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巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「エバと同じように、当時エペソの女性も十分な教育を受けていませんでした。しかし今日の女性には男性と同等の教育があります。ですから、1テモテ2:11-15は今日の教会に一般化して適用されるべきではないのです」という主張はどうでしょうか。【その2】

1テモテ2:12検証 創造 VS 文化的解釈 女性牧師問題で悩んでいる方々へ

前の記事からのつづきです。)

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椅子に座り、巻本(scroll)を読んでいる古代ギリシャ人女性。"Ancient Greek School; Did children go to school in ancient greece?"より(引用元

 

その他の諸資料が示すところによれば、ギリシャ文化のいわゆる「ヘレニズム形式の学校教育」は、依然として続いてはいましたが、古代期の終わりにかけ、そこにわずかな諸変化が生じてきていました。」そして、「女の子たちもまた、あらゆる年齢層に渡って教育を受けていました。ある場合には、彼女たちも男子生徒と同じ係官たちの指揮の下に置かれることがあり、他の場合には、それぞれ別々の公官たちが彼らの教育の責任を負っていました。」(F.A.G. Beck, "Education" (1970), in the Oxford Classical Dictionary, 2nd ed., 371)

 

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 金髪の少女が読書をしている様子を描いたローマ・フレスコ画。イタリア、ポンペイ。(Roman fresco of a blond maiden reading a text, Pompeian Fourth Style (60-79 AD), Pompeii, Italy)引用元

 

ローマ社会において、ローマ人学校の要素の一つに、「教育を享受させるべく、女子もその中に含める」ということがありました。

(同著, 372. Oxford Classical Dictionaryの第三版は、古代世界で教育を受けていた人々の割合について前の版よりもより慎重な意見を載せていますが、それでも尚、壺に描かれた絵をみると、(通常、男子と同じ学校ではなく、また男子と同じ程度ではなかったようですが)それでも、―体操・音楽・書き方ーという三つの科目すべて、それから踊りの教育を女子も受けていたと考えられています。(507)

 それから、ヘレニズム期には、「それ以前よりも、さらに教育を受けるようになっていました、、、しかし男子のようには、どこででも教育を受けることができなかったようです。しかしこの時期のギリシャの子弟たちの教育を実際どの程度まで「普通教育(universal education)」と呼ぶことができるかについては論議があります。(508)

 ローマの学校では、ある種の小学校教師のような存在から、貧しい子弟を除く、一般のすべての子弟は教育を受けることができました。」そして学校では、「男子が大多数だったというのはほぼ間違いないと思われますが、その中に女子も混ざっていたということも確かです。」(510)

 さらに、「女性たちの中には、読み書きのできる人たちもいました、、、少なくとも、家庭の倉を管理する役割を担うのに必要なレベルの教育は受けていました。当時の女流文学作品に対する数多くの言及があるのですが、残存している作品はきわめて少ないというのが現状です。」(1623)

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               読書する女の子のブロンズ像(AD1世紀)引用元

 

Oxford Classical Dictionaryには、プラトンもアリストテレスも、「男女共に等しい教育と訓練を受けなければならないと考えていた」と記してあります。(Walter K. Lacey, "Women" (1970), in the OCD, 2nd ed., 1139.)

 

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蝋でできた書き板に作文をせっせと書くギリシャ人男子生徒。(引用元

 

また、初期のギリシャ社会の女性たちに関して言えば、「(個人の手紙など)パピルス文書をみると、エジプトにいたギリシャ人〔女性たち〕の広範囲に渡る識字能力が確認され」また、ローマでは、「上流階級のローマ人女性たちは影響力がありました、、、多くの女性たちは教養があり、機知に富んでいました。」(同著, 1139)

 

「当時の女性たちは一般的に男性よりも教育がなかった」と主張している対等主義者のクレッグ・キーナーでさえも、次のように言っています。

「〔ギリシャやローマ文化において〕男子と同じように女子も、この時期、教育を受けていました。しかしそのような教育を享受できた者の内、その後、さらに哲学や修辞学を修めるべく学問を続けたのはたいがいの場合、男性でした。

 古代ユダヤ教社会では、男子と女子の教育のコントラストはより劇的でした。しかし、もちろん、これらは誇張されるべきではありません。女性たちは、シナゴーグで定期的にトーラーの教えを聞いていたはずですし(使徒17:4,18:26)、おそらく、両親を通して、頻繁に聖書の教えを受けていたはずです。

 また、父親が子供たちに教える際にも、娘たちも(特に若い時期には)その場に同席することが求められていたのではないかと考えられます。ラビの妻や娘が聖句を正確かつ効果的に引用するといったこともままあったでしょう。しかしラビは普通、女性は男性たちほどにはトーラーを必要としていないと感じていたと考えられます。Keener, Paul, Women and Wives, 83.

