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巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

進むべき道が分からなくなり、行き迷う巡礼者のせつなる祈りー詩篇25篇の黙想と祈りと歌

「主よ。私のたましいは、あなたを仰いでいます。

あなたの道を私に知らせ、あなたの小道を私に教えてください。あなたの真理のうちに私を導き、私を教えてください。

私に御顔を向け、私をあわれんでください。私はただひとりで、悩んでいます。私の心の苦しみが大きくなりました。どうか、苦悩のうちから私を引き出してください。」(詩篇25:1、4、5、16、17)

 

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   道に迷う巡礼者(Pilgrim's Progressより)

 

冒頭の詩篇の祈りを切なる思いで祈っています。「あなたこそ、私の救いの神、私は、あなたを一日中待ち望んでいるのです。」(5節)

 

この詩篇の最後は、「神よ。イスラエルを、そのすべての苦しみから贖い出してください」という祈りで締めくくられていますが、「贖い出してください」は七十人訳(LXX)では λυτρωσαι(<λυτρουμαι)となっています。

 

λυτρουμαι(<λυτρον, 身代金)身代金を払って救出する、あがなう、釈放する、(奴隷状態から)解放する(織田)。

 

この動詞は、LXX訳の詩篇の中にちりばめられおり、やがて、(この翻訳聖書に日頃から親しんでいた)使徒たちによって、キリストの「贖い」を表すことばとして新約聖書の中に受け継がれていったようです。新旧約聖書全体を通し、証されているイエス・キリストの死と復活、そして贖い。こうした動詞一つをみても、そこに私は、壮大なる神の摂理と人類に対する救いのご計画の完全さみ、心がうち震えます。

 

詩篇25篇の黙想(「牧師の書斎」より引用)

ー詩篇25篇はとても長い詩篇で、どこをどう捕えていいのか迷ってしまいます。しかし、よく注意深く見てみると、いくつかの特徴的なことばがあることに気づきます。そのひとつとして「」があります。詩篇の作者は「主の道を知らせ、教えてください」と祈り、それに応えるかのように、「主は、道を/ご自身の道を/選ぶべき道/を教えられる」とあります。「道」ということばは、知恵文学(詩篇、箴言など)に数多く見られます。

 

ーもう一つの特徴的なことばは、人の主に対する<信頼用語>と言えるものです。表現こそ違いますが、みな信頼という一つのカテゴリーでくくることができます。たとえぱ、1節の「あなたを仰いでいます」。2節の「あなたに信頼します」。15節の「私の目はいつも主に向かう」。20節の「あなたに身を避けます」。21節の「あなたを待ち望みます」などです。

 

ー「道」ということばと「信頼用語」はどうように結びつくのでしょうか。それはこうだと私は考えます。主を信頼するということは、具体的には、主の道を知る、より核心を突くなら、「わたしは道である」と言われた「キリストを知ること」と言えます。

 

ー詩篇73篇には、主の道はしばしば海の底であったり、水の中にあったりすると記されています。人の目には見えずとも、その道は確かにあるのです。それを知ることが主を信頼することであり、その結果は、決して「恥をみることはない」と言えます。

 

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ー旧約の「恥を見ない」ということばは、新約では、「失望に終わることがない」という表現と同じです。「主を信頼する者は、決して失望に終わることがない/失望させられることがない」のです。(ローマ9章33節、同、10章11節、ペテロ第一2章6節参照) その秘訣は、道であるキリストご自身を知ることです。それがどんなに大切なことか。

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詩篇歌(Psalm 25:4-5, 8-9, 12-14)

七十人訳コイネー・ギリシャ語による詩篇25篇(Lxx:24)

欽定訳(KJV)