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巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

聖書の主要な教えを、「文化的に相対的なもの」として再解釈しようとする最近の傾向について――ロバート・W・ヤーブロー師の警告(カベナント神学校新約学教授)

創造 VS 文化的解釈 キリスト教リベラリズムの形態 対等主義(Egalitarianism)

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Covenant Theological Seminary in St. Louis

 

ロバート&キャサリン・クローガー著「I Suffer Not a Woman」の中で展開されている「グノーシス異端説」に関する書評を書いたロバート・ヤーブロー(Robert W. Yarbrough)は、このレビューの中で次のような警告メッセージを発しています。

 

「最近エヴァンジェリカル界でますます増加傾向にある、こういった〔文化的〕聖書解釈が生み出す長期的結果というのは何でしょうか、と訊かれます。クローガーのこの著作などがまさにその典型であり、先駆だと言っていいでしょう。

 

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これまで何世紀にもわたって、正当にして権威あると理解されてきた両性に関する使徒的みことばの「推定上の端っこ」が少しずつ「かじり取られて」いっています。さて、こういった「かじり食い」は、より大きな部分を「かじりたい」というさらなる食欲をそそらせないでしょうか。「もしも、1テモテ2:12が単に『文化的な聖句』として片づけられるのなら、それなら、エペソ5:22の「妻たちよ。夫に従いなさい」の箇所だってそういう風に片づけてしまって何が悪いんだ?」と、そういう事になり、実際にすでに多くの人がそう結論付けています。

 

そして、もしエペソ5:22が『文化的に相対的な聖句』なら、それなら、エペソ5:25の「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい」だって、〔文化的解釈で〕片付けてしまって何が悪いのでしょうかと。

 

注目に値するのが、「福音主義の著述家」を名乗っている人々が今日、福音主義出版社からほとんど規制を受けることもなく、使徒的教えに関する、こういった修正主義的な読み方を大胆不敵に展開していることです。」(Yarbrough, "I Suffer Not a Woman: A Review Essay," Presbyterian 18 (1992), 31-32)

 

 

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