巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

【悩み相談】それでは、どんな状況下にあって、クリスチャンの女性が男性に「教えること」は問題ないとされるのでしょうか。

John Piper and Wayne Grudem, 50 Crucial Questions About Manhood and Womanhood | Desiring God, 2016

 

Q. それでは、どんな状況下にあって、クリスチャンの女性が男性に「教えること」は問題ないとされるのでしょうか。

 

応答:

パウロが、パウロが1テモテ2:12で「私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ、静かにしていなさい」と言った箇所が、ありとあらゆる形での女性による「教え」をとにかく絶対的に禁じるものであるとは私たちは理解していません。

 

実際、パウロは年上の女性たちに対し、「[若い婦人たちに向かって]良いことを教える者であるように」(テトス2:3-4)と言っていますし、祖母ロイスやユニケが、孫であり息子であるテモテに教えたことを、パウロは称賛しています(Ⅱテモテ1:5、3:14)。

 

また箴言には理想の妻が描かれており、「彼女は口を開いて知恵深く語り、その舌には恵みのおしえがある」(箴31:26)と彼女を称えています。さらにパウロは女性たちが教会で預言することを認めており(1コリ11:5)、すべての人がそのような預言から「学ぶことができ」(1コリ14:31)、そして、教会のメンバー(おそらくは男性も女性も)「知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい」(コロ3:16)と勧告しています。

 

そして、もちろん、夫アクラの横で、アポロの見解を正したプリスキラのことも挙げられます(使徒18:26)。ですから、1テモテ2:12を記したパウロの脳裏にこういったあらゆる形態の「教え」が内蔵されていたとは考えにくいと思います。

 

「教えること」と「学ぶこと」というのはかなり広義な意味内容を含んでおり、なんらかの意味で、女性が男性に何かを「教え」、男性が女性から何かを「学ぶ」ということは実際あるわけであって、その事実自体を否定することは不可能です。

 

自然でさえ私たちに何かを教え(1コリ11:14)、またいちじくの木が教え(マタイ24:32)、苦しみが教え(ヘブル5:8)、人間の行ないが私たちに教えることもあります(1コリ4:6、1ペテロ3:1)。

 

それでは、もしここでパウロが、考えられるあらゆる形態の「教え&学び」を念頭に置いているわけではなかったのなら、「私は、女が教えたり男を支配したりすることを許さない」と書いたパウロはここで何を意味していたのでしょうか。

 

まずこの箇所で言及されているセッティング状況を考えることが助けになるでしょう。ここでは人々が、祈りをし、聖書の教えを受けるべく教会に集まっています(1テモテ2:8-10、3:15)。そして第二番目ですが、おそらく最大の鍵となるのが、「教えること」と「成人男性に対して権威を持つ」という二つの行為を結びつけて考えることでしょう。

 

つまり、クリスチャン女性にとって不適切な「教え」の状況というのは、「教え、リーダーシップを取る」という男性の主要な責務および召命に栄誉を帰さない(dishonor)ようなセッティングや方法で男性に教える時に生じる、といえます。

 

そしてこの主要な責務は、牧師や長老によってなされるのです。それゆえに、男性だけが、そういった牧師職・長老職を担う責務を負うというのが神のみこころであると私たちは考えています。

 

翻訳後記:

 「『教えること』と『学ぶこと』というのはかなり広義な意味内容を含んでおり、なんらかの意味で、女性が男性に何かを『教え』、男性が女性から何かを『学ぶ』ということはあるわけであって、その事実自体を否定することは不可能です。自然でさえ私たちに何かを教え(1コリ11:14)、またいちじくの木が教え(マタイ24:32)、苦しみが教え(ヘブル5:8)、人間の行ないが私たちに教えることもあります(1コリ4:6、1ペテロ3:1)。」

 この箇所は、私自身にとって、とても為になり、かつ励まされる内容でした。女性である自分が、「成人男性に教え、権威を持ってしまう可能性やセッティング」を警戒しすぎる余り、それが時として、パウロの言わんとしていた文脈を越え、自分の脳裏の中で無制限に拡大解釈されていき、その結果、(ある被り物の仲間の姉妹が私に忠告してくれたように)、「私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました」(マタイ25:25)という、主の目にむしろ望ましくない状況が生み出される可能性さえあるのです。でも、「なるほど、自然やいちじくの木でさえも、時には『教える』んだ」と気づけたことで、必要以上の構えや緊張が取り除かれ、少し心が楽になりました♡。

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いちじく