった。彼らは、何の疑問や疑義をさしはさむことなく、そのすべての叙述を受け入れた。彼らは、聖書に霊感を受けていない部分があるなどとは片時も認めなかった。

 

彼らは、人間のうちに聖書の叙述を評価したり、否認したり、許容したりする「判別の能力」があるなどとは決して認めなかった。彼らは決してひるむことなく、神のことばには何の誤りもありえないと主張した。聖書の内容の一部が私たちに理解不能であったり、矛盾すると思われたりするときには、非は解釈者の側にあり、聖書本文の方にはないと主張した。

 

彼らはそのすべての説教において、まことに一書の人であった。彼らは、その書に自分の信仰をかけて満足し、その書によって立ちも倒れもすることに満足していた。これが、彼らの説教の1つの大きな特徴であった。彼らは聖書を尊重し、愛し、敬っていた。

 

さらに、前世紀の霊的改革者たちは、絶えず人間性の完全な腐敗を説いた。彼らは、キリストは万人のうちにおられ、万人は何か良きものをうちに宿しているのだから、各人はその良き部分を助長し、用いるだけで救われるのだ、などという今はやりの考えは全く持っていなかった。彼らは決してそのような仕方で人々にへつらったりしなかった。

 

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彼らは、人々に対してあからさまに告げた。あなたがたは死んでおり、再び生かされなくてはならない、あなたがたは罪人であり、失われており、無力で、何の希望もなく、永遠の滅びという切迫した危険のうちにある、と。ある人にとっては奇妙で矛盾したことと思えるかもしれないが、彼らが人を良く変えていくための第一歩は、相手が全く悪い者であると示すことであった。彼らが人に向かって自分の魂のために何か手を打てと説得する際の主たる論拠は、相手が全く何もできない存在であると確信させることであった。

 

さらに、前世紀の改革者たちは、絶えず十字架上のキリストの死こそ人間の罪を贖う唯一の手段であると説いた。キリストが死んだとき、彼は私たちの身代わりとして----「正しい方が悪い人々の身代わりと」して----死んだのだ、と説いた。実際これこそ彼らのほぼすべての説教において、中心的に重要な点であった。彼らは決して今はやりの、キリストの死は偉大な自己犠牲の模範にすぎないなどという教理を説かなかった。

 

彼らはキリストの死のうちに、それよりもはるかにすぐれたもの、はるかに偉大なもの、はるかに奥深いものを見ていた。彼らはキリストのご人格を愛していた。彼らはキリストの御約束を喜んでいた。彼らは人々にキリストを手本として歩むよう、うながしていた。しかし、彼らがキリストについて、何よりも詳しく述べることを好んだことは、キリストが十字架の上で私たちのために流した贖いの血潮であった。

 

さらに前世紀の改革者たちは絶えず信仰による義認という偉大な教理を説いた。彼らは人々に語った。信仰こそは、キリストのみわざを自分の魂のためのものとして手に入れるため必要なものである、信じる前は私たちは死んでおり、キリストから何の恩恵も受けることができない、しかし信じた瞬間に私たちは生き、キリストの恩恵を受ける十分な資格を得る、と。教会員籍による義認----信仰や信頼をともなわない義認----などという観念を、彼らは決して是認しなかった。信ずるならば、信じた瞬間にすべてのものを得る。しかし信じなければ何も得られない。これが彼らの説教の心臓部であり精髄であった。

 

さらに、前世紀の改革者たちは絶えず、心の回心と聖霊によって新しく創造されることが万人にとって必要であると説いた。彼らは至るところで、彼らを聞くために集まった群衆に向かって、「あなたがたは新しく生まれなくてはならない」と宣べ伝えた。

 

バプテスマによって神の子とされること----生活では悪魔の意志を行なっていながら神の子であるなどということ----を、彼らは決して認めなかった。彼らが説教した新生は決して、眠りのように不活発なものでも、活動の停止するものでも、動きのないものでもなかった。それは目で見ることができ、見分けがつき、その効果によって知られるものであった。

 

 さらに、前世紀の改革者たちは絶えず真の信仰と個人的聖潔とのわかちがたい関係を説いた。彼らは、たとえ不敬虔な生活を送っていても、教会員籍がありさえすればいい、信仰告白さえしていればいい、それさえあれば真のキリスト者だ、などとは片時も認めなかった。

 

真のキリスト者とは、彼らの主張によれば、常にその実によって知られなくてはならない。そしてその実は、生活のあらゆる分野において誰の目にも明らかで、取り違えようのないものでなくてはならない。「実なきところに恵みなし」。これが彼らの説教の変わらぬ基調であった。

 

最後に、前世紀の改革者たちは、絶えず、等しく真実な2つの教理、すなわち、罪に対する神の永遠の憎しみと、罪人に対する神の愛を説いた。彼らは「地獄よりも低い愛」や、聖い者も聖くない者もみな最後には入ることのできる天国などというものを全く認めなかった。天国についても地獄についても、彼らはこれ以上ないほどあからさまな言葉で語った。

 

人がかたくなに悔い改めず、不信仰にしがみつきつづける場合、彼らは決して、神のさばきと来たるべき御怒りについて、はっきり宣告することから尻込みしなかった。しかし彼らは、神の優しさとあわれみの豊かさをたたえ、すべての罪人に対し、悔い改めて神へ立ち返れ、遅くならないうちに、と懇願することも決してやめなかった。

 

こうしたものが、前世紀の英国の伝道者たちが絶えず説教していた主要な真理であった。これらが、彼らが町でも田舎でも、教会内でも野外でも、富者の間でも貧者の間でも、常に宣べ伝えていた主たる教理であった。

 

これらの教理によって彼らは、英国中をひっくりかえし、農夫や鉱夫に、その汚れた顔に縞ができるほど涙を流させ、貴族や哲学者の注意をひきつけ、サタンの要塞に猛攻を加え、何千、何万もの人々を火の中から燃えさしのようにつかみとり、時代の性格を一変させたのである。これを単純であるとか、初歩的な教理とか、呼びたければ呼ぶがよい。

 

こうした真理の一覧表の中には、何もはなばなしいもの、驚くようなもの、新奇なもの、独特なものがないと、云いたければ云うがいい。しかし百年前に、神がこれらの真理を祝福し、英国の改革をなしとげられたことは否定できない事実である。神が祝福されたものを、人が軽蔑するべきではない。