(溺死させられる直前に)
「〔幼児洗礼ではなく〕我々が教え、実践してきたこのバプテスマこそ、イエス・キリストおよび聖書の教える洗礼であることを、今日、私は、自分の死をもって証しする。」
フェリクス・マンツ(Felix Mantz,1498-1527、殉教者)
チューリッヒ近郊 Limmat 河のほとりに静かに横たわる、フェリクス・マンツの殉教碑(引用元)。
今から約500年前、弱冠28歳の信仰者マンツが、幼児洗礼を支持する参事会およびそれと連携していたプロテスタント教徒たちの手により、「異端者」として、凍り付く冬の Limmat 河に沈められ、殺されました。
私たちが今、当たり前のように享受している聖書教理の多くは、過去にこうした無数の名もなき先人たちが命がけで闘い、証し、保持してきた「血に染まった」教えであることを思うとき、自分もまた、後代の信仰者たちのために最善を尽くしたい、と思わざるを得ません。
殉教者たちの無言の碑は、現代の世に、そして教会に、なにを語っているのでしょうか。