 

著書『Women and Men in Ministry: A Complementary Perspective』(Saucy and TenElshof, eds., Women and Men in Ministry, 2001)の中で、クリントン・アーノルドとロバート・ソースィーは、古代エペソにおける女性たちの重大な教育上の実績(achievement)に関するさらなる証拠を提示しています。

 

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「近年、非常に重要な研究がなされ、パウロ・トレビルコが「小アジア西方の公的地位における女性の役割」ということに関する碑文証拠を提出しました。(*アーノルドとソースィーは、Paul Trebilco, Jewish Communities in Asia Minor, 1991の中の特に第二章 "The Prominence of Women in Asia Minor," pp.104-26について言及しています。)

 

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      Paul Trebilco 教授

 

これまで、ある種の著作群の中で「エペソの女性たち(そして小アジアならびにローマ世界全体で)は十分な教育を受けておらず、そのような機会にも恵まれていなかった」という旨の内容が頻繁に推論され、強調されてきました。

 

しかしながら現在、碑文研究の発達により、新たな証拠が提出され、いくつかの古代都市において、女性たちが学校の責任者(gymnasiarchos, 今日で言う"superintendent of schools"に近い)としての地位に就いていた証拠も出てきています。この「ギムナジウム, :γυμνάσιον, :gymnasium」はギリシャ都市の教育の中心地でした、、そしてこの学校責任者(gymnasiarch)は、市民の知的訓育や教育施設の一般管理などを監督していました。

 

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        古代ギリシャの学校(引用元

 

紀元1世紀から3世紀までの期間に書かれた碑文の研究から、小アジアおよび沿岸の島々にある23の諸都市にいた学校責任者の内、48名の女性の存在がすでに確認されています。ここから分かるのが、当時の女性たちが教育を受けることができていただけでなく、多くの地域で、彼らは教育システムを導く立場に就いていたということです。

 

これは私たちが一般に知っている、ローマ帝国初期の女性の苦境の状態と対比をなしています。しかし、共和制後期の初頭(BC2世紀)および初期帝国期にかけて、かなりの機会が女性たちに開かれました。有名な英国の古典学者であるミッシェル・グラントは、次のように述べています。「後期共和制期のローマ人女性たちは、今世紀にも引けを取らないほどの自由と独立を享受していました。」(Arnold and Saucy, "The Ephesian Background of Paul's Teaching on Women's Ministry," in Women and Men in Ministry, 281-83. / Michael Grant, A Social History of Greece and Rome, 30-31.)

 

そして、アーノルドとソースィーは、次のように締めくくっています。

 

「こういった歴史的証拠により、当時のエペソの状況を再構築するその他の試みもまた、信ぴょう性がかなり低いことが明らかになりました。より効果的に教会が地域社会にアウトリーチする手段として、「女性の役割に関する、当時の支配的文化精神に、自らを順応させていくようパウロは推奨していた」ということは、おそらくあり得ないでしょう。この立場に立つ人々は、(当時の女性の教育状況について)事実よりもずっと低く見積もるのが常です。

 

また、当時の女性たちに教育がなく、それゆえ、そして―それだけをベースに―女性たちに教える資格がないとパウロが述べていたのだという主張に関しても、それはあり得ないと考えられます。公的諸機関で働いていた女性たちは間違いなく教養があったはずですし、「学校責任者」としての任務を負っていた女性となると、これはもう確実に、相当の教養があったと考えられます。(Arnold and Saucy, "Ephesian Background," 287.)

 

訳者注:おまけ

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          Hypatia(4世紀)

古代世界の女性たちの教育状況を調べている中で、ヒパティア(Hypatia, Ὑπατία, AD 350/370~415)という、エジプトに住んでいた女性数学者(4世紀)の存在をはじめて知りました。彼女はアレクサンドリアのプラトン派学校の校長を務め、哲学や天文学を教えていたそうです。