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巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

【悩み相談】もしも神様が真実に(genuinely)ある女性を牧師に召してくださっているのなら、一介の被造物にすぎない私たちが、どうしてその尊い召命に抗言することなどできましょうか。(+献身の召命を受けている女性のみなさんへの、私からの応援メッセージ)

John Piper and Wayne Grudem, 50 Crucial Questions About Manhood and Womanhood | Desiring God, 2016

 

 Q. もしも神様が真実に(genuinely)ある女性を牧師に召してくださっているのなら、私たちが、どうしてその尊い召命に抗言することなどできましょうか。

 

回答:

私たちは、「神様が真実に女性たちを牧師に召してくださっている」と信じていません。しかし私たちがこの事を申し上げるのは、それぞれの方の私的経験をあたかも自分たちが正しく読み取ることができているかのように思っている、そのような慢心からではないのです。そうではなく、私的経験は常に、神の言葉(聖書)の公的基準(criterion)によって確かめられ査定されなければならないと私たちが信じているからなのです。

 

教え(teaching)と統治(governing)という、牧会職の主要な責務を果たすのが男性のみに限られているというのが神の御意思であると聖書が教えているのなら、それが含意しているのは、「神は女性たちを牧師には召しておられないと聖書は教えている」という事です。

 

初代教会の草創期より、キリスト教会は次の事を知っていました。それは、主の導きに対する個人の私的感覚は、それ自体では、神の召しを見分ける十分な基準とはならない、ということです。もちろん、神は選ばれし使者をお遣わしになります(ローマ10:15)、しかし神はまた、自分では主からの召命を受けたと思っていたけれど、実際はそうではなかった人々に対して警告のメッセージも出しておられます。「わたしは彼らを遣わさず、彼らに命じもしなかった」(エレ23:32)。

 

おそらく、真摯な女性クリスチャンの方々が、「牧師への召命」とお捉えになっているのは、実際は、「ミニストリーへの召命」であって、牧会職への召しではないのではないかと考えます。と言いますのも、聖霊が私たちクリスチャンを力強く献身の道に導く際、御霊はその「献身の道」が具体的にどのような種類のものであるかは、はっきりと特定されない場合がしばしあるからです。ですから、そういった時点において、私たちは自らの賜物だけでなく、(女性として、または男性として)何がふさわしいあり方とされているのか聖書の教えに注目することが必要だと思います。

 

 

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献身の召命を受けている女性のみなさんへの励ましのメッセージ:

女性牧師(教役者)という献身のあり方ではなく、私たち女性は御言葉の定める枠の中に確実にとどまりつつ、尚且つ、主のために全身全霊でお仕えし、御国の拡大のためにわが身を投じることができます。下にそのような女性たちの証をご紹介したいと思います。

 

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アン・ジャドソン宣教師(ビルマ)

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D・ローズ宣教師(パプアニューギニア)

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サビナ・ウルムブランド(ルーマニア):「神の働きに従事することは危険なことです。しかし、それに従事しないことは、もっと危険です。」

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フランシス・ハヴァーガルの書いた数々の「献身の讃美歌」によって、今日に至るまでどれだけ多くのクリスチャンが、御国のために献身する道に導かれたでしょうか!

キリストへの信仰ゆえに、夫と離れ離れになり、さらには、生まれたばかりの乳児とも永遠のお別れをしなければならなくなったオランダ・アナバプテストの若い女性リジュケン・ディルクスの獄中書簡です。

エリザベスさんは、アメリカ人の献身者で、イスラエルで医療宣教師として仕えるべく、現在、ベエールシェバ市で医学を学んでおられます。

 

そして、このリストに私はあなたの人生の歩みを追記します!